
心の伊達市民 第一号
武漢ウィルス(80)・・・突然の友の死
2月5日の深夜に、私のスマホに電話があったようだ。
スマホの呼び出し音か、トイレに行きたくなったせいか定かではないのだが目が覚めた。
既に電話は切れていたが、スマホの画面では同級生のXさんからだった。
こんな夜中に電話をして来るとは、間違え電話か、ボケのどちらかだろうと思った。

ハワイ天台宗の荒了寛大僧正の「絵説法」が心に響く。
そして翌日の午前中に電話をしたら、「運転中で出られません」のアナウンスが流れた。そこでショートメールで、「昨夜の電話はなんですか?、用件はなんでしたか?」と送信しておいた。
その後、三越デパートで食パンを買い昼食を食べてからカフェで休んでいた。
そこにXさんから、私のスマホに電話が掛かって来た。
私が出ると、向こうは若い女性の声だった。

「いまが幸せと思わないと 一生幸せになれないよ」
彼女は「私はXの娘です」と言った。なんか嫌な予感がした。
そして「父が2月3日に亡くなりました」と言ったのである。
私「エー!!、最近、私は彼と電話で話したばかりだ」
娘「携帯の履歴で橋本さんが出ていたので連絡をしましたが、父は肺炎で急に亡くなりました」

親しい友を失う辛さ。
更に詳しい事情を、彼女に聞いてみた。
Xさんは31日に「風邪気味だ」と言って寝たらしい。
翌日になって体調が悪くなって来たので病院に行ったが、どこも新型コロナウィルスの患者の対応で受け付けてくれなかったそうだ。
仕方ないので家に戻り寝ていたが、2日になって更に具合が悪くなったが、どうしようもなかったらしい。
そして2月3日になり、呆気なく亡くなってしまったそうだ。
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私が15年以上も前に彫った「吉祥天」
ところが葬儀の2日前に、他の友人(Y)からの連絡で更に驚きの事情が分かった。Yさんの話では、『Xさんと6日にゴルフに行く約束をしていたが、本人からの連絡で「コロナに罹ったので行けない」と電話があった』そうだ。そうだったのかー。
「肺炎で急に亡くなった」と娘さんから聞いたので、「もしかして?」とは思ったが、その時は葬儀の席で奥さんに聞けばよいと思っていた。

庭の胡桃の枝に彫ったお地蔵さん2体
私が具合が悪くなった日は、奇しくもXさんが具合が悪くなったのと同じ31日だった。Xさんはそこからドンドンと悪くなって行ったが、私は逆に良くなって行った。
私は3日目にはもう普通にしていたが、Xさんは最後の戦いをしている最中だったのだ。
人の命は儚い。その上、運命は厳しい。
私とXさんの生死を分けたのは、何だったのだろう?

「AOKI」で急いで買って来た白いワイシャツ
2月9日はコロナにも拘わらず、私はXさんの葬儀に出掛けて行くことにした。
66年間も付き合って来たのだから、どうしても最後の別れをしたかったからだ。
ところが久し振りの葬儀だったので黒のダブルを引っ張り出したが白のワイシャツが無く、慌てて新橋の「アオキ」に買いに走った。
そして葬儀ではお線香をあげて、誰とも話をせずにそそくさと帰って来たのだった。Xさんの奥さんは参列していたので、幸いに感染はしなかったのだろう。
私は奥さんに目で挨拶だけして来た。

最初の頃に彫ったお地蔵さん
(おまけの話)
Xさんとの思い出は、山ほどある。
彼はケーキ屋のオーナーだったが、引退して伊豆の別荘で悠々自適の生活していた。ケーキの好きだった私は彼に注文してモカエクレアを作らせたら、これが結構売れたようだ。
正月にはいつも彼の店に立ち寄って、ケーキを山ほど買って女房の実家に持って行ったものだった。

以前に経営していたケーキ屋は、現在はマツモトキヨシに賃貸している。
伊豆の別荘には何回も行った。そこで商品にならない「カステラのミミ」を食べるののも楽しみだった。
ゴルフや海釣りもした。海釣りに行ってカツオが釣れ過ぎて、それを干物にしたこともあった。温泉旅行が好きだったので、一緒に色々な秘湯に行った。
私の知らない秘湯を知っていた彼には、ずいぶんを面白い秘湯を教えてもらった。

X家の葬儀会場の案内板
Xさんは外国語が得意でなかったので、私が案内したこともあった。
ネパールのカトマンズに、エベレストの写真を撮りに2人で行ったこともあった。
我々と夫婦2組で韓国旅行にも行き、私がソウルの街を案内したこともあった。
前回の電話で「伊豆ではマスクは要らないぞ!、遊びに来ないか?」と言われたのが彼との最後の会話となってしまった。Xさんのご冥福を祈る。(合掌)

X家の葬儀式場
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
布をつなぐ、人をつなぐ、命をつなぐ。 今、室蘭からじわりじわりと広がり始めている集団アートの動きがあります。 ひとつひとつ”はぎれ”を手で縫って作られた、ハートをくわえた小鳥たち。ハート部分には参加者の名前やイニシャルが刺繍されています。これをタペストリーに縫い付けていき、どんどん集まっていくと…… 月へ向かうことりの群れが描かれた、巨大なタペストリーとなります。完成目標は1,000羽、長さ14m相当です。 ”月は星座と違って、世界中のどこから見ても同じ形だから”、”欠けて見えなくなっても、必ず光が戻るから” 、このデザインにしたそうです。 このプロジェクトの名前は「1000のことり」。布でつづる千羽鶴、アートによる平和の意志表示です。政治的なスローガンや言葉は一切使わず、”ころさないで”の一点で、そしてサイン(イニシャル・マークも可)の刺繍だけで、1,000人が繋がります。このタペストリーは完成後、「非戦」を求める場に飾られます。サイン参加者が使用することも可能だそうです。 ひとりひとりの想いが込められたパッチワークの美しさにエネルギーを感じます。現在、北は札幌、南は佐賀県まで参加者がいるとのこと。平和に心をよせるアートの波が、ゆるやかに広がっていっています。 今年20周年を迎える 『1000PEACE』 『1000PEACE』は、「戦争は昔話じゃない。現在進行形のリアルだ。お金も、地位もない、無名の自分にできることは何?」と感じた人たちが集まってできた有志団体です。 「未来の世代につながる具体的な行動をしている個人や団体を応援する」のが活動内容。対象は、国外・国内を問わず、忙しい日常の中で自分たちにできることをしています。活動内容は、その都度集まった人たちで自由に考え、話し合って決めます。 戦後60年の年であった2005年7月、募金を集めイラクの水支援に送ったことが始まり。そして今年20周年を迎えます。主に札幌を拠点に活動していましたが、今は室蘭に拠点が移っています。 直近では、パレスチナのこども達の心のケアの一環として、「パレスチナへのことり」プロジェクトもありました。北海道パレスチナ医療奉仕団の後発隊メンバーに「日本からのお土産」を託そうと、2024年10月~12月の間に子どもが描いた絵とカードを集めたのです。しかし現地の状況が緊迫し渡航を断念。次の渡航がいつになるかはわかりませんが、集まった169枚の絵はそれまで大切に保管されるとのことです。日本のこども達の絵とことり達がパレスチナのこども達に届く日が早く来ますように。 『1000のことり』に参加するには 1000PEACE には公的な事務所がないため、代表個人の連絡先が問い合わせ先となっています。「自分も参加したい」「ことりを預かって周りに声をかけるよ」という方がいらっしゃいましたら、下記問い合わせフォームよりお問い合わせください。 ~『1000のことり』参加の流れ~ ①お問い合わせフォームから『1000PEACE』と繋がる ▶直接お会いできる方 ②好きなことりセットを選ぶ ③参加シートにお名前を記入して戻す(ご自身で刺繍してもOK) ④片方のことりは自分のものに! ▶遠方の方 参加ハガキに記入していただき、後日、片方のことりが届きます。 実はことり達は双子で、1セット2羽になっており、片方は参加者が貰えるんです!ことりのハートにサインを縫って終わりではなく、このタペストリーがどこかで飾られるとき、自分のことりを探せるというワクワクが残されるのです。その場で終わりとならない、日常で忘れてしまいそうなときに思い出させてくれることりが近くにいてくれるのも大切ですね。ご興味を持たれた方は下記リンクよりお問い合わせください。 ~参加希望、お問い合わせはこちらまで~(筆者が代表の方をお繋ぎします。)
misaki
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