
心の伊達市民 第一号
写真で見る東京(28)・・・アート散歩
私の現役時代は、アートとは全く縁の無い生活をして来た。
それは才能も無かったし、興味も無かったからである。それが引退して暇を持て余すようになり、また都心に引っ越したことも大いに関係している。
お金も掛けず時間をつぶすには、アートを見て廻るのが良いと気が付いたのである。
東京駅にある「大丸デパート」で「ART ART TOKYO」というイベントがあるのを知り、出掛けて行った。都バスで終点の「東京駅丸の内南口」で降りて、八重洲口への自由通路を通って歩いて行く。この道は色々な飲食店が立ち並び、見ていても楽しい。
「ART ART TOKYO」は大丸の1階と11階で開催されている。
1階の食品館から出ると、目の前のガラス越しにアートが見えた。
店内は撮影禁止かもしれないと思い、外からガラス越しに写真を撮った。
中に入ると仕切られた会場があり、特に関係者もいないので勝手に見て廻る。
「撮影禁止」のマークも出ていないので、安心して写真を撮った。
ここは若手の新進気鋭の画家たちの絵が飾ってあるようだ。
「凄い!」と感じる作品も見当たらないので、11階の会場に行った。
エレベーターを降りて振り返ったら、「バンクシー風」の案内が描かれていた。
なんだか期待できそうに感じて、会場へ急いだ。
中には大勢の関係者というべきか、説明員兼販売員がいた。
こちらは撮影禁止で、飾られた作品には値段が書かれていた。
広い会場に大量の絵画が飾られていて、それぞれに値段表が付いている。
多くは100万円以下だが、ある場所で驚きの値段を見た。
それは「バンクシー」と「草間彌生」のA1サイズの絵だった。
バンクシーの値段は2068万円、草間彌生は2750万円だった。
同じサイズなら草間彌生の方が値段が高いと、私は初めて知ったのである。
(おまけの話)
今回はノエビア銀座ギャラリーで開催されている「土門拳」の写真展に行った話である。銀座では珍しく午前9時から開場しているので、先ずは最初にここへ行った。
ところが火事騒ぎなのか、会場に入れなかった話から始まる。
「NOEVIR」とは化粧品会社で、文化活動も熱心に行っている。
今回の写真展は『土門拳写真展<女優と文化財>-輝きは時代を越えてー』である。
ノエビア銀座ギャラリーは銀座7丁目にあり、GINZA SIXの向かいの道を入り、3本目の左角の派手なルイヴィトンのビルを左に曲がった少し先にある。
ところが近くに行ったらバリケードがあり、消防のハシゴ車が道路の真ん中に停まっていた。
消防車の停まっている場所がノエビア銀座ギャラリーの前なので、通行止めで入れない。ハシゴが伸びていたので上の方を見たら、先端のボックスに消防士が乗っていた。そしてハシゴは「丸源ビル」の看板の方へ寄って行った。
しばらく見ていたが、煙も出ていないし事情が分からない。
私の横にオジサンが来て、『どうしたんですか?』と聞く。
私は『分からないです』と答えたが、その後も進展が無いのでその場を去った。
午後から改めてその場に戻ったら、既に平常通りに戻っていた。
そこで写真展会場に入り、受付の女性に午前中の消防車のことを聞いてみた。
すると彼女は『丸源の看板が落ちそうで危険なので、消防のハシゴ車が来たようです』と教えてくれた。
写真展は昔の美人女優が文化財の仏像や石像などと一緒に写っている写真だった。
会場は撮影禁止なので見せられないのが残念だが、素晴らしい写真ばかりだ。
この写真は1964年から2年間、月刊誌「婦人公論」の表紙を飾ったものである。
浜美枝、吉永小百合、佐久間良子、岩下志麻、若尾文子、三田佳子など、日本を代表する美人女優達だった。私の世代には懐かしい女性達だ。カメラマンの土門拳は亡くなっているが、吉永小百合以外はみんな80歳を越えているが元気である。
私にとっては、みんな懐かしい女性達だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
04/18(木) 写真で見る東京(32)・・・浜離宮の御衣黄
-
04/04(金) 写真で見る東京(86)・・・春のうららの隅田川
-
04/03(木) 「ニコン ミュージアム」に行く
-
04/02(水) 写真で見る東京(85)・・・春のうららの「豊洲ぐるり公園」

イベント
「」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/02/26(水) 布でつづる千羽鶴 [1000PEACE / 室蘭・札幌]
misaki
0
-
2024/12/06(金) 写真で見る東京(68)・・・メタセコイアを見に
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2025/02/11(火) 今日のメインは牛肉の赤ワイン煮込みです!
観月旅館
0
-
2024/10/18(金) 世界観が変わっていく・・・。
-
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/02/01(土) 2025年の本当の正月
に関する
特集記事
-
-
-
12/12(日) これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0
Shinji