マンションの友人とはここへ越して来てから知り合ったので、詳しい事情は良く分からない。中には全く家庭の事情を話さない人もいるので、家族構成もいまだに分からない。しかし割合に誰でも話すのは、現役の時の話である。

一方で、私はあまり話さない。
友人の中に会社経営者だった人が誰もいないので、私の話が嫌味になる恐れがあるからである。


マンション入口へ向かう2階のアプローチ。


ここへ越して来て、初めて出会った人がAさんだった。
「人は見かけによらない」と言うが、かなり気性が激しい人なのにキリスト教の信者だった。キリスト教信者は「穏やかな人」という勝手なイメージを持っていた私が間違っていたのかもしれない。

ある日、彼の奥さんが我が家を訪ねて来て、「昨夜、主人が急死しました。寝ている間に亡くなっていました」と言ったのには驚いた。


マンションの3階広場。


そのSさんの紹介で次に知り合ったのが、Bさんだった。
彼はこのマンションの事情通で、マンション生活が初めてでなにも分からなかった私はマンション内の人間関係なども教えてもらった。

Bさんは気さくな性格のせいか、誰にでも話しかけるので知り合いが多い。
でも最初は誰でも「マンション管理会社の人かな?」と思っていたようだ。
ある時、転んで股関節の複雑骨折をして、今は長期入院中である。


週末になると、引っ越しのトラックが並ぶ。


ユニークなのはCさんで、彼の口癖は「私はケチ山ケチ男です」だった。
彼は会社勤めをしたことが無いそうで、「株取引だけで人生をやって来た」と言っていたが、どこまで信用して良いのか分からない。

彼の案内で中国大使館に入ったことがあるが、彼は中国奥地に植林をして中国政府から感謝状をもらっている。そんなCさんも最近はボケてしまい、介護人に付き添われて車椅子で移動している姿を遠くから見たことがある。


朝潮運河に映るマンション。


マンションの友人Dさんと、3階のカフェでお茶をした。
彼は人工透析の手術をしたばかりなので、外出がままならない。
1年間も個室に入院していたので、病院に1000万円以上も支払ったそうだ。

奥さんは介護施設に預けているので、1人暮らしのDさんは毎日カフェに来ては本を読んで過ごしている。だから午後1時過ぎにカフェに行けば、必ずDさんに会える。


朝潮運河から見た桜とマンション。


1人暮らしのEさんも、良く分からない人だった。
時々、49階のスカイラウンジに集まって、何人かでお喋りをしていたことがある。Bさんが発起人で、そのお陰で私はマンション内に知り合いが出来たのである。

ある時からEさんが全く顔を見せなくなった。電話をしても出ない。
自宅に行ってインターフォンを押しても出て来ない。
結局、今でも分からないが、管理会社に話したら「孤独死はしていない」とのことだった。


ゴンドラで窓ガラスを拭きに来た人を見るポアン。


最後はFさんである。
彼は物静かで、あまり会話に入って来ない。
その一方で1対1になると、よく喋る。
書道の達人で彼の展覧会を見に行ったことがあるが、素晴らしい作品だった。
株式投資が趣味のようで、毎週のように株式講演会に行っていた。

ところが最近のBさんの話では、「Fさんが女房がボケたと言っていたが、本人がボケていたようだ」と言っていた。
マンション内の人達も、「人生いろいろ」である。


窓から見た日本橋方面


(おまけの話)
ワシントンのペンタゴンに勤務していたKさんから、突然電話があった。
Kさん「日本に戻って来ました」
私  「エー! いつ?」
Kさん「3日前です」
私  「もう完全リタイア?」
Kさん「そうです」
私  「落ち着いたら、一度食事でもしましょう」
Kさん「何度でもお願いします」


アメリカのハイウェイを走るトラック(アリゾナ州で)


私  「いまどこ?」
Kさん「家に居ます。帰国後2週間は家から出られず、毎日、厚労省に体調、体温などのレポート提出をスマホで義務付けられています」
私  「これから先はどうするの?」
Kさん「特にすることが無い」
私  「以前に一緒に行った秩父の札所巡りでもしましょうか?」
Kさん「いいですねー。お願いします」


車の中から撮影(アリゾナ州で)


Kさんと私の付き合いは長い。
彼が日本にいた時には、よく一緒にゴルフをした。
彼の奥さんが日本人なので、老後は日本で過ごすために戻って来たのである。
アメリカから日本への飛行機はジャンボジェットで、乗客は20人しかいなかったそうだ。

成田空港では通関検査に2時間以上も掛かり、PCR検査も陰性だったので奥さんの迎えの車に乗って帰って来た。私は車の運転もゴルフも止めたので、これからのKさんとの付き合い方が難しい。


コンクリートミキサー車か?(アリゾナ州で)


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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