
心の伊達市民 第一号
最初から錆びている記念塔
ネット情報だと思うが、千駄ヶ谷の東京体育館前に東京オリンピック・パラリンピックを記念して「Harmonized Tower(ハーモナイズド・タワー)」というものが完成し、その記念式典の様子が写真で報道されていた。
細長い7.5メートルの塔で、最初から錆びているのが不思議だった。

「国立競技場駅」を出ると、オリンピック・スタジアムが目に入る。
錆びた塔を立てるとは誰がどんな考えなのか、実物はどんな物かを知りたくて現地に行ってみた。東京体育館なら大江戸線でオリンピックスタジアムのある「国立競技場駅」で降りれば、歩いてもすぐである。
電車からホームに降りて驚いた。なんと私以外に降りた人が誰もいなかった。
駅舎はオリンピックに備えて立派であるが、まるでローカル線の無人駅みたいだった。

「国立競技場駅」を出ると、すぐ右手に「アイススケート場」がある。
地上に出ると、目の前がオリンピックスタジアムである。
右側にアイススケート・リンク、左側には三井ガーデンホテルがあるが、ここは以前は神宮プールだった。
このプールは1964年に開催された東京オリンピックでは、競泳に使われた。
私はその5年前くらいに、ここで国体予選に出場して泳いだことがある。

フェンスの隙間から撮影した「ハーモナイズド・タワー」
私が中学3年生の時だと思うが、学校にプールが出来た。
同級生のO君が「水泳部を作ろう」と言い出し、私は水泳は得意じゃなかったが部員になった。その内にO君が「国体予選に出よう」と言ったのである。
彼は水泳が得意で、その後、中央大学に進み水球部に入った。
それがどうしたことか卒業してアメリカに渡り、柔道を教えて生徒の女性弁護士と結婚した。今もO君はアメリカに住んでいる。
「人生いろいろ」である。

オリンピックのキャラクターで装飾された都バスが通過して行った。
さて「Harmonized Tower」であるが、東京体育館に行くと工事中で周りをフェンスで囲まれていて中に入れない。フェンスの隙間から中を覗いたら、錆びた塔が見えた。
仕方ないので帰ってからネットで調べたら、この塔は設計は東京2020エンブレムのデザインをした野老朝雄氏で、「3種類の異なる台形をつなぎ合わせてパターンを描き、塔を形作っている」。「異なる形がつながる塔に違いを尊重し、多様性を認め合いながら天高く未来へ伸びて行く様を表現している」ということだそうだ。

オリンピック・ミュージアム前の大きな五輪マーク。
敷地の中に入れないので近くに寄れず、フェンスの隙間から写真を撮った。
残念だが仕方ない。そのまま帰るのもシャクだから、オリンピック・スタジアムの周りを一周してみることにした。
しばらく進むと、右手にオリンピック・ミュージアムがある。
ここにはオリンピックの歴史や1964 年の東京オリンピックなどの資料が飾られているが、いまはコロナの影響で事前予約が必要なので今回は入らないが、以前には入ったことがある。

左はオリンピック・ミュージアム、右はオリンピック・スタジアム。
更に進んでスタジアムの信濃町駅近くに来た。
どこもかしこもフェンスで覆われて中が見えないが、オリンピックが1年延期になったのだから既に工事は終了しているはずだ。
スタジアムの中には入れなくても、せめてフェンスを撤去して周りは見せた方が良いと思う。その方がオリンピックの雰囲気が盛り上がると思うのだが・・・。
フェンスの中に植えられている八重桜が満開で、とても綺麗だった。

フェンス内の八重桜が綺麗だった。
(おまけの話)
神宮外苑の近くには飲食店があまり無い。
2駅戻ると六本木駅なので、そこで幸楽苑に行ってラーメンを食べようと思った。
幸楽苑は私が小金井に住んでいた時に、近くにあったのでたまに行っていた店だ。豚骨が苦手な私には、あの東京ラーメンの味が懐かしい。

ミッドタウン入口付近で見掛けた「モミジの花」
六本木駅で降りて4b出口から出ると、目の前が幸楽苑六本木店である。
階段を上り外に出たら、出口を間違えたかと思った。
目の前にあるはずの幸楽苑が無く、更地になっている。
ここもコロナの影響で閉店となったのか?
元々、幸楽苑は経営不振でステーキチェーンの「いきなりステーキ」のプランチャイジーになったが、その本家の「いきなりステーキ」が経営不振となってしまった。皮肉なものである。

館内2階の巨大な花玉(手で触ったら造花だったので、ガッカリ)
仕方ないので、近くの似たようなラーメン店「日高屋」で食べてから、ミッドタウンに向かう。ここはコロナに関係無く、賑わっていた。
1階の外に出て、椅子に座ってしばらく休む。そして持参した「どら焼き」を食べた。昼は必ず外食の私は飲食業の栄枯盛衰をこの目で見て、歴史の証人になったつもりでいる。

ミッドタウンの芝生広場のモニュメントと私の足。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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misaki
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【あの人に会いに】"今” やってみる [田中イェイツ養子さん/豊浦]
むしゃなびエリア(胆振・虻田地区)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.5 今回は、豊浦町の 『パン・菓子工房mem』 田中イェイツ養子(やすこ)さんです。 シュタイナー教育に惹かれ、豊浦町へ 養子さんは伊達市大滝のご出身で、ご実家は有機栽培の『アンパン&やんま農場』。大滝の大自然の中で育ち、高校はシュタイナー教育*を実践する『いずみの学校』へ進学しました。(当時はNPO法人、現在は高等専修学校。) 卒業後は国内外様々な場所で暮らしたのち、オーストラリア人の旦那様とご結婚され、出産。長女の成長を見守るうち、シュタイナー教育* が合うかもしれないと感じたことがきっかけとなり、豊浦町に移りました。 ご自身も通ったうえでお子さんの進学先にも選ばれたことは、母校への信頼を感じますが、当時はどのように体感されていたのでしょうか。 「一番記憶に残っているのは、先生方のこと。先生って子ども達のことをこんなに想ってくれているんだ!と。反抗期でトゲトゲしていた中学時代を経たというのもあると思うけど、”先生方って良い人なんだ”って気付けたというか……」 ちなみに、当時の先生方の多くが、今もいずみの学校にいらっしゃるそうです。 「授業もおもしろかった。覚えているのは、いろんな職業の人が来て、話を聞く授業。牧師さんとか、議員さんとか」。養子さんはいずみの学校の”第1期生”! 当時は高等部の保護者が毎春、校舎を作りに行っていたとか。さすがは『親と先生でつくる学校』ですね。 *シュタイナー教育とは……哲学者であるルドルフ・シュタイナーが提唱した、個性の尊重を重視した教育法。子どもの心身の発達を7年間のまとまりとして捉え、それぞれの年齢に応じた環境を準備し、ふさわしい働きかけをする。芸術作業を取り入れていることや、15年の一貫教育や8年間同一担任などが特徴的で、子ども自身の中にある学ぼうとする意欲を引き出しながら、人間の『意志、感情、思考』をバランスよく育んでいく。ドイツを中心にヨーロッパやアメリカなど世界60カ国、1000校以上が実践し、約100年もの歴史がある。 子育て真っ最中の姉妹がつくる、パンとお菓子 工房にあるお庭からは、いつも子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきます。 『パン・菓子工房mem』は 養子(やすこ)さんとお姉さんの文(あや)さん、 子育て真っ最中の姉妹で営まれています。 養子さんは3歳~8歳の3児の母、 文さんは11歳~21歳の4児の母です。 養子さんが豊浦に移って来たタイミングで、先に豊浦に住んでいたお姉さんと一緒に何かしようか、と始まりました。元々趣味でパンを焼いては友人知人にふるまっていたところ評判が良く、「売れるよ!」と声をかけてもらっていたことも後押しとなりました。 起業という選択、全てが自分次第に パン・菓子工房を始める際に、夫婦で会社を立ち上げることを決意。2022年、34歳の頃でした。国内外を大移動され、様々な経験をされてきている養子さんですが、直近のターニングポイントはこの『起業』だそうです。 「それまでは雇われてきたけど、自営になると全部自分の責任になるから。誰にも何もなすりつけられないし……やるもやらないも自分次第」 当時はまだ赤ちゃんを抱えながらの起業でした。「思いたったら即行動してるかな、後回しにしたら後悔するから」。起業の準備期間が子ども達の入園・入学と重なってしまったそうですが、それでも「子どもを言い訳にしない、絶対やればできると思っていて」と言う養子さんは乗り切りました。 「はじめた頃は(パンをつくるのも)子どもが寝たタイミングで!みたいな感じだった」。現在も、3歳の末っ子がいつも一緒です。 天然酵母でつくるパン memさんのパンは自家製の天然酵母でつくられています。イーストではなく、植物や果物からおこした酵母がパンを膨らませてくれます。 「カフェで働いていたときはイーストで作っていたけど、酵母がおもしろくて。その辺に生えているもの、庭のミントやオレガノなどから酵母がおこせるのが面白い!」 酵母の起こし方は、密閉容器に水と果物や植物を入れ、温度管理をして見守るだけ、といたってシンプル。ですが、酵母は生きていて、奥が深いのです。 「面倒を見れば見るほど元気になったり、でもいじりすぎてもダメだったり……。常に気にかける」。家を空ける時は一緒に連れて行ったりもするそうです! memさんのパンを手にとられた際には、ぜひ手塩にかけられた酵母たちにも想いを馳せてみてください。 今後の展望をお聞きすると、「工房での対面販売をオープンしたい!」とのこと。 現在の対面販売は、事前予約制の定期販売のみ。曜日が決まっているので、気になる方はお電話にてお問い合わせください。 【パン・菓子工房 mem】 北海道虻田郡豊浦町船見町127-13 お問い合わせはお電話にて:0142-82-7739 <<委託販売先>> ・天然豊浦温泉しおさい(豊浦町浜町109) :金曜日PM ・天花地星(伊達市末永町58−1) :火曜日PM ※ 日時は変更することがあります。 <<週末イベントに出店することも!>> インスタグラムで都度お知らせしていますので、 ぜひフォローしてチェックしてください。 ↓ ↓
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