マンションの友人のMさんから、紅葉の写真撮影に誘われた。
今年の紅葉はあまり期待できないと聞いているが、「誘われたら断らない」と決めているので「OK」と返事をしておいた。

最初の計画では10月2~4日までの、2泊3日だった。
その後、3~5日に変更になり、最終的に10月4日から6日で収まった。どうやら紅葉の最盛期で、宿がなかなか取れなかったのが理由のようだ。


小布施の栗林



10月4日の午前5時に、マンション前をMさんの愛車「ボルボ」で出発となった。
私はただ乗せてもらうだけなので、全てを割り勘にして会計を引き受けた。
最初の目的地は長野県小布施町である。

10時前に到着したので、まだ観光客も来ていないし、食べ物屋も開いていない。「午前5時に出発する必要は無かったのでは?」と思ったが、私は乗せてもらうだけなので黙っていた。


木になっている栗を久し振りで見た



時間があるので町の中を散歩してみた。
久し振りに来た小布施の町は、様変わりでお洒落になっていた。
洒落たホテルがあったので、中を見せてもらった。
同じ系列の並びにあるお洒落なレストランに行き、ランチの予約だけしておいた。

小布施は栗が有名なので露天で買ったが、家に帰ったら女房が『東京より高い』と言った。Mさんのお気に入りの和菓子屋が畑の中にあるので、そこへ行く。
そして撮ったのが、上の写真である。


地獄谷の温泉に入る猿を見学する外国人達



次ぎの目的地は「地獄谷の猿」である。
ここは「地獄谷野猿公苑」となっていて、今では入苑料を取るようになっていた。
私が最初に行った時は大昔なので、見に来る人もあまりいなかった。

それが外国のテレビで取り上げられてから、外国人観光客が爆発的に増えた。
Mさんは少し足が悪いので、2通りの道路の近い方を選んだ。
しばらく進むと駐車場があり、料金は300円だった。


夫婦と子供か? 



Mさんが選んだこちらの道は私は初めてだったが、これは大間違いだった。
険しい山道でMさんは私に付いて来られないので、私は先に行く。
もう一方の道なら舗装がしてあり、急坂も無い。
やっと着いた「野猿公苑」で、入場料の800円を払う。

後から来たMさんに聞いたら、彼は身障者割引で400円だった。
この日は幸運にも、50匹ほどの猿が出て来ていた。
こんなに多くの野生猿が出るのは珍しい。


 夫婦猿か?



露天の池に行くと、外国人観光客ばかりだった。
猿たちは全く人間に関心を持たず、自分達のやりたいようにやっている。
温泉に入り、夫婦で毛づくろいをしている猿。湯上りで休んでいる猿。

水面を覗いている猿。離れた岩の上で休む猿。追いかけっこをする猿。
なんだか人間の世界の縮図のように見える。


 家族猿か?



その時、突然、温泉に入っていた猿たちが、慌てて逃げて行った。
「なにごとか?」と思ったら、後ろから大きなボス猿が温泉に入りに来た。
なぜか可笑しい。外国人観光客は、温泉に入っている猿と一緒の写真が撮りたくて頑張っている。

私はここは4度目だが、雪のシーズンが写真には良い。
野猿公苑を終り、次は志賀高原の渋峠である。


車中泊したのは「日本国道最高地点」



【おまけの話】(車中泊)
出発の10日ほど前に大まかな計画を知らせて来たが、その中に『渋峠は夜明けが勝負なので、ここだけは車中泊にご協力ください』とあった。

以前に彼の車で車中泊をした経験があるが、その時に狭い車内でもの凄いイビキで眠れず参った覚えがある。仕方ないので100均の「ダイソー」に行って、2種類の耳栓を買って来た。さて、どうなったか?


 暗くなった中で、車からキャンプ用品を出す。



夕方の5時頃に渋峠に到着した。天候は悪く、霧雨が降っていた。
学生時代からキャンプが好きなMさんは、車から色々なものを出して来た。
ここで夕食を食べるようで、折畳み椅子、ランタン、ガスバーナー、鍋、フライパン、購入して来た食料などである。

真っ暗な、しかも霧雨の中で、ヘッドライトを点けて「おでん」、「焼き鳥」、「焼き込みご飯」を温める。熱々にした「おでん」と「焼き鳥」が美味しかった。


携帯用ガスコンロで、焼き鳥を焼いた。



夜8時になり、車に戻り寝ることにした。私は全く寝られない。
外気は2度なので、Mさんは時々、エンジンを掛けて車内を温める。
買って来た耳栓は音が漏れて、全く役に立たなかった。
午前3時に「橋本さん!」と揺り起こされた。
『なんだか、うなされていたよ!』と言われたが、こんな状態じゃうなされもする。

午前5時30分になったら、まだ暗いのに車外には日の出撮影の人が20人ほど来ていた。しかし残念ながら雲は取れず、太陽は現れなかった。「何のための車中泊か!」と言いたくなった。


早朝に目を覚ますと、外には20人ほどのカメラマンがいた。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    芸術の道は険し、ですね。チャンスを得るためには、他人が寝ているときに起きて、他人がおいしいご飯を食べているときに、”いや私は後で”、という態度。

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