
心の伊達市民 第一号
2020年7月に新宿駅前のビルに設置された液晶画面に、巨大な猫が現れて話題になった。私はその時に、その猫の写真を撮りに行きブログでも公開した。
ところが今度は渋谷に巨大な3Dの「犬」が登場した。
渋谷だから「忠犬ハチ公」に因んで「秋田犬」だった。
ネットで「あきたけん」と検索すると「秋田県」は出るが、「秋田犬」は出ない。
「あきたいぬ」で検索すると「秋田犬」が出る。
私は子供の頃に、家で秋田犬を飼っていた。名前は「ゴロー」だった。
大きくて元気が良い犬で、今と違い「放し飼い」が許されていた。
時々、行方不明となるので、家族で大声で「ゴロー!、ゴロー!」と呼んだ。
ある時、近所の人からクレームが付いた。『我が家の主人は五郎という名前なので、大きな声で「ゴロー」と呼ばないでください!』。
さて渋谷の「秋田犬」だが、新宿が「ネコ」なら、渋谷は「秋田犬」にしたのだろう。
新聞記事でこのニュースを知り、早速、見に行くことにした。
その記事では「超巨大な秋田犬が3Dカラクリ時計の中から現れ、8面の画像がシンクロする」とあった。
これだけでは意味が良く分からないので、現地で確認するしかないと思った。
カンカン照りの日では画面が太陽の光が強過ぎてハッキリしないと思い、曇りの日に出掛けて行った。
撮影に適した場所はネットの投稿を見て、「ハチ公前」と「宮益坂下」と分かった。
先ずは「宮益坂下」に行ってみた。道路の向こう側のビッグカメラの隣の雑居ビルの屋上に据え付けられた、巨大な液晶画面に「シンクロ7シブヤヒットビジョン」という文字が見えた。
犬が登場するのは1時間に1回で、午前11時の回まではまだかなり時間がある。
遠くを見たら、ハチ公の後ろのビルにも同じ画像が出ていた。
よくよく見ると、途中のいくつかのビルの液晶画面にも同じ画像が出ている。
ニュースで見た「8面がシンクロする」とは、このことかと思った。
でもここからでは8面は見えない。やっと5面だけが見える。
画面が野球に変った。遠くの画面のピッチャーがボールを投げる。するとボールは途中の画面を通過して、私の目の前のバッターのところに飛んで来た。そしてバッターがボールを打つと、その打球が赤い炎を伴って次々と画面を通過してピッチャーのところに飛んで行った。「これがシンクロかー!」と初めて分かった。
11時になり、目の前の画像が時計に変った。そしてカラクリ時計のように、丸い時計が上方に上がると秋田犬が現れた。
犬はキョロキョロと周りを見渡したりしている。するとそこへフリスピーが飛んで来た。すると犬はそれを上手に口に咥えた。そしてまた時計が降りて来て、蓋をした。
家に戻ってからのことだが、写真を整理していたら、宮益坂で11時の時にハチ公裏の画面は既に秋田犬が出ていた。ハッキリは分からないが、10秒か15秒の映像である。
このままでは帰れないので、ランチを食べて12時の回の始まる前にハチ公前に移動した。ハチ公前はいつものように、大混雑だった。外国人観光客が目立つ。
12時になり3D映像が、線路の反対側のビルの縦長の画面に現れた。
今度は前回と違い、私は連写で秋田犬を撮りまくった。今回もアッという間に終ってしまった。周りを見回しても、殆どの人が気が付いていない。1人だけ三脚を立てて動画を撮影している男がいただけだ。
その時に思った。『ニュースというのは、若者はあまり見ていないなー』・・・と。
(おまけの話)
渋谷まで行ったのだからと思い、原宿の明治神宮まで歩いて行った。
10年ほど前までは「近いなー」と思っていたのだが、今回は「遠いなー」と感じた。
代々木公園の中を通り原宿へ出て、よろよろと明治神宮の鳥居の前に辿り着いた。
最近は外国人観光客が増えていて、白人の家族が衛視にカメラのシャッターを押してもらっているところに出会った。
大鳥居をくぐり、玉砂利道を避けて横のコンクリートの道を進む。
作業員が玉砂利の上の落ち葉を掃き清めている姿が、日本を感じさせてなんとも良い光景だった。
神宮は静かな環境で、何も音がしない。箒で落ち葉を掃く音だけが聞こえる。
更に進み、酒造メーカーの奉納した酒樽の前で私は自撮り写真を撮った。
ここには酒造メーカーの社長である、同級生の会社の酒樽「金婚」も飾ってあった。
先ほどまでの渋谷の喧騒から離れて、静かな日本を堪能する。
意外だったのは、若い女性の多いことだった。参拝か観光かは分からないが、どちらにしても悪くない。
ネットで調べて分かったのだが、「明治神宮の森」は昔からそこにあったのではない。
『およそ100年前に本多静六が中心となり設計した森で、多様性、多層性に重きをおき、人の手をほとんどかけず、自然の力によって世代交代を繰り返し、永続する森を目指した』とあった。
先人には立派な人が多かった。今になれば、都心の貴重な自然である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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