毎日、家を出るが、段々と行先に困るようになって来ている。
もう行ったことの無い場所は、近くではほとんど無くなってしまった。
でも、どこかには行かなければならない。
引退したオヤジは「家で昼飯を食べるのは権利」があるのではなく、「家で昼飯を食べないのが義務」である。・・・と私だけで思っている


                   「銀河鉄道999」の「メーテル」のマネキンがあった。

私はこのように思っているので、考えた末に久し振りに「オタク文化の聖地」である中野に行ってみることにした。
大江戸線で「東中野」まで行き、そこからJR総武線の1駅を歩けばシルバーパスで無料で中野まで行ける。東中野駅で降りて、大体の方向を目指して歩いて行った。


                        小さなキャラクターの店。

しばらく歩くと、見知らぬ地名が出て来た。
慌ててスマホで地図を確認すると駅から斜めの道だったらしく、中野駅方向からかなり外れてしまっていた。天気も良く気温も適温なので、汗もかかず快適なウォーキングになった。
中野駅北口の前にある「中野ブロードウェイ」が目的地である。


                   3階と4階はガランとしていた。

手前のサンモールは普通の商店街で、その奥のブロードウェイの2階以上が聖地である。
2階に上がると、今までとは全く違う世界が広がる。
だいぶ前に同級生を連れて見物に来たことがあるが、その時よりも店の数が増えている。
店にはプラモデル、レコード、ゲームソフト、ポスター、古本、コスプレ古着などオタクが好きそうな物を売っている。


               懐かしの「鉄人28号」

以前と際立って違うことがあった。それは人がいないのである。
オタクっぽい若者、オタク外国人などでごった返していたのが嘘のようだ。
外国人は入国制限があるのでいないのは分かるが、日本のオタク達はどうしたのだろう。
3階に上がってみた。そこはもっと人がいない。しかも閉っている店もある。
オタク文化はコロナで死んだのか?


不二家の汚れの無い「ペコちゃん」は18万円もする。

それではと4階に上がってみたら、若者が大勢いて混み合っている店があった。
そこはオタク達の間では有名な「まんだらけ」の店で、普通の店とは違った。
看板を見たら大きく赤字で「買値日本一!!」と書いてあり、買取専門店だった。
更に驚いたのはHPを見たら、1階から4階までに「まんだらけ」が29店舗もあった。


                あらゆるキャラクターが売られている。

ここにも新型コロナウィルスの影響が出ていて、金に困った若者が自分のコレクションを泣く泣く売りに来ているようだった。買取業者が栄える世の中は、何か変だし暗い。


アメリカからのニュースでは、製薬会社2社が時を同じくしてコロナワクチンを開発し、その効果も90%以上という明るい話題も出始めた。
日米ともに株価が上がり景気も戻り、そう遠くない内にオタクがコレクションを買い戻すようになればいいがなーと思った。


                    買取り店だけが繁盛していた。

(おまけの話)
中野に来ると、思い出す人がいる。
仕事の関係で知り合ったのだが、気の良い男で私は彼が好きだった。
当初は彼が社長の会社でドイツから機械を輸入し、私の会社で買ったのがキッカケだった。
その頃はまだ日本に無かった機械なので、その内に私の会社の機械の納入先にも納めるようになった。


                     オタク文化も「ソーシャル・ディスタンス」

そんな親密な関係が出来たので、ゴルフやマージャンで一緒に遊ぶようになった。
しばらくすると模倣品が市場に出て来るようになり、その機械はあまり売れなくなった。
経営的に苦しくなった彼の為に、私の会社から部品の加工を外注するようになった。


その後、彼は知り合いの社長に頼まれて、畑違いの工場を始めることになった。
私は反対したのだが、彼の会社は私が心配した通り1年で倒産してしまった。
                  横丁に入ったら、面白い看板が出ていた。

彼は気が良いだけに、知り合いの社長に騙されたような感じだった。
その後はお決りの夫婦離縁、そして彼は家も失い長野の運送会社に入社したらしい。
彼はキマリが悪いのか、私との連絡を絶ってしまった。
いまはもう70歳は過ぎていると思うが、どこでどうしているかなー?
「人生いろいろ」である。でも、私は悲しい。


                   中野はラーメンの激戦区。私が食べた名店「青葉」。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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