
心の伊達市民 第一号
暇なせいか「初物」のニュースを見ると行きたくなる。
「初物」をネットで検索すると『初物七十五日という言葉があり、昔から初物は縁起が良く、食べると寿命が75日延びると言われて来た。また好んで初物を食べることや、新しい物事に進んで手を出すことを「初物食い」と言います』と書いてあった。
75日の理由で、私が気に入ったものが見付かった。
それは江戸時代の死刑囚の言葉が始まりのようだ。
『死刑囚に対して町奉行は温情として、「食べたいものはあるか?」と聞いた』
『死刑囚が所望したのは、季節外れの食べものだった。奉行所は仕方なくアチコチと探したが見つからず、初物が出るのを待った。その結果、死刑囚は75日、生き延びることが出来た』という話だった。
かなり怪しい話だが、初物を食べたから75日、長生きしたのではなく、初物を食べたいと言ったから75日長生きしたのだった。割合に信用できそうな説としては、「種を蒔いてから収穫までが75日である」というのもあるが、これから『75日は1つの区切り』というのが正しいのではないか?
今回の「初物」は「東京BRTの路線拡大」の話である。
4月1日から東京BRTがプレ運行として、豊洲、有明に路線が拡大された。
全ての路線は私の住むマンション前のバス停に停まるので、初日の4月1日に終点の「国際展示場」まで乗ってみた。
土曜・日曜は一番遠い「東京テレポート」まで行くようだ。
この話だけではブログを埋められないので、長々と「初物」の話を書いたのである。
新路線は3ルートで、いままでの古い1つが廃止となった。
今までの「虎ノ門ヒルズ」~「晴海BRT」は廃止となり、「勝どきBRT」止まりとなった。
新たなルートは「虎ノ門ヒルズ」から「豊洲市場前」、「新橋」から「国際展示場」が作られた。豊洲市場に行きたい場合は「国際展示場」行きに乗れば、ストレートで行けるので、「勝どきBRT」からは3分くらいで行ける。
この3ルートの時刻表をPCからダウンロードして見たら、A4用紙1枚に全ての停留場の時刻表が書かれているので、字が小さい上に複雑で分かり難い。拡大鏡が無ければ、詳しくは分からない。これが今回の初乗りで、色々と問題を起こす原因となった。
プレ運行の初日に家の前の「勝どきBRT」から10時14分のバスに乗った。
私は途中の「東京国際クルーズターミナル」で下車するつもりだったが、そんな停留所はなかった。「東京テレポート」を、字が小さくて読み間違えたのである。
東京BRTは、その時間は「国際展示場」が終点だった。
この日の目的地は「東京国際クルーズターミナル」なので、仕方ないのでそこから「りんかい線」に乗って「東京テレポート」へ行くことにした。ホームに行ったら電車が入って来たので、飛び乗ったら逆方向に行った。
次の駅で降りて戻り、「東京テレポート」で降りた。そして今度は「ゆりかもめ」に乗った。ここでもホームに行ったら電車が来たので飛び乗ったら、また逆方向に行った。どうも私の頭の磁石が狂っているようだ。
なんとか「東京国際クルーズターミナル駅」に辿り着き、そこから歩いてターミナルへ行った。この日は豪華クルーズ船の「にっぽん丸」が13時30分に出航予定となっていた。ターミナル4階の送迎テラスに出て、「にっぽん丸」の写真を撮った。
私のこの日は午後から予定があったので、出航は見られなかったが、また来れば良いと思った。帰りには「国際展示場」に戻り東京BRTで新橋に出ようと思ったら、バス停まであと100メートルという距離でバスでは無情にも発車してしまった。
次のバスは40分後だった。全てが全く駄目な日だった。
(おまけの話)
別の日に「勝どきBRT」から「虎ノ門BRT」まで行ってみた。
途中停留所は「新橋BRT」の1ヵ所だけだが、ここまではよく使う。
今までは道路の混雑時は10分以上も掛かっていた。
それは旧築地市場の先で「新大橋通り」に突き当たるのだが、ここの信号待ちに時間が掛っていた。
4月1日からはその信号待ちをしないで済むように、築地大橋を過ぎるとすぐに地下トンネルに入る。私は以前に家に帰る時に一度だけタクシーでトンネルを通ったが、信号待ちが無いのでかなり早かった。
なんと今までは10分かかったのが、たったの4分になった。
いままでは朝のラッシュ時には、信号通過に2回の信号待ちとなっていた。
少し前に同級生とJR新橋駅から「ゆりかもめ」の新橋駅まで歩き。そこから豊洲市場まで40分くらい掛かったが、それが東京BRTの路線拡大でたったの7分くらいで行けるようになった。
新橋から「虎ノ門ヒルズ」までは距離は短いが、12分も掛かる。信号が多いからだ。
いまの悩みは「時刻表」である。私が必要なのは「勝どきBRT」だけなのに、1枚の用紙に全て路線と停留所の時間が載っているので分かり難い上に、老眼の私にはよく見えないことである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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