
心の伊達市民 第一号
テレビのニュース番組の中の「小特集」には、面白いものもある。
「町中華」の時は、近ければ食べに行っている。なぜか八王子が取り上げられることが多いような気がするが、もしかしてディレクターが八王子に住んでいるのかもしれない。
先日の町中華は、八王子の「大進亭」だった。そこで八王子の隣町に住む同級生のYさんに、食レポを依頼した。今回のブログは彼が送ってきてくれた、食レポを少しだけ編集して以下に載せた。
【食レポ・大進亭】(by Yさん)
甲州街道から陣馬街道をひた走り八王子市内から遠く離れた恩方村にほど近く「大進亭」の大きな赤い看板が目に入った。朝飯を抜いて一番に駆け付けたが既に駐車場は満杯であった。店内には多くの客の姿が見え、一心に朝飯をかき込んでいる。・・・
メニューを見ると大進亭は八王子にある人気のラーメン店で、特に「デカ盛り」として知られています。四大デカ盛りメニューには、特大盛りのラーメンやチャーハン、おにぎりなど、ボリューム150点の料理が揃っています。食べ応えがあり、満足感を得られると、多くの食べログや口コミサイトでも評価されています。
今日注文したセットメニューは、チャーハン、小ラーメン、餃子のセットで1450円。皿いっぱいに二段重ねに盛り付けられたパラパラのチャーハンが、見事に度肝を抜く。塩・胡椒のピリッと効いている。始めから持ち帰り用のタッパーを頼み、先ずは醤油ラーメンから手を付けて餃子と併用する。厚切りのチャーシューとメンマにラーメンがよく合う。小食の現在ではラーメンに餃子3ヶで十分であった。・・・
広めの厨房には大将とおかみさんと息子?さんの3名で手際よく賄っていて気持ちがいい。テーブル周りはきれいな娘さん?(タレントの大沢あかね似)がにこにこと愛想のいいおもてなし!これも人気のひみつかも? タッパーのチャーハンは、今夜のごはんと明日の朝のごはんに十分である。
(おまけの話)(名所 by Yさん)
食レポだけでは紙面が埋まらないので、Yさんは八王子の説明と観光名所の報告を写真と共に送ってくれた。
【八王子市】
資料によると『八王子市は、東京都の多摩地域南部に位置する市。推計人口は57万8986人。JR中央線東京駅から八王子駅まで中央特快にて54分、快速にて64分の47.4kmにある。多摩川の鉄橋の手前には大都市:立川が控え、西の奥には恩方村があり、神奈川県を通り、山梨県に至る東京の最も西に位置する。・・・』
『古く戦国時代には後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられて城下町となり、江戸時代には甲州街道の宿場町として栄えた。絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称が北原白秋の作詞した八王子市歌に織り込まれている』。
【甲州街道イチョウ並木の黄葉】
資料によると『このイチョウ並木は昭和2年(1927年)の大正天皇の多摩御陵完成に伴い、昭和4年(1929年)に道路改修された際に、宮内庁によって植えられました。当時は2メートルほどだった苗が、今では15メートル以上に達しているものもあります。1964年に甲州街道が東京オリンピックの自転車競技のロードレースコースとされたのを機に、市の天然記念物に指定しました。その後、市政60周年を記念して1976年に「市の木」に制定しました』。
今年の10月に日野市で発生した「ギンナンの重さに耐えきれず落下した枝の下敷きになり若い男性が死亡した事故があり、街道の銀杏が剪定されて細くなっているために、今年は迫力に欠けていました。
【JR中央線・高尾駅の由来】
資料によると『1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇は東京西部多摩の御料地に葬られた。現在の多摩御陵で高尾駅は最寄りの駅となり参拝ルートになっている。駅舎は、正面に前後ふたつの破風が目を引く。それぞれの棟飾りには鳥衾(とりぶすま:ツノのついた鬼瓦)を突き出し破風の下には懸魚(けぎょ:魚の装飾)を下げる。・・・』
『屋根は銅板葺きで太い柱と白壁のコントラストが美しい。まさに神社拝殿のような和風の木造建築が存在感を示している。それというのも、この駅舎は大正天皇大葬の際に斎場となった新宿御苑に設けられた仮停車場の用材を利用して建てられたものである。仮停車場とは、天皇の柩を斎場に移送する霊柩列車を運行するための仮駅舎』。
【武蔵陵墓地】
資料によると『武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)は、東京都八王子市長房町にある皇室墓地です。大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4陵が造営されている。昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵と称しており、現在でも通称として使われている。八王子八十八景のひとつ。原則として、1年を通して中に入り参拝が出来る』。
妻の17回忌を済ませたばかりの私にとっては、たとえ狭いお墓であっても、同じお墓に入って末永く一緒にいたいとつくづく思う。
【八王子の花街】
資料によると『八王子は江戸時代には甲州街道の宿場町であると同時に絹織物産業の街として栄えたことから、街道の旅籠には飯盛女(宿場女郎)が置かれ、後の遊廓の元となる。明治30年(1897年)4月22日の八王子大火の影響で遊廓は田町に移転し、昭和33年(1958年)の売春防止法施行まで続いた。・・・』
『昭和30年代後半から芸妓、料亭数が減少し、花街の伝統が風前の灯火に危機を感じた商工会議所や住民は、平成11年(2007年)に「八王子黒塀に親しむ会」を結成して花街文化の伝承とその情報を発信し、芸妓衆は地元の行事に積極的に参加し技芸を披露している。特に八王子芸妓の恵(めぐみ)は置屋「ゆきの恵」を開業して若手の育成に努め、2018年、見番が新装され、改修時に失った舞台が設えられ披露された』とある。
八王子の華やかな時代を振り返ると、絹織物全盛期であるが市内には機屋(はたや)さんが多くありました。その中でも大規模な機屋さんの息子(このブロガーの従弟)が同級生にいました。若旦那と持て囃されて芸者遊びに耽っていたそうです。バブル景気の終焉と共に八王子織物の衰退が始り、今ではその面影もありません。
最近では多摩地区唯一の芸者衆が活躍する八王子花街「黒塀通り」には、織物業で栄えた八王子花街の伝統文化を残そうとしています。久し振りの若い芸妓の入門が評判を呼び、八王子祭りでは美人芸妓さんが勢ぞろいして屋台で練り歩くのが壮観です。
【松姫さまと八王子】
松姫は資料によると『武田信玄の四女として永禄四年(一五六一年)九月にお生まれになりました。松姫さまは七歳のときに、織田信長の嫡子で当時十一歳の信忠と婚約いたします。徳川家康は信玄の姫松姫さまが八王子におられるを知って寺領を贈りました。天下を統一した豊臣秀吉も慶長三年に病没し、天下は家康のものとなり、ここに江戸幕府三百年の礎が築かれます。・・・』
『時は移り元和二年四月十六日(1616年)戦国の時代を力強く生き抜かれた松姫さまは、温かい人々に看まもられながら、眠るが如くに他界せられ東照宮に祀られました。その守護に就いたのが八王子千人同心であり、それが明治維新まで続いたことは、松姫さまをめぐっての奇しき因縁とも申せましょう』とある。
・・・というわけで、今回は同級生のYさんの報告である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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マニアではなく科学する人 世羅繁宇氏の“ Stage 2 “〜自家焙煎ジャズ喫茶『COSSETTE COFFEE』
過去最長の書き上げ時間を要してしまいました…。 そのくらい筆者を悩ませた人、世羅繁宇氏が今回の主人公です。 お話を伺う限り、全てにエビデンスに基づく計算があるということを察しました。 きちんと科学する人でした。 実は感覚派の筆者には一番不得手なタイプ。 言い換えれば、一番興味をそそられるタイプ。 だからこそ、理解に時間がかかったという訳です。 「起業する前は大企業のエンジニアでした」。 全てが腑に落ちたご経歴の持ち主でした。 『COSSETTE COFFEE』をオープンされたのは2022年6月のこと。 会社員時代から珈琲焙煎は趣味でなんとなく行っていたそうです。 その時使っていたのは銀杏を炒る道具。 その後、当然のごとくエンジニアスピリッツがより良い焙煎機への開発へと繋がっていきます。 「珈琲焙煎という趣味は、アウトドアの趣味とは違い金銭メリットが生まれます。 料理もそう。遊びの中でメリットがある。そんな気づきが起業に結びつきました」。 世羅さんの言葉に、単に趣味が高じたわけではないというニュアンスを感じました。 「誰かに師事したことはありません。バイブルは『田口護 珈琲大全』のみです。 焙煎、ネルドリップの淹れ方はこの本で学びを深めました」。 この本の冒頭にはこのように書かれていました。 (引用) [コーヒーの焙煎は名人上手の専売特許ではなく、職人的なカンの世界などでもない。 理詰めの数学であり論理学の世界なのである。 生豆の選定から抽出までの流れを一つのシステムとしてとらえ、 各プロセス上に存在する複数の条件によって、 さまざまな味が生み出されるメカニズムに着眼した「システム珈琲学」。 豆の種類から焙煎方法まで網羅した本格的珈琲実用書。 珈琲生産地の現状や栽培状況、味の特徴を決める焙煎、カッティング・抽出までを ていねいに解説する。焙煎技術書としてプロも活用可能]。 なるほど…。 この文章を読んだ瞬間に世羅さんに少し近づけた気がしました。 珈琲を科学する世羅さんにとって、焙煎機は最も重要な相棒。 なので、その制作にも理詰めの数学と論理的思考が働きます。 持ち前のエンジニアスピリッツも相まって、 とことんこだわるということなのでしょう。 「拘ったのは極力 “ 風 ”を入れず、温度管理を徹底させた香りの調整です」。 「え? 温度はイメージできますが、風もですか?」 「はい。現在、95%の焙煎は半熱風式で行われていると言われています。 大手さんになると熱風式となります。僕は難しいとされているほんの数%の隙間を狙った焙煎機を作りたかった。できるだけ豆本来が持つ香りをなくしたくない。 焙煎された珈琲って、3000~4000くらいの化学物質が生成されるのです。 それが、150℃位で香りの成分が気化します。できるだけその香りたちを封じ込める焙煎機を作りたい。それには風と温度の管理が最も重要です。 だから常に課題を見つけては一つ一つ改善する。ひとりPDCAをくるくる回す日々です」。 これは、機械技術者としての誇りを感じるお話でした。 弛まぬ研究から生まれた機械は、2007年に第1号機、2009年に第2号機、そして最新の第3号機が現在店舗内で稼働しています。 「現在「浅煎り」と呼ばれるものがブームですが、うちで煎り上がった豆は、一般的なカテゴライズには入らないと思います。 シティーロースト風シティーローストとでも言うのかな…。 正直、うちより香り高い珈琲は飲んだことがありません。『世界にひとつだけの珈琲』だと自負しています」。 この話しを聞いた時、筆者はこう尋ねました。 「それは、自分の舌への絶対的な自信ですか?」と。 当然。 「そういうことじゃない」。 と一蹴されました。 今思えば愚問でした。 あくまでも世羅さんの自信は科学的根拠に基づくものなのです。 「嗅覚で感じた香りは脳で増幅させられて味覚に刺激を与え、『味』を作ります」。 「なるほど…。 それをどう感じ、好みかそうではないかは味わう人次第ということになるわけですね」。 ネルドリップは筆者が一番好きな淹れ方です。 この素敵な膨らみ! 銅のポットから注がれるお湯で、 ネル袋のなかにふんわりと膨らむ豆を見るだけで興奮し、 既に口の中が美味しくなります。 マイセンの素敵なカップ&ソーサー いつまでも香りが鼻腔に残る美味しい「パナマゲイシャ」をいただきました。 常時8種類くらいを扱います。 ところで、店内を見回すとなんとなくレトロな雰囲気の調度品が目立ちます。 そこで尋ねてみました。 「レトロなものがお好きなのですか?」 「いいえ、これも計算です」。 「な…。なるほど…」。 「信頼している苫小牧の家具屋のオーナーがいらっしゃるんですが、話していると時代の変わりで生活様式も変化しているということを言っているんです。だから、その度に売るものを変化させて対応するんだそうです。その言葉を聞いて、インテリアにも気を配るようになりました。モードの時代は終わり、レトロデザインの時代が来ているんですよ。レトロなものは落ち着きますしね」。 「調度品にもデータに基づく根拠があるわけですね!」 日本のレトロとは違う、アメリカっぽい感じが若い層にも男性にも刺さりそうです。 筆者みたいなおひとり様好きな女性にも好まれそう。 「では、もしかしてオーディオも?」 「そうです。珈琲もそうですが、音についても僕はマニアじゃない。全て計算の上で選んでいます。現在置いているオーディオはアルテック605Aで、アビーロードスタジオで使用されていたものです。この環境に合うものを選びました。高音質をお楽しみいただけますよ」。 ハイクオリティーなモノへの追求は止まるところを知りません。 「もしかして焙煎機も4号機計画があったりしますか?」 少し間をおいて、世羅さんは力強く頷きました。 エンジニアスピリットを持つ珈琲焙煎士 世羅さんは、 空間コーディネーターとしても最善のトータルでお客様をお迎えする姿勢を持つ人でした。 店内にはジャズのレコードがずらりと900枚並びます。 圧巻。 最後に尋ねました。 「ジャズも計算ですか?」 「ジャズはもともと好きです。 ピアノならキースジャレット。オルガンならジミースミス」。 この答えをいただき、なぜかホッとした筆者でしたが、 正直、世羅さんをもっともっと掘り下げたい! そんな衝動を抑えながら、悶々と『COSSETTE COFFEE』を後にしました。 ん?? これももしかしてリピーターを生むための計算? ふとそんなことが頭をよぎりつつ、 今度はカレーを食べに行こう!と、決めていた筆者です。 ―COSSETTE COFFEE 情報― Web page https://cossette.theshop.jp Instagram https://www.instagram.com/cossette_coffee?igsh=MzRlODBiNWFlZA== 世羅繁宇氏FaceBook https://www.facebook.com/sera.shigetaka
Rietty
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「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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むしゃなび編集部
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八王子(Y)