
心の伊達市民 第一号
去年の今ごろは?
このブログも毎日の更新を続けたいと思っていても、そうそうはネタが無い。
そして遂にブログのネタが切れたので、「昨年の今頃は何をしていたか?」を調べてみた。
すると昨年の5月は、新型コロナウィルスが猛威を奮っていたことが分かった。
まだその頃はコロナの正体が良く分からなかったので、今から考えてみると異常にみんなが恐れていたのが分かる。
(今回の写真は全て、昨年5月のものです)

5月29日に東京上空を飛行した「ブルーインパルス」
誰でもだと思うが、1年前のことなどすぐには思い出せないものである。
犯罪ドラマなどで被疑者が「X月X日のX時にはどこにいた?」と取調官に尋問される場面があるが、それは答えさせる方に無理がある。
そこで私は思い出すために、1年前の手帳を引っ張り出して5月のところを調べてみた。
私が手帳に書くのはボケて予定を忘れないためであり、日記ではないので変更された予定は分からない。

「豊洲ぐるり公園」の遊歩道を「ららぽーと」に向って歩く。
昨年5月の頃には東京の新型コロナ感染者数を毎日、手帳に書き込んでいる。
やはり私にとって一番の話題が「コロナ」だったのだ。
手帳から5日おきの感染者数を書き出してみると、次のようになっている。
5月1日/165人、5日/58人、10日/22人、15日/9人、20日/5人、25日/8人、31日/5人。
これを見て今から考えると「取るに足らない」人数で、恐れるほどの数ではないと分る。

昨年の5月は日本橋三越デパートの近くは人もまばら。
ブログの原稿を見てみると、なんと5月だけでも1ヶ月の間に「新型コロナウィルス」関係の話題が22回も登場していた。それは政府が緊急事態宣言を発出したことも関係ありそうだ。
更に記念すべきことに、「むしゃなび」にブログを投稿した数が5月に2000回に達していた。私は2013年1月13日から2018年9月8日まで事情がありブログを休んでいたが、その間もメール方式で友人達にはブログを送信していたので、その数も入れると3000回くらいになりそうだ。

昨年5月の銀座4丁目の交差点は、人がほとんどいなかった。
昨年の5月は政府が特別定額支給金として、全国民に1人当り10万円を支給する計画を発表した。そこで我が家では壊れかけていた冷蔵庫、洗濯機、乾燥機をビックカメラに下見に行っていた。
コロナで落ち込んだ経済を活性化するのが目的の支給金なので、「使うべき」と思ったからだ。後の調査では、この支給金は多くが貯金に廻ってしまったそうである。

お台場から東京ビックサイトへの道(ここは今年も同じように人がいない)
昨年の5月に撮影した写真がPCファイルに保存してあるので、それを呼び出して見てみた。まず最初はブルーインパルスの飛行である。
医療関係者に感謝の気持ちを表すために、東京上空を飛行した。
私は築地大橋の上に行って、ブルーインパルスを撮影した覚えがある。
青空を突き進むブルーインパルスに感動した。

佃の「住吉神社」の手水舎の彫物(漁師の町だった様子が分かる)
他にも多くの写真があったが、それらは今年の写真とほぼ同じであった。
昨年の5月も緊急事態宣言が出されていたので、私は相変わらず近場をウロツイテいたのが分かる。その時も今も「家で昼飯は食べない」を守っているので、出掛けざるを得なかったのである。
この頃はマスクが入手難で、売っていても1箱5000円近かった。
そこで女房はマスクを自作して、それを私は付けて出掛けていたのが分かる。

靖国神社は参道の両側に柵が設けられていたが、お参りする人はいない。
(おまけの話)
今年の5月は昨年とは大違いである。
昨年と同じことは、東京に緊急事態宣言が出ていることである。
しかし1年も経つと多くの人はコロナ慣れしてしまい、あまりコロナを恐れない人が増えて来た。
それには理由がある。政府、厚労省の役人、日本医師会会長などが国民に自粛を求めながら、自分達は飲食を伴う会合などに参加しているのが分かってしまったこともある。

人形町の「親子丼」の人気店「玉ひで」も行列が無くなった。
新型コロナウィルスは変異を起こしていて、イギリス型、ブラジル型、南アフリカ型、インド型などがある。コロナ発生から1年以上も経つと世界中で研究が進み、色々な学説が飛び交っている。
「ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いだ東洋人は感染しやすい」、「血液型のAB型の人は重症化する比率がO型の1.6倍」、「アーリア人系は重症化する」、「黒人、ラティーノは感染し易い」など、相反する学説も多い。相反する学説の専門家同士で公開討論して欲しい。

銀座4丁目交差点近辺は人が少なかった。
新型コロナウィルスの感染者数で優等生だった台湾とベトナムで、感染者が増えて来た。以前に私の会社で働いてくれたベトナム人のHさんが、ホーチミン市からメールを送って来た。
それによると「中国からベトナムに入国後、隔離されていた中国人4名が病院から逃げた。そして感染を広めた。またカンボジアで感染が広がっているので、山道などを使って勝手に戻って来たベトナム人が多く、彼らからも感染が広がっている」と知らせて来た。中国は感染者を抑え込んでいるという報道があるが、本当だろうか?
衛生状態からいっても、その内に感染爆発するのではないか。

東京スカイツリーへ行く人も、いなかった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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〜栄養と音楽で人生に彩りを〜
『ニュートリション&ミュージックルーム』 主宰 石岡祥子さんプロフィール ピアノ、ウクレレ、チャイルドコーチ 発達凸凹ちゃんレッスン オーソモレキュラー こども分子栄養学アドバイザー 中医学、自然、アロマ、ワイン好き HSS型HSP はじめて石岡祥子さんのプロフィールを拝見した時、正直「??」が飛び交いました。 自然、アロマ、ワイン好き…はともかく、音楽以外のお仕事が頭の中でつながらなかったからです。 この方は一体どんな方なのかしら…? そんな疑問を持ちながらも、顔いっぱいの笑顔にとても魅せられ、Instagramをフォローさせていただき、「いつか取材をさせていただきたい!」とチャンスを狙っていた筆者でした。 ということで、そのチャンス到来! 今回は『ニュートリション&ミュージックルーム』主宰 石岡祥子さんにお話を伺いました。 分子栄養学と音楽の関係のこと そこはグランドピアノが置かれた音楽教室でした。 いしおかミュージックルーム 「音楽業界でのお仕事は26年になります。ヤマハとローランドの講師資格を取得して、自宅教室を主宰しています。今でも室蘭教室はありますが、3年前に伊達市に移住してきたのです。」 早速、疑問を投げかけてみました。 「分子栄養学と音楽教室の関係が見えづらいのですが、具体的にどのような活動をされていらっしゃるのですか?」 すると祥子さんは、まるで音楽が流れるように話してくださいました。 「栄養学を学んだきっかけは、私自身の体調不良でした。不定愁訴もあり、常に体調がすぐれないことが悩みでした。そんな状況から抜け出したくて、7〜8年前から栄養学・漢方・中医学などを学び、食生活の改善や生活習慣の改善に取り組みました。その過程で出会ったのが分子栄養学でした。私自身初めて目にするものでしたが、ある方の講演を拝聴して強く感銘を受けたのです。 その後、トップ講師の方から分子栄養学を学ぶ機会を得て、分子栄養学アドバイザーの資格を取得したのが3年前のことでした。自分自身が分子栄養学に基づいて食生活の改善をした結果、みるみる体調が改善されていくのを実感しました。」 「なるほど…。活動の背景には祥子さんご自身の体験があったわけですね。でも、音楽との関連がいまひとつ見えて来ないのですが…。」 「26年間音楽教室をしていますと、3歳から習いにきてくださったお子様も成人します。とても長い期間のお付き合いになるわけです。ですから、幼児特有のイヤイヤ期やメソメソ期、思春期で不安定な時期なども時を一緒に過ごします。なかには発達がゆっくりめのお子様がいらしたり、とても繊細だったり、悩みを抱えていたり、そのような場面にも遭遇します。中には、それらが要因となって生きづらさを感じてしまうこともあるわけです。かつての私のように…。」 音楽教室といえども、20年以上も同じ時間を過ごされている中で、生徒さんの成長を音楽以外でも見守り、寄り添いながら、人間同士のお付き合いをされているということなのですね。 誰にも人生を謳歌してほしいという願いをこめて 「体だけでなく心の不調も、実は食生活改善によって大きく解消されます。体調がよくなるとパフォーマンスも上がることを知ったのは大きな収穫でした。本来、その人が発揮できるはずの力を支えているのは、毎日の食事と睡眠です。 分子栄養学的アプローチで、生活改善をすると日常のストレスも軽減されるということを、多くの方に知ってほしいと思っています。私がお伝えしていることは、私の心身で実証された実体験がベースです。そこに音楽をプラスすることで、人生をより楽しく謳歌してほしいと願って活動しています。」 「私の中では、音楽も食も人生をより豊かにするものだと思っています。決して音楽と食を融合しようとしているわけではありませんが、どちらも人生には不可欠なものだと思っています。誰でも皆、人生を楽しみたいですよね。ところが、お子様でも大人でも、様々な心身の悩みを抱えていたり、生きづらさを感じていたりする方は多いです。ですので、私は音楽と食の面から、人生を楽しむお手伝いをしたいのです。分子栄養学を学んで実践していただくことで、心身の不調の原因を推測できるようになり、ご自分の身体を整える方法を知ることができます。分子栄養学も音楽も、その方の人生に彩りを加えることができるものと信じています。」 ここまでお話を伺い、ストンと腑に落ちました。 ものすごく納得しました。 祥子さんのお話は、自らのお体で実証済みですし、科学的裏付けもあるのでとても説得力があります。 さまざまな講座を開講☆ どの企画も興味津々! これらは既に終了した企画ですが、次回開催に期待したいです。 ※画像はクリックで拡大表示できます そして・・・ なんと! 8月10日には「なつやすみこども分子栄養クッキング」教室が開催されます! 皆様に人生を楽しく謳歌してほしい! 生徒さん、お一人お一人に寄り添いながら、栄養と音楽の両方からサポートを続けている石岡祥子さんです。 ―『ニュートリション&ミュージックルーム』情報― 住所 伊達市南稀府町 電話 090-9080-5877 ◆「お子さまとママを幸せにする栄養のお話」 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆「からだ」と「こころ」に必要な栄養のお話 パーソナルセミナー 2時間以内 4,000円(テキスト付き) ◆その他個別相談 1回1時間〜1時間半 3,000円 ホームページ http://ishiokapiano.music.coocan.jp/ LINE公式 lnktr.ee/ShokoIshioka Instagram https://instagram.com/musicroom_is?igshid=YmMyMTA2M2Y=
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