11月の最初の土曜日に、色々なことがあった。
先ず東京BRTで「新橋」に出て、大江戸線で「中野坂上」に行く予定だった。
新橋のバス停からエレベーターで地下一階に下りたら、大勢の人がアイスクリームを食べている姿が目に入った。

「なにごとか?」と思ったら、ハーゲンダッツの新製品の宣伝のための無料配布だった。私ももらって食べてみたら、「豆乳で作ったアイスクリーム」だそうだが、普通のアイスクリームと変らない味がした。


 ハーゲンダッツの「豆乳アイスクリーム」



この場所では週末に時々、色々なイベントをやっている。
今回は「カラダWEEK」というテーマで、健康に良い飲み物を宣伝しているようだ。ハーゲンダッツの隣には「ヤクルト」がテントを張って、同じく無料配布を行っていた。

少し前にも別のイベントでヤクルトをもらったが、係の女性に渡されたので受け取った。その時にヤクルトの変なキャラクター「ヤクルトマン」がやって来て、コマーシャルの撮影を始めたのでそれを見た。


 キャラクター「ヤクルトマン」は可愛くない。


次々とこちらにやって来る人達の方向を見たら、キリンが新製品の飲料を配布していたので私はそこにも行ってみた。
「おいしい免疫ケア ヨーグルトタイプ」とプラスチックの瓶に書かれていた。

ハーゲンダッツのアイスクリームを食べたばかりなので、ヤクルトとキリン飲料はカバンに入れて持ち帰った。東京というところは「ジジイも歩けば、ものをもらえる」という街で、こんな話を書くと多摩在住のYさんに「多摩格差だー」と言われそうだ。


 ヤクルトとキリンの飲料



イベントに参加していたら11時30分になったので、近くのうどん屋に行った。この日はどういうわけか、いつもは3人態勢で行っている店が、たった1人でやっていたから店員の男は忙しいし、機嫌が悪い。
私の前の女性が入口横の在庫のプラスチックの丼ぶりを持ち、その中に天婦羅を入れて並んでいた。男はそれを見て、『ダメだー!』と言った。

言われた女性は中国人らしく、なにがなんだか分からない。
私は女性に英語で『Takeout? NO Udon?』と聞いたら、頷いた。
そこで皿を渡して『ここに入れろ』とゼスチャーで示した。それでこの問題は解決した。今日も「一日一善」をしていい気分だった。


  「きつねうどん」(460円)



腹もいっぱいになったので、大江戸線に乗って中野坂上に行った。
この日は東京工芸大学の、公開講座の日だからである。
大学に向かう道の右手に「成願寺」があり、ここに引っ越す前までこの寺で行われていた仏像彫刻の教室に通っていた懐かしい寺である。

寺の入口に差し掛かったら看板が出ていて、「第18回仏像彫刻作品展」と書かれていた。これは私が習っていた仏像教室の、1年に1回の作品展に違いないと思い会場に急いだ。


中野坂上の「成願寺」の塀の絵



スリッパに履き替えて本堂下の部屋の会場に入ると、奥に先生の顔が見えた。
受付で住所氏名を書かされたが、見知った顔は誰もいない。
もうあれから12年も経つのだから、生徒も入れ替わったのだろう。

奥に進んで先生に挨拶をした。先生と言っても、私より7歳も若いのである。
4年ぶりくらいの再会だが、見た目はあまり変わっていない。


 「小さな仏像展」の会場



先生とはメールでやり取りがあるので、懐かしいという気持ちは無い。
そこへ私の見知った生徒のHさんがやって来た。彼は私とあまり違わない年齢だが、12年ぶりに会ったら、年を取り体も小さくなっていた。

でも趣味の小説は書き続けていて、「自費出版文化賞」を受賞したと嬉しそうだった。先生の参考作品は、相変わらず異常に細長い仏像であった。
生徒の作品の中では、レリーフの「風神雷神」が素晴らしかった。


 レリーフ「風神雷神」



(おまけの話)
仏像展を見た後に、すぐ先の東京工芸大学の公開講座の教室に向かった。
今年で創立100周年ということで、色々なイベントが計画されている。
私は入口でパンフレットをもらったので、また近日中にここへ来るだろう。

同級生のNさんはニコンの役員を退任した後に、この大学の専務理事に就任し大改革を行った。学生数が減り続ける時代に先駆けて、彼の行った改革が立派に役立っているようだ。Nさんから「100周年記念パーティに参加する」話は聞いたが、公開講座に来たことは無い。


 東京工芸大学のパンフレット



この日の講座は「映画演出の基礎」という話で、映画好きの私には興味のあるテーマだった。最初に「映像にとって一番必要なものはなにか?」という問いだった。答えは「機械」で、これは当り前だった。

次に映像の三要素は「写真・動き・上映」であったが、これも当り前と思った。教室を暗くして映像を映し出してからは段々と面白くなって来て、世界で最初の映画を見せた。それは1895年にリュミエール兄弟が、パリ・グランカフェで上映したものだった。工場の門が開き、人が大勢出て来る。そしてまた門が閉じるという内容だった。


 公開講座の教室風景


講義は進み、映画は段々と進化して行き、「カット」がテーマになった。
カットは1909年にデビット・W・グリフィスが採用した方法で、場面の切り替えのことである。カットを使うことで、「時間が飛ばせる」。

画面を切り替えて、過去の映像を見せることにより、現在に至る事情が分かるのである。それが進化してモンタージュとなった。今までは映画を漫然と見ていた私には、映画を学問的に解説されて、更に映画が好きになったのである。


 世界最初の映画を放映


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    東京というところは「ジジイも歩けば、ものをもらえる」という街で、、、、は確かに事実でおかしいですね。要らないのにくれようとする場合もあって、まっすぐに歩けない!

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