3月11日と言えば、13年前に「東日本大震災」の起きた日である。
この日は私にとっても、個人的に強く記憶に残っている日だ。
2011年3月10日に小金井から、現在の中央区に引っ越して来た。
荷物の片付けもしないままに、気が早い私は11日に区役所に住民登録に行った。

そしてその時に大地震が起きた。コンクリート作りの区役所の建物は古くガタガタと大きく揺れて、高い天井が壊れて落ちると思った。その時は「これで私も終りか」と観念した。家に戻ったがエレベーターが停止していて、41階まで階段を歩いて上ったが、途中で3回も休憩した。


  バンダイ本社のショーウィンドー



あれから13年経ったが私的には特別なことは起きず、「ただ無駄に年を取った」というだけだ。3月8日のTVニュースで、漫画家の鳥山明さんが1日に亡くなっていたと知らせていた。彼の書いた「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」は大人気だったそうで、海外にも多くのファンがいたようだ。

私の世代は「マンガなんか読んでいるとバカになる」と言われていた時代に育ったので、作品名は知っていたが読んだことはない。


 「アンパンマン」



ニュース画面では外国人観光客がマンガのキャラクターの横で「カメハメハ!」とポーズを取っているのを見て、ネットで色々な単語を入れて検索したら、そこは蔵前の「バンダイ本社」の前と分かった。

そこで早速に3月11日に、そこへ行ってみることにした。
バンダイ本社の場所は浅草と蔵前の中間なので、都営「浅草線」で浅草で降りた。


 「ドラえもん」



駅から数分でバンダイ本社に着いた。
観光客で混雑していると思って覚悟して行ったら、拍子抜けした。
外国人観光客は1人もいない。日本人も通り掛かりの人と、先生に引率された近くの幼稚園児が横を通り抜けただけだった。

私は「これ幸い」とばかりにミニ三脚を取り出して、キャラクターと一緒の写真を撮ったのであった。


ドラゴンボール「超悟空」



テレビニュースで見たキャラクターは後で調べて名前が分かったのだが、ドラゴンボールの主人公の「超悟空」のようだった。早速、そこでも自撮りの写真を撮った。
混雑していたらこれは出来なかった。きっと若者が口には出さないが、『いい年のジジイが何をやってんだ?』と思われただろう。

午前11時から社内の展示場が無料で見られるようだが、まだ10時少し過ぎなので観光客も来ていなかったのかもしれない。


  「ウルトラマン」     「仮面ライダー」



マンガを読まない私は、バンダイ本社の前に立っているキャラクターの名前が分からなかった。知っていたのは、「アンパンマン」、「ドラエモン」、「ウルトラマン」、「仮面ライダー」だけだった。
この辺りまでは。子供がテレビで見ていたから知っていた。

私の世代はディズニー映画で育ったので、日本のマンガは「サザエさん」までで、ドラゴンボールとなると全く分からない。


「ジャッキー」      「アグモン」



その他のキャラクターは全く知らないので、「Google Lens」で検索してみた。
まさかと思ったら、その名が出て来たので驚いた。
そもそも以前なら、この場所を探し出すことは出来なかった。

インターネットの発達により、手当たり次第に単語を入れて検索すれば、なんとか見付けることが出来るようになった。世界はGoogleに支配されている。


 「シナモン」



(おまけの話)
バンダイの前で写真を撮ったら、もうやることが無い。
そこでしばらく前に行こうと思い、地図を用意していた上野の「旧岩崎邸庭園」に行くことにした。ここは東京都の公園となっているが、歴史を調べると面白い。

『江戸時代は大名庭園で、明治になり旧舞鶴藩主邸となり、明治11年に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が屋敷を構えた。昭和20年の終戦後に米軍に接収され、昭和23年に聖公会神学院が買い取ったが、昭和28年まで米軍と聖公会が使用していた。その年に聖公会は最高裁判所に売却し政府所有となったが、いまは東京都が管理を行っている』。


  旧岩崎邸の洋館



地下鉄「大江戸線」の「上野御徒町」で降りて、10分ほど歩いて旧岩崎邸庭園に着いた。上野には何度も来ているが、ここにこのような庭園があるのは知らなかった。
入口でシニア料金の200円を支払い、靴を脱いで専用袋に入れて自分で持って歩く。
順路に従い進むと、重厚な感じの建物だということが良く分かる。

立ち止って説明文を読む場所には、床暖房が入っている親切さだ。
各部屋には暖炉が設けられている。次に洋館と繋がっている和館に進む。
こちらは割合に見慣れた光景なので、少し早めに進む。気が付いたのは、鴨居が低いことだった。


 ホールから入口方面を見る



和館を出て、靴を履き庭に出る。
広い芝生の庭だが、昔はここに池があったのだろうと想像する。
出口に向かうと別館でビリヤード用の建物がある。明治の頃はビリヤードをするのが紳士のたしなみだったようだ。私が育った家にも、別館でビリヤードの建物があった。

そこは元は黒崎子爵の別荘で、オヤジが工場用地として購入したのである。
能舞台もあったが、みんな解体してしまったが、いまになると勿体ないことをしたと感じている。少しのボケと、古いものが好きな年齢になった。


クラシックな男性用トイレ


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    上野の「旧岩崎邸庭園」が不忍池のそばのあるとは知りませんでした。グランドプリンスホテル高輪にある建物もこんなスタイルで似ていますね。

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