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じもとブロガー
心の伊達市民 第一号
ネットで浜離宮をチェックしたら、向島百花園の「萩のトンネル」が出ていた。
この百花園には現役の時に一度、近くを車で通ったので立ち寄った覚えがある。
今は免許を返納してしまったので、どこへでも電車で行く。
大江戸線で「清澄白河駅」で半蔵門線に乗り換えて、曳舟駅で東武伊勢崎線に乗り換えて1駅の「東向島駅」で降りる。
約30分で着く。以外に近かった。
駅からは10分ほどだが、駅前は商店街も無く、細い曲がりくねった路地で分かり難い。
シニアの入園料は70円で安い。
「向島百花園」のことを全く知らないので、ネットで調べてから行った。
『江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです』
『その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです』。
園内は広いので、まずは「萩のトンネル」を見に行った。
園内は見物客が多く、特に「萩のトンネル」には大勢が見に来ている。
来園者のほとんどが高齢女性で、私のようなジジイはいない。
萩の花は地味なので、トンネルになっても感動するほどではなかった。
30メートルほどの長さで、ミヤギノハギとシロバナハギの2種類が植えられている。
私は動画を撮ろうと思っているので、誰もいなくなるまで辛抱強く待った。
園内にはトンネル以外の場所にも、萩の花が植えられている。
しかしここが他と違うのは、人の手が入っているようには見せないのである。
「自然そのまま」という光景を大事にしているようで、それはかなり難しいと思う。
萩の花には蜂や蝶が飛んで来て、花から蜜を吸っている。
公園の中には多くの石碑と灯篭があり、そこには俳句が書かれている。
石碑の俳句は明治時代のもので、灯篭の俳句は今年の作品のようだ。
この公園に多くの俳句の石碑があるのは、次のような理由がある。
『文人たちは向島百花園を絵や俳句に登場させ、それを見た江戸の町民たちが大勢見物にやってきました。その人気は、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれるようになったほどです。文人たちが現在で言うインフルエンサーとなって、向島百花園を有名にしたのです』。
石碑の歌を紹介する。
『芦の芽や 田へ来水も 角田川』。これは隅田川であろう。
『黄昏や 又ひとりで行く 雪の人』。『うつくしさ ものは月日ぞ 年の花』。
俳句の石碑の陰に赤いものが見えたので、近づいたら彼岸花だった。
暑い日が続いていたが、自然界では確実に秋は近づいている。
公園の中ほどには池がある。
そこにはススキが植えられていて、秋を演出している。
入口に近いところに茶店がある。店の名は「さはら」で、百花園を開いた「佐原きくう」の末裔が営んでいて、いまは八代目だそうだ。
茶店の前には竹で組んだ棚があり、そこには「へちま」や「うり」が下がっていた。
真っ赤な蛇の目傘と緋毛氈が敷かれたベンチがあったので、そこで自撮り写真を撮ってから百花園を出た。
(おまけの話)【亀戸素描】
百花園を出て駅に向かった。明治通りを渡っていたら、都バスが来るのが見えた。
行先は「亀戸駅」だったので、とりあえず乗った。
亀戸駅に着いたら12時少し前だったので、久しぶりに「亀戸餃子」に行ってみた。
5年ぶりくらいだと思うが、以前のような行列が出来ていない。店に入るとかなり空席が目立つ。
席に着いたら以前のように、注文もしないのに餃子が出て来る。1皿5個入りである。
5個目を食べていたら、「もう1皿?」と聞かれたので頷く。また5個目になったら、同じことを聞かれた。ここは餃子以外のメニューは無いので、ご飯が欲しくなる。
そこでもう1皿は断って店を出た。
餃子2皿だけでは腹が収まらず、なにか食べたいと思ってウロウロいしている内に亀戸天神の近くまで来てしまった。
いまは藤も終っているので、見るべきものもないが中に入った。
前回は「亀がいなくなった」と感じていたが、今回はたくさんいた。
でもなぜか日向ぼっこの亀は少なく、多くが泳いでいた。
真っ赤な太鼓橋の向こうに、東京スカイツリーが見えた。
参拝客も少なく、少し寂しい。
亀戸天神を出てバス停に向かう途中で、香取神社の参道を通り掛かったので中に入った。この神社はスポーツ選手がよく参拝に訪れるので、調べてみたら次のことが分かった。
『香取神社は源頼朝、徳川家康などの武将たち、また剣豪の塚原卜伝、千葉周作をはじめ多くの武道家たちの篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取神社を祖神と崇めていました。このような由来から、「スポーツ振興の神」として、スポーツ選手たちは勝利を願って参拝しています』。
いまの私はゴルフも卒業してしまったので、健康をお願いしてから神社を出た。
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伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/jiyujin/blog2/see/entry-23335.html
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