ストリート・ピアノを探して竹芝まで行った。(この話は後日に)
竹芝埠頭からは「大島方面」に行く船が出ていて、我が家の窓からも見えている。
私の若い頃は「竹芝」と言えば、「大島に行く船乗り場」くらいしか思い当たらない場所だった。

浜松町駅から歩いて10分も掛かり、特に何も無かったと思う。
その竹芝地区がこの2~3年で再開発が行われ、見違えるような街になった。


 「ウォーターTAKESHIBA」で。 定期観光船「ヒミコ」(右)と「エメラルダス」(左)



そしてなぜだか「スクラップ アンド ビルド」という言葉が頭に浮かんだ。
でも最近はこの言葉は聞かなくなったので、もう死語になったのかもしれない。
竹芝地区は東急不動産と鹿島建設が中心となり開発が進められ、見違えるような街に変った。

今回は私は浜松町駅から歩いて竹芝地区を見学し、そのまま新橋駅まで歩いて行った。
遠方に住み来られない方の為に、その道中の光景を写真で紹介したい。


竹芝駅手前で「ゆりかもめ」は大きくカーブする。



先ずは浜松町駅から5分ほどの位置にある「東京ポートシティ竹芝」である。
ここはオフィスを中心としたビルである。最近のビルは「ロビーが広い」、「訪問者が寛ろげるスペースがある」、「レストランが充実している」のが特徴である。
特に浜松町から竹芝は歩行者デッキが縦横に走り、地上に出なくても隣や更に先のビルに行けるようになっている。


「東京ポートシティ竹芝」のロビー



「東京ポートシティ竹芝」から歩行者デッキに出てそのまま進むと、「竹芝客船ターミナル」に続いている。ここから「大島」などの「伊豆諸島」まで行く船が出ている。

デッキを右の方に進むと、行き止まりが「竹芝小型船船着き場」である。
ここから東京都所有の大型クルーザー「東京丸」や「東京みなと丸」が出航する。
私はこのクルーザーに乗せてもらい、何度も無料で東京湾を見学した。


 ビルからビルへは「歩行者デッキ」で。



もと来たデッキを戻ると、すぐにあるのが高級ホテル「インターコンチネンタル・ホテル」である。
この時の私はストリート・ピアノを探す旅のついでだったので、次の目的地である「メズム東京オートグラフ・コレクション」が分からずウロウロしていた。
スマホで調べても、画面が小さくてよく分からない。

そこでホテルに入り、コンシェルジュに聞いてみた。ホテルはお客でなくても親切である。彼はネットで調べてホテルの地図に赤ペンで、場所と行き方を書いて渡してくれた。


「ウォーターTAKESHIBA」のベンチでランチ。



ホテルの先は「ウォーター竹芝」で、ここは目の前が開けていて気持ちが良い。
大勢の人達が外に用意されたテーブルでお弁当を食べている。きっと近くで働く人たちなんだろう。
更に進み「メズム東京オートグラフ・コレクション」という新しく出来たデザイナースズ・ホテルに行った。

高級感がありなんだか気おくれがして入り難かったが、エレベーターに乗って16階のロビーまで行ってみた。
ここからは眼下に「浜離宮恩賜庭園」、「東京スカイツリー」、「私の住むマンション」などが一望に臨める。遠慮しながら写真を撮って、外に出た。


「メズム東京オートグラフ・コレクション」のロビー。



その近くには「劇団四季」と「自由劇場」がある。
浜離宮恩賜庭園の横を歩き、汐留に向かう。途中から横に入り、歩行者デッキを歩く。
上を「ゆりかもめ」が走り、横を新幹線が通り過ぎ、下には車が渋滞していた。

「ゆりかもめ」の「汐留駅」を過ぎ、そのまま新橋駅方面に進む。
新橋で昼時となり、サラリーマンが一斉に会社から出て来て混雑していた。
暑い日ではあったが水を飲み飲み、汗をかきながらの楽しいウォーキングった。


 「新橋駅」から「汐留駅」へ(左は資生堂本社)



(おまけの話)
竹芝から新橋までゆっくりと歩いて行った。30分くらいだった。
ランチを食べた後に、急に思い立って「ニコラス」に行きピザをテイクアウトした。

最近の女房は夏負けか、「食欲が無い」と言っていたので、彼女の好きなニコラスのピザを食べて栄養補給をしてもらおうと考えたのである。
いつも注文するメニューは決っている。「ピザ17番、大2枚」である。


新橋駅前の蒸気機関車



家にメールで「ピザを買った」と知らせたら、とんでもないニュースを知らせて来た。
『安倍元首相が演説中に撃たれて、心肺停止状態。ドクターヘリで病院に運ばれている様子をテレビでは放映中です』
これは驚いた。先ず『なんで?』である。

現在の日本で、こんなことが起きるとは想像でも出来なかった。
アメリカでは銃の乱射事件が頻繁に起きているが、「日本は安全でいいなー」と思っていた私達だった。


ピザハウス「ニコラス」は地下一階。



その後、奥様の病院への到着を待って、安倍元首相は旅立って逝ってしまった。
誠に残念なことだし、テロを許してしまった警備関係者に腹が立つ。
安倍元首相にはお会いしたことは無いが、「アベノミクス」で日本経済を復活させ、「アベノマスク」ではあまり評判は良くなかったが、そのマスクを使い女房は立派なマスクに作り直した。

G7などで日本の多くの歴代首相は集合写真撮影時には端の方でニコニコしているだけだったが、安倍元首相は堂々としていて世界の指導者から頼りにされていた。
彼は日本人の誇りだった。残念で仕方ない。(合掌)


7月9日の夜は安倍元首相を悼んで東京タワーは消灯した。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    竹芝桟橋あたりは、すっかり変わってしまって、昔の船乗り場のさびれた雰囲気は全くありませんね。

  2. 山本英次
    山本英次
    返信

    安倍元総理襲撃のニュースは、プールの中で聞いた。鳥肌が立つという表現がぴったり合う。その後はTVにくぎ付けの一日であった。5時5分に夫人の到着を待って死亡が発表された。お茶目な夫人の沈痛な面持ちが悲しみを誘った。
    その後の参議院選挙は想像通りに自民党の圧勝であり、東京都からは、おニャン子クラブのI女子の当選という想定外な結果も生んでしまった。

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