私の住んでいる町は「勝どき」である。
この地名の由来は「勝鬨橋」を渡ったところにある町だからである。
なぜ「勝鬨橋」かというと、日露戦争で日本が勝利をおさめ「かちどき」の声をあげたことに由来する。
ではなぜ「勝どき」と書くかというと、町名を決めた時には「鬨」が当用漢字に無かったからだそうだ。



「ぐるっと湾岸再発見」★★

「勝どき」の隣町は「晴海」、「月島」、「豊洲」である。
なぜ「晴海」という地名かというと、『いつも晴れた海を臨む』という希望からこの名が付いたのだそうだ。


「月島」の地名の由来は『埋め立てられた島という意味の「 築島(つきしま) 」と呼ばれていたが、「月の岬」という綺麗な月が見える名所にあやかって「月島」になったそうだ。
地名というのは、結構、いい加減な決め方をしているのである。



1590年頃の東京湾の海岸線

さて今回の「歴史を歩く」では「豊洲」を取り上げる。
この町の地名は「将来の発展を願って、豊かな洲になるように」との希望からこの名が付けられた。
この辺りは全て埋立地なので歴史が浅く、地名も新しい。


昔の地図を見ると、皇居の近くまで海だった。
「神戸一郎」(古いなー)が歌った歌謡曲に「銀座9丁目は水の上」というヒット曲があったが、昔の銀座は本当に海だったのである。



豊洲は人工の街なので、清潔だが温かみが欠けるように感じる。

なぜこんな話題になるかと言うと、最近、図書館から借りた「ぐるっと湾岸再発見」という本がこの辺りのことを取り上げていたからだ。
私はここへ住んでまだ10年の「よそ者」なので、この本で色々なことを知った。
そこで本に書いてある歴史を訪ねて歩いてみたのである。
場所は殆ど知っていたが、詳しい歴史を知らない場所が多かった。


「臨海鉄道東京専用線」の「晴海橋梁」が今も残っている。

1933年に、東京都は市庁舎を晴海に移転することを決定したことがある。
これは東京市長が変ったら、「晴海じゃ遠くて不便だ」という理由で取止めになった。
1940年に東京オリンピックが計画されていたが、日中戦争で中止となった。
その同じ年に月島、豊洲、晴海などの広大な埋立地で「万国博覧会」が計画されていたが、これも戦争で中止となった。



船から陸へ荷物を揚げる「物揚場」の跡。

その後、この場所は海に面しているので、石川島播磨重工業(IHI)が大型船舶の造船所として使っていた。また石炭の運送にも便利なことから、東京電力、東京ガスが工場を建設したので、この一帯は工業地帯となって行ったのである。


豊洲市場で地下水が問題となり、小池都知事が「安全だが、安心ではない」と訳の分からない迷セリフを残した場所は、東京ガスの工場跡地であった。



戦災復興住宅は建て替えられた。

分かり易い話としては、日本で最初に開店したコンビニが豊洲にある。
セブンイレブンの1号店である。ここからコンビニの歴史が始まったのである。


月島なら「徳川家康が大阪から連れて来た漁師が住んだのが月島の隣の住吉」などという歴史もあるが、残念ながら豊洲には1932年に埋立てが完成したのだから、まだ100年も経っていない。
だから大した語れる歴史も無く、ただの散歩に終ってしまった。



日本第一号の「セブンイレブン」豊洲店。

(おまけの話)
そろそろ帰ろうかと思っていたら、携帯電話が鳴った。
画面を見たら、同じマンションに住む86歳のバアチャンだった。
彼女には1ヶ月ほど前にショートメールを送信したが、返事が無かった。
翌日に心配になって電話をしたが、出なかった。
彼女は1人住まいなので、「どうしたのか?」と心配だった。



IHIドック跡は観光船の船着き場になっている。

1週間前にショートメールを送ったが、やはり返信が無かった。
それがこの日の電話だったのである。
マンションのロビーで待ち合わせを約束して、私は急いで帰った。


ロビーで待っていたバアチャンは元気だった。
「どうしていたの?、心配していたよ」と言ったら、「スマホを買ったはいいが、なんだか難しくて頭が痛くなり、しばらくスマホを切っていた」と言った。



造船所で使用していたクレーンが残されている。

でも色々と話していたら、バアチャンはかなりスマホが出来る。
驚いたのはLINEをやっていたことだ。そこで私もLINE仲間に入れられた。
86歳でこれだけやれるバアチャンは珍しい。
今までの人生でも「やるなら徹底的に」を貫いて来たようで、スマホでも同じように頑張ったら首と肩の具合が悪くなり整体に通っていると言っていた。恐るべき86才!



IHI本社前の錨のモニュメント。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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