
心の伊達市民 第一号
AI(エーアイ)に腹を立てる
私の現役時代と違い最近は世の中が複雑になり、とても付いて行けない。
特にコンピューターに関する技術の進歩は凄まじく、今までの技術はすぐに陳腐になってしまう。
私程度にインターネットを使用していても、トラブルが発生すると解決は今までのようにはいかなくなった。

私の極狭の書斎
私は台湾びいきなので、パソコンも台湾のメーカーである「ASUS」を使っている。ある時、PCのハードディスクの表示が変なので、ASUSのサポートに問い合わせようと思った。
ネットでホームページを呼び出して、「サポート」に接続する。
するとどこのメーカーの製品にもあるように、先ず「よくある質問」で調べろとある。

ASUSのサポート画面
そのページに該当するものが無いと、今までならメールで問い合わせることが出来た。ところが最近は技術の進歩で、「チャットサポート」に繋ぐように指示される。
これが問題なのである。質問事項を書き込んで送信すると、すぐに返信が来る。
それは良いのだが、これは担当の人間が行なっているのではない。

私の使っているASUSのデスクトップパソコン
回答はAI(エーアイ)が行なっているので、こちらの意図することが伝わらない。しかも機械のくせに「土曜・日曜は休み」だという。
私のトラブルは「2つの内の1つのハードディスクに残量が表示されない」ので、その通りにチャットに書き込んだ。すぐに返事が来た。

物入れの中にあるネット接続のルーター等
画面では女性が電話で回答しているような画像を使っているが、実際はAIが答えている。その回答は「入力したキーワードを認識できませんでした。別のキーワードにて再度、お試しください」だった。
別のキーワードを入力しても駄目で、最後にはチャットは諦めて以前にメールで回答をもらったことを思い出して、担当者にメールを送ったのである。

ASUSのチャット画面(右下)
他にもパナソニックに夜間灯の故障の件で問い合わせたが、ここは電話、FAX、メールでの旧式対応でチャットはやっていない。メールで問い合わせれば写真を添付することも出来て、先方も理解し易い。(その後、担当者から電話連絡があった)
私の年代はAIチャットより、面倒でもメールの方が助かる。
サポートサービスにAIを使うと、まだ完全でないだけに、かえってサービスの質の低下になるのではないだろうか?

諦めてASUSにメールで問い合わせた時のPCの添付画面
気の毒だから外国のどのメーカーとは公開しないが、サポート画面を見ていて可笑しくなった。AIのせいか、或いは翻訳ソフトのせいか、人間の翻訳能力の問題かは不明だが、全く理解を越える日本語が出て来た。
「ハードウェアチェックをててください」の「てて」ってなんだ?
他にも「押しがらせる」、「揺がます」、「な問題」などが散見される。
こうなると腹が立つより、笑ってしまう。私に「笑いを与えてくれた」と、理解しよう。

AIか?、自動翻訳か? 変な日本語である。
(おまけの話)
もう1件は「ELECOM」という日本の会社である。
我が家ではJCOMのネットを使用しているが、室内ではWiFiも利用出来る。
女房が自室でWiFiでビデオを見ていると、「時々、フリーズ状態が起きるのでなんとかして」と言った。JCOMに相談したら、「電波が弱いので中継器が必要」と言われた。
そこで居間に設置してあるルーターと同じメーカーの「ELECOM」のサポートセンターを調べて、チャットで事情を説明して質問をした。

ELECOMのチャット画面
すぐに回答が来た。そして「こちらの製品がお勧めです」とあり、製品番号を知らせて来た。これは質問のキーワードが良かったのか、もしかしたら人間が答えているのかは不明だ。
更に設置に対しての取り扱いを質問したら、すぐに的確で正しい日本語で回答があった。どうやらELECOMのチャットはAIではなく、人間が応対しているようだ。

すぐに回答が来たが、日本語が変ではないので人間が回答していると思う。
AIというものを私はよく理解しているわけではないが、納得できないことがある。それはAIというものは、次々と情報を入れることにより進化するということだ。
進化するのは喜ばしいことだが、それはユーザーがチャットで色々な質問をすることにより、AIが段々と進化することだ。でも良く考えて欲しい。
ユーザーの無償の協力でメーカーのAIを進化させてあげるという方法は、なにか変ではないだろうか?

ELECOMが推薦して来た中継機
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』 (有)藤鉄工 代表取締役 加藤耕平氏
「子どもの頃から親父に仕事を手伝わされていました。でも、この仕事が嫌だったので継ごうとは思っていませんでした。」 加藤耕平さん58歳。 来年で創業50年になる(有)藤鉄工の二代目 代表取締役です。 お父様から事業を引き継いだのは2005年のこと。 高校卒業後、専門学校の建築科に進学した耕平さんは、卒業後、某建築会社に就職をし、大工からの修行を始めました。 けれども1年で退社。 家業を継ぐ決心をして伊達に戻ってきました。 お父様との子弟関係の始まりです。 ↑作業場には、様々な形の鉄製品や工具が並びます お父様が事業を興したのが1973年。 そのお父様の下で働き、50年目を迎える佐藤さん。 この日も黙々と仕事をされていました。 ↑御歳70歳の佐藤さん。ちょうど溶接の仕事をされているところでした。 50年間同じ会社で勤め上げる姿に胸が熱くなります。 「創業当時は、バルコニー・煙突のエント梯子・住宅関連の仕事の受注が多かったです。けれども時代の流れでアルミやステンレスが主流となり、仕事の依頼に変化がありました。ちょうどその頃、伊達市内の拡幅工事が始まり、店舗などの重量鉄骨鋼造物の仕事が多くなったのです。ところがそれも終わった15〜20年前になると受注がめっきり少なくなりました。製缶といって、建物以外の工事の依頼が来るようになりました。例えば週末処理場の汚水菅や製鉄所の設備工事の仕事です。さらに大打撃だったのは、東日本大震災をきっかけに原子力発電所の仕事が無くなったことでした。」 どんどん減っていく仕事…。 2012年に大きな転機が訪れます。 その年の年末にお母様が亡くなり、その翌年から仕事もすっかり無くなってしまいました。 「この時、家族とも相談し、佐藤さんにも相談し、廃業をする決心をしました。」と耕平さん。 意を決し、信頼を寄せている会社様のところへ行き、「廃業をするので佐藤さんと自分を使ってください。と頭を下げに行きました。」 結果として、廃業は思い留まることになりますが、そこから厳しい修行が始まりました。 加藤さん48歳、佐藤さん60歳の時です。 「相談先の社長の提案で、私は、その会社様の仕事を受注するために2年間修行に通うことになりました。修行をさせていただきながら仕事も作っていただき、佐藤さんには弊社工場で作業をしていただいていました。お陰様で新たな技術を習得することが出来、それまで受注をしたことがなかった漁業機具や船の仕事を請け負うことができるようになったのです。」 新たな技術習得のためとは言え、力仕事をするための片道50km以上の毎日の通勤は、さぞかし体にも堪えたことと思います。 「修行はなかなか大変なものでした。それまでは常に水平と垂直を確実に測りながら行う仕事だったからです。ですから、湾曲が多い船の仕事はとても戸惑いました。また、「鉄」一筋で来たため、ステンレスでできた漁業機具を扱う仕事にも戸惑いました。何もかも初めてのことばかりの修行でしたが、あの時お世話になったお陰で今があるので本当に感謝しています。」 それでも、時代の流れは安定をさせてくれません。 再び、ここ2〜3年の厳しい状況を経て、いままた少し仕事が戻ってきたそうです。 浮き沈みの激しさの辛さについては、筆者とは業種は違いますがとても理解できます。 「ところで、社名の由来を教えてください。どうして「加藤鉄工」ではなく「藤鉄工」なのですか?」 ↑作業場の2Fは事務所です 「親父が付けた社名なのですが、“加藤”と“佐藤” の共通文字 “藤” を採ったのだそうです。」 なるほど! お父様が佐藤さんを大切に想っていらっしゃった気持ちがよく分かります。 その先代の想いも引き継いだ耕平さん。 だからこそ、佐藤さんは50年も勤めておられるのですね。 さて。 空前のキャンプブームの昨今ですが。 実は、耕平さんは40年来の筋金入りキャンプ好きです。 しかも長年のコールマン製品コレクターでもあります。 そんなバックボーンを持つ耕平さんが、今ライフワークにしていること。 それは『kokoperi iron』というアウトドアガレージブランドの運営です。 ↓ショップはこちら。 https://kokoiron.thebase.in/ こちらの焚き火台ほかの鉄製品は、全て耕平さんの作品です。 鉄を使い、一つ一つに時間をかけ、丁寧に叩いて叩いて作られた本物が並びます。 鋳造ではありません。 「鍛冶屋」の仕事です。 もう本当に素敵です。 もちろん、オール鉄なので重量感もあります。 「重いですが、自分が使いたいものを作りました。」 ↑ココペリとはこの笛のようなものを吹いている妖精のこと ↑焚き火台「青海波」を筆者も経験させていただきました。模様越しの火がとても美しい。 ↑2022年4月 キャンプの様子。本物の道具に囲まれた耕平さんはとってもカッコいいです♡ ↑こちらのアウトドアフェスにも出店参加されます 「ところで、何故、そこまで鉄にこだわるのですか? 大好きなコールマンも鉄ではないのに…。」 「焼き入れをする鍛冶屋への憧れです。これら商品は確かに叩いて作っています。でも、絶滅危惧種的に刃物などを作っている人もいらっしゃる中で 漢字の “鍛冶屋” は名乗れないです。だから僕の場合は、“鍛冶屋” に憧れる ”かじや” です。」 「なるほど…そういうことでしたか。でもそういう謙虚なところが耕平さんの魅力だと思います。」 「それでも憧れを追っています。漢字の “鍛冶屋” に少しでも近づきたくて。自分なりに価値感を見出しながら、必要とされる存在になりたいと思っています。」 ↑服などを掛けたらとっても素敵なシングルハンガーもあります。丸いのはガラスの浮き玉。 ↑火を灯したら素敵なランタンです ↑こちらは新製品。叩いて叩いて造られた厚さ4.5mmの鍛造プレートは、キャンプはもちろんIHにも対応しています。ステーキやハンバーグを焼いたら美味しそう!ハンドルも別売であります。 『鍛冶屋』に憧れ続ける『かじや』。 どこまでも謙虚で熱い加藤耕平さん。 その仕事への想いと姿勢に心打たれた筆者です。 ー(有)藤鉄工 情報―http://www.date-f.net住 所 北海道伊達市舟岡町205-15電 話 0142-23-5769FAX 0142-23-6352E.mail fuji-i-w@cream.plala.or.jp↓Instagraminstagram.com/kokopelli_iron/?hl=ja
Rietty
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