心の伊達市民 第一号

旧近衛師団司令部庁舎に行く

【旧近衛師団司令部庁舎に行く】
facebookを見ていたら「旧近衛師団司令部庁舎」で展示会が開催されていると知った。場所は北の丸公園内で、今までに建物は見たことがあったが、名前は知らなかった。
九段の側から入ると日本武道館の前を通り過ぎ、一番奥の皇居近くの出口に近いところで見掛けた建物のはずだ。

以前にこの近くでタケノコの撮影をした場所の近くなので、迷わず行けると思った。
北の丸公園の田安門を入ると、向かいの駐車場の銀杏が綺麗だった。


  北の丸公園「田安門」



田安門を入ると日本武道館の前に、大勢の人達が並んでいるのが見えた。
そこには大きく「矢沢永吉」と書いてあるのが見えたので、この日はコンサートがあるらしいと分かった。私の前を歩く2人の男性は長い白いコートを着ていた。

その背中には大きくローマ字で、「EIKICHI YAZAWA」と書かれていた。
2人は矢沢永吉の大ファンらしく、肩を怒らせてコンサートの始まる前から「永ちゃん」の世界に入っているようだった。


 矢沢永吉コンサート(日本武道館)



武道館の先から、私は右に進んで林の中を歩いて行った。
周りは冬景色だが、木にはまだイチョウの葉が残っている。
林の中を歩く人は少ないらしく、踏みしめる地面はフワフワしている。

落ち葉が腐葉土になっているようだ。誰も歩いていない。少し寒いが、とても気持ちが良い。都心でこんな自然を満喫できるのは、本当にありがたいことだ。



林を突っ切って進み、反対側の出口の手前を右に入る。すると林の奥に旧近衛師団司令部庁舎が見えて来た。今回の展覧会のタイトルは、「わざの美ー工芸が織りなす装飾の世界」である。

この会場は「元の東京国立近代美術館工芸館で、金沢に移転する2020年まで同工芸館として使われていた。明治43年(1910)年に建てられた重要文化財の重厚な建物で、普段は公開していないので建物を見る貴重な機会でもあった。

資料によると「戦前の近衛師団とは一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」(きんけつしゅご)の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」(ほうれんぐぶ)の任にもあたっていた」とのことだ。


 旧近衛師団司令部庁舎の全景



建物の設計は陸軍技師の「田村 鎮氏」である。
2階建て赤レンガ造りの建物は、正面中央の玄関部分には八角形の塔屋があり、屋根はスレート屋根を葺きの簡素なゴシック様式。

丸の内や霞が関のレンガ造りの官庁建築が消滅していくなか、この建物は当時の形態が残されている数少ない明治風建築だそうだ。またこの建物では終戦の前夜に「宮城事件」が起きたことでも、歴史上の特別な意味がある。


  旧近衛師団司令部庁舎の入口



【宮城事件とは・・・】
1945年8月14日未明にポツダム宣言受諾が決定し、それを昭和天皇自ら国民にラジオ放送を通じて知らせる「玉音放送」を放送することが決まった。8月15日未明に陸軍省軍務局軍務課課員らが近衛第一師団長森赳中将へ決起を促すが、あくまで昭和天皇の思し召しに従い終戦を受け入れる決意の固い森師団長はこれを拒絶する。

拒否された将校らは森師団長及び第2総軍参謀の白石通教中佐を殺害し、偽の師団長命令を出して上番中の守備隊を欺いて玉音盤を奪おうとするが、東部軍や近衛隊長の同調を得られず失敗する。間もなく東部軍司令官の田中静壱大将が叛乱を知り、叛乱将校を制止するとともに憲兵隊に逮捕を命じた。


 階段で2階から1階に降りる



今回の展示会は重厚なものなのに、写真撮影が許されている。
しかし条件があり、「フラッシュ禁止」で、更に「作品をSMSなどに投稿する際には、作品名と作者名を必ず添えること」とあった。
ずいぶんと先進的な考えで、他の展示会や写真展でもこの方法を取り入れて欲しい。
多くの人に作者が知られることは、当人にとってもプラスではないだろうか?

作品は「陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸」といった伝統工芸の多様な分野を紹介していた。また人間国宝や次世代につなぐ工芸技術を保持する作家の作品が計22点が展示されていた。これが無料というのも、ありがたかった。


作品名「乾漆螺鈿神代箱」(作者・しんたに ひろみ)



(おまけの話)
帰りは別ルートで九段に出た。
ランチの予定があったので、繁華街が近い「清水門」から出たのである。
途中には「吉田茂像」が立っている。吉田茂は誰でも知っている戦後の日本を復興へと導いた内閣総理大臣である。吉田茂は国会で「バカヤロー」と言ったことで、議会が解散に追い込まれた。彼は「バカヤロー解散」で有名である。

現在の国会の議事進行を見ていると、野党には噂程度の週刊誌ネタで追及する議員も多く、受ける側は「バカヤロー」と言いたいだろうなーと同情する。この銅像は吉田茂の生誕100年を記念して、1981年に寄付により彫刻家の船越安武氏により建立された。


  「吉田 茂」像(北の丸公園)



ランチは以前に行ったことがある、天婦羅屋に行こうと思った。
場所は九段下交差点から近いのですぐ分かると思ったが、ビルが新築されていて見付けられなかった。気持ちはもう「天ぷら」になっているので、少し距離はあるが神保町まで歩いた。「すずらん通り」を進むと、出口に近いところに天ぷら屋「はちまき」がある。

この店は昭和の名士たちのお気に入りで、推理小説の江戸川乱歩、劇作家の北条秀司、俳優の佐野周二などが通っていたそうだ。
私は「天ぷら定食」より「天丼」の方が好きなので、天丼を注文した。
勘定の段になって気が付いたが、以前に来た時は1000円だったはずだが、今回は900円になっていた。


 天丼(900円)・・・「はちまき」


天丼を食べて腹がいっぱいになったので、表通りに出て少し歩いた。
この辺りは古本屋街となっていて、本を探す人が歩いている。
以前は道路の片側は全て古本屋だったのに、時代の変化か歯抜けになっている。

そこにコンビニ、ラーメン屋、レストラン、その他などが入っている。
いまは「なんでもスマホ」の時代になってしまい、本は売れなくなったのかもしれない。


 古本屋街(神田)

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コメント

  1. Shinji

    Shinji

    返信

    宮城事件の事、全く知りませんでした。 思えば、戦前戦中戦後敗戦、などの歴史は表立って誰も語らず教えてもらえませんでした。
    また、この建物は小学校の時から知っていたし、級友にも皇宮警察の子供達が何人もいました。でも、その建物の歴史も意味も知らぬままに長い時が過ぎました。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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