
心の伊達市民 第一号
金のなる木
「お金」は万人に必要であると同時に、誰でも「欲しいもの」でもある。
しかしこの話題を取り上げるのは非常に難しい。
世の中は思った以上に不公平で、「お金のある人」、「お金の無い人」が一緒に生活しているからだ。
だから当然だが、そのことにより軋轢も起きる。
「お金」はあるに越したことはないが、多過ぎても不幸になることが多いように感じる。
昔から犯罪の原因は「金と女」と決っている。

成金が乗っていそうな超ロング・リムジンカー
世の中にはお金のことを言いたがる人がいる。
自分の資産を言いたがる人ほど、大した資産は持っていないように感じる。
マンションの知り合いにもそういう人がいて、話を合わせるのが難しい。
常に自分のマンションの価値を調べていて、それを私に言う。
でも、住んでいるところが高くなっても、生活には何も変わりはないはずだ。
その内に固定資産税が上がるマイナス位しかないのである。

羽織袴の「招き猫」が8匹(我が家の居間)
暮れになると「長くなるもの」がある。
それは数寄屋橋にある「宝くじ売り場」に並ぶ人の列で、行列の出来るのは「1番窓口」である。
1等当選確率は2000万分の1だと、なにかに書いてあった。
宝くじは賭けとしては買う方がかなり不利なので、私は買わない。
これを例えると「交通事故で死ぬ確率の更に300分の1」なのだから、一生の間に出会わないのが普通だ。

宝くじ売り場(有楽町駅前)
しかも配当率(払戻率)が45%というのは、あまりに低過ぎる。
公営のギャンブルは色々とあるが、「配当率(払戻し金)」は競馬は3連単で72.5%、枠連で77.5%である。
パチンコは店によって違うが、大体が90%を払い戻している。
ただパチンコは景品は定価で交換し、お金に換えると更に率が悪くなるようだ。
それとは関係無いが、私はパチンコもやらない。

銀座にある「場外馬券売り場(WINS)」
「金」という字を見て、みんなは何と読むだろうか?
これは「きん」と読むのではないだろうか?
金の前に「お」を付けると、「おきん」とは言わず「おかね」と読む。
これが日本語を習っている外国人には、とても難しいのだそうだ。

ブランド品の売買「大黒屋」(銀座店)
「金(きん)」と言えば、日本で一番有名な会社は「田中貴金属工業㈱」である。
銀座通りには金の販売と買取りの店として「TANAKA」という名で店がある。
金となるとなんだか敷居が高くて店に入り難かったが、私は何度か入ったことがあるが買ったことは無い。
1度は死んだ愛猫の為に「金のおりん」を買おうと思ったのである。
試しに叩いてみたら、鈍い音であまり響かなかった。結局はネットで金メッキの鉄製のものを買ったのだが、その方が金よりずっと音が良かったという経験がある。

「金」の売買は「TANAKA」(銀座店)
私の家の近くには「銀座」がある。
銀座の地名の由来は「銀座役所」で、1603年に江戸幕府を開いた徳川家康は駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移した。その場所の正式地名は「新両替町」だったが、通称が「銀座」となったのである。
では銀座があれば、「金座もあるのではないか?」と考える。
これがあるのである。その場所は現在の「日本銀行」の場所である。
そこへ至る道路が現在も「金座通り」として人形町の近くに残っているので、私は早速、見に行ったのであった。

「金座通り」(人形町近く)
(おまけの話)
私の子供の頃は、「お金」の話をすると親から叱られた。
「お金」の話は「品が無い」と教育された時代だった。
でも戦後の経済が厳しい時代だったから、両親はお金で苦労していただろうと思う。
誰でもお金は欲しい。でもそれをあからさまに言うのは、やはり今でも品が無いように感じている私だ。

浮世絵「金のなる木」(1)
雑誌で見たのだと思うが、江戸時代の浮世絵に「金の生る木」という絵が載っていた。
恵比寿神と大黒天の間に木がある構図で、多くの浮世絵作家がこの絵を描いている。
この木に「お金」が実っているのである。木の幹と枝は文字絵になっていて、そこには「慈悲深き正直」とか「物事油断無き」などと書かれている。江戸の町人達には「金儲けが全てではない」という気持ちがあり、道徳を守って生きることが「福徳」と考えていたようだ。

浮世絵「金のなる木」(2~4)
ところがネットで見たが、本当の「金のなる木」がAmazonで売っていた。
これは「ベンケイソウ科」に属する丈夫な植物で、和名は「花月」という名のようだ。
この植物の新芽が小さい内に、5円玉の穴に通しておくと、そのまま成長して5円玉が抜けない状態になる。
それを何ヵ所にも同じようにすると、枝にお金がなったように見えるそうだ。
でも、なんだか趣味が悪いなー。

本物の「金のなる木」
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
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