家の窓からいつも東京タワーを見ている。
私が午前6時に起き出すと、冬の間はオレンジ色にライトアップされたままの東京タワーが見える。夕方になると、季節によっては太陽が東京タワーの柱の中を落ちて行く。

いまの時期は、太陽は東京タワーよりかなり左の方に落ちて行く。
1年に2回だけ太陽は東から西へ、西から東へと東京タワーの中を通過して行く。
東京タワーが私の生活の一部となっている。


 夜のライトアップは、時々、色を変える。



東京タワーは1958年に完成したから、私が高校1年生の時だった。
その頃の東京タワーのことは、私はあまり覚えていない。
小金井に住んでいた私には、都心のことはあまり縁が無かったのである。

東京タワーは完成後、今年で65年経過したが、人間に例えるなら65歳で引退の年である。ご苦労さま」と言いたい。


朝陽が六本木ヒルズに反射する。



東京タワーは「東京スカイツリー」の完成によって、電波塔の役目を終えた。
いまは余生を過ごしている感じだ。
東京スカイツリーも我が家の窓から見えるが、タワーマンションが邪魔して見えるのは頂上付近だけである。

ここへ引っ越して来たばかりの時に、「近いのでは?」と思い、自転車で行ってみたことがある。ところがとんでもなく遠く、諦めるのもシャクで東京スカイツリーまで必死にペダルを漕いで行った。


 僅かにアンテナだけが見える「東京スカイツリー」



東京タワーの足元には、私の贔屓の鰻屋の「野田岩本店」がある。
古い蔵を利用したような作りで、細長い3階建ての店である。
ホームページで確認したら、これは飛騨高山の合掌造りの建物を解体して利用しているそうだ。

2階か3階の座敷で食べる「うな重」は、特別な味がするような気になる。
最近は値段がもの凄く高くなり、うなぎも小さくなったので、いまの私は築地市場の「はいばら」を贔屓にしている。


うなぎ屋「野田岩」



私の現役時代の取引先に上場企業の「山善」があり、その会社も東京タワーの近くにあった。この会社の社長はユニークな男で、テレビドラマ「どてらい男」のモデルになった。東京タワーを題材にした小説やエッセイは多い。
その中で私が好きなのは、リリー・フランキーの私小説「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」である。

この小説は映画化もされ、大ヒットをした。
小説の中で東京タワーが出て来るのは最後で、母と「一緒に東京タワーに上ろう」という約束を果たせなかった話である。
作者のリリー・フランキーは純粋の日本人で、学生時代のあだ名から来ているようだ。


 観光バスの前面窓ガラスに映った東京タワー



今までに私は何回、東京タワーに行っただろうか? 数え切れないほど行った。
東京タワーにボウリング場が出来た時には、オヤジがボーリング場の椅子の製造の下請けをやっていたので、その関係で招待された。でもその時も東京タワーには上っていない。

東京タワーは「田舎の観光客が行く場所」みたいな偏見があったのか、私が東京タワーに初めて上ったのは結婚してからだと思う。初めて上って展望台から見た東京は素晴らしかった。その時に「意地を張らずに早く来れば良かった」と思ったものである。 


ルイヴィトンとコラボのライトアップ



外国人が日本語を学ぶ教科書には「東京タワー」が出て来る。
だから私の関係しているベトナムの日本人学校から日本に実習生で来る人達は、東京スカイツリーではなく、東京タワーに行きたがる。彼らが来るたびに、私は東京タワーに案内している。

でも私は飽き飽きしているので、エレベーターには乗らず下で待っている。
東京タワーは東京スカイツリーにお客を奪われていて、観光客が少ない。
そこで時々、イベントを開催している。そんな時はなるべく行くようにしている。
なにしろ東京タワーは「私の心のふるさと」なのであるから。


       ガスの掛かった夜         晴天の日に



(おまけの話)
このブログを書くためだけに、私は東京タワーに行った。
一番楽な方法は東京駅まで都バスで行き、そこから東急バスで東京タワーまで行く方法である。これだとシルバーパスが使えて、時間にして30分くらいで行ける。

乗継の待ち合わせ時間を入れても40分であるから、あまり面倒がらずに行けるのが良い。大江戸線で「大門駅」まで行って、そこから歩く方もあるが、これは歩く距離が長い。


入場券売り場側の真下から見上げる。



しかし都バスは東京タワーの下に停まるので、とても便利だ。
以前に「展望台まで、外階段を歩いて上る」というイベントがあり、参加したことがある。私は「簡単だ」と思ったら大間違いで、途中で何回も休んだ。

展望台の高さは150メートルで、階段の数は600段もあった。
若者なら全く簡単かもしれないが、気持ちだけ若い私には体が付いて行かなかった。
しかも歩いても、エレベーターに乗っても、同じ料金を払わせられた。 


たった1本のロープを頼りに窓ガラスを拭く。



東京タワーのことは「なんでも知っている」と思っていたら、今回の訪問で知らないことを発見した。それは東京タワーの横の道を先に進むと、そこに撮影ポイントが作られていたのである。これがいつからあるのか分からないが、入場券売り場から先なので、殆どの人が知らないのではないか?

そこには囲いがあり、お立ち台がある。そしてスマホ置き場があり、セルフタイマーでお立ち台に立って撮影すると、縦型だが東京タワー全景を背景に自分が写る。
これはとても良い。もっとみんなに知って欲しいと感じた。


記念撮影用のお立ち台に立つ私。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    1958 年は昭和33年、333mの東京タワーと掛け声も元気に、当時の日本の活況を象徴しているころです。巨人の長嶋選手の背番号3、その年、私が小学3年生と3が縁起物のように騒がれていました。オレンジ色に塗られたタワーも人目をひきました。

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