
心の伊達市民 第一号
やっと公園も開園した
しばらく閉園していた浜離宮恩賜庭園が、6月1日から開園すると思っていたらそうではなかった。
映画館、美術館、博物館などが6月1日なのに、浜離宮はなぜ4日なのだ!
しかもネットで入場整理券を申し込まねばならないとなっていた。
メールで送信されて来たQRコードを持参して、入園料は別に支払うのだそうだ。
公園はコロナには安全なのだから、そんな面倒なことはしないで欲しいと思った。

環状2号線は築地大橋の上で隅田川を渡る。
前回、浜離宮に行ってからもうずいぶん経つので、最後はいつ行ったかも思い出せない。桜の季節の時も閉園だったし、新緑の時の5月も閉園だった。
中央区からプレゼントされた無料入場券も、使えない内に期限切れとなってしまった。開放的な公園を制限するなら、通勤電車を制限すべきだ。
あの狭い車両に大勢の通勤客や学生が、かなり3密状態で乗っているのを知らないのか!

環状2号線は築地市場跡地で地下化の工事中。
最近は年のせいばかりではないだろうが、腹を立てることが多くなった。コロナのせいだ! しかし小池都知事の行うことは、なんだか良く分からない。
私が理解不足なのかと思い友人達に聞いみたが、私と同じ意見なので多くの人が同じ意見と思っていいだろう。
それは「公園という開かれた広い場所で、なぜコロナに感染するのか?」。全く科学的でない。以前に小池都知事が豊洲市場移転に関して「安全だが安心ではない」と言ったことがあるが、それに似ている。

専用歩道を進むと突き当りには電通ビルがそびえ立つ。
愚痴を言っても仕方ないので、早速、申込6月7日に歩いて浜離宮恩賜庭園に向かった。マンション横の環状2号線沿いを歩き、築地大橋を渡る。
橋を渡ったところで専用歩道を左に行くが、車道は右に行くようになっている。
この道路は橋を渡ったところで、地下に入り旧築地市場の下を通って虎ノ門に続く。現在はそこを工事しているが、オリンピックまでには間に合いそうな感じだ。

浜離宮恩賜庭園に入る専用の石橋。
歩道を進むと、左手は浜離宮となる。
そこには定期観光船の船着き場があるが、公園のオープンに合わせて観光船もここへ止まるだろう。
更に進むと前方に巨大な電通ビルが見えて来る。
そして広い通りに出るが、この道路は築地市場方面から続く「新大橋通り」である。そこを左折すると、すぐ左手の運河の橋を渡ると、そこが浜離宮恩賜庭園の入口となっている。

「300年の松」は今年も元気に生い茂っていた。
入口でQRコードを提示して、体温の測定、そしてシルバー料金の150円を払って入園する。入って左側の「300年の松」が、大きく生い茂っていた。
その先の梅林に行ったら、大量の梅の実が地面に落ちていた。
他の木々も花の季節が終っていて、どこもみんな実ばかりを見せられる。
広い公園内で行き交う人は殆どいない。この時に来ている人は、10人くらいだろうか。

梅林では、熟した梅の実が落ちていた。
ベンチに腰かけて、買って来たオニギリを食べる。
食後はブラブラと園内を散歩して、飽きたので出口に向かった。
入場券売り場のオバサンに聞いてみた。
私 『1日の入場制限の人数は何人までですか?』。
オバサン『2000人です』
私 『それなら予約の必要はないんじゃない?』
オバサンはただ笑っていた。私が思うに、過去に2000人も入ったことは無いと思う。

Margaritariaかな?
(おまけの話)
浜離宮から戻ったところで、股関節骨折で入院していたXさんに出会った。
そこでロビーの椅子に腰かけて、少し話をした。
彼は3ヵ月の入院で退院できたが、普通は4ヵ月だと言っていた。
それが少し自慢のようだ。私は逆に、普通より1ヶ月は余分に掛かると思っていた。そして入院時の面白い話(私にとっては)をしてくれた。

池では海鵜が大騒ぎをしていた。
先ずは退院する時に、医者に言われたそうだ。
『魔の3ヵ月に気を付けて!』。
この意味するところは、誰でも3ヶ月もの入院から退院すると、嬉しくなって無理をしてしまうそうだ。そして3ヵ月以内にまた骨折して、戻って来る高齢者が多いそうだ。
入院中は4人の相部屋だったそうだが、最初の5日間は、必ず個室に入れられるそうだ。これは「相部屋でも大丈夫な人かどうか?」を観察する期間のようだ。

「潮入りの池」の中にある中島の茶店
更に看護師からは、『退院することを、早くから同室の人に言わないように!」言われたそうだ。これは退院当日になり理由が分かったと言っていた。
同室の他の3人は高齢でボケていて、もう退院は出来ない人達だからだそうだ。
3人に退院の挨拶をしたら、その中の2人は無言だったが、羨ましいのか泣いていたということだった。
まだまだ色々と面白い話を聞けたが、私が入院したら参考になる話だった。

今年も健気に木の穴から生えている実生。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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人生は後半戦が面白い。楽輝己書道場・兼子孝子さん
大町ミニギャラリー(伊達市大町3番地7)で11月26日まで楽輝己書(ラッキーおのれしょ)道場の作品展が開催されています。 独特の丸いフォルムが特徴の己書。筆ペンを使って誰でも手軽にできて、「描いて楽しい、見て楽しい、もらって嬉しい」のが魅力です。 会場には笑顔を誘う優しくておおらかで、ユーモラスな作品たちが賑やかに並んでいました。 兼子さんと生徒及び推薦した師範の皆さんの作品 楽輝己書道場の代表・兼子孝子さんは登別在住。「人生は後半戦が面白い。楽しんで輝いて生きましょう!」をモットーに登別、室蘭、伊達、白老、苫小牧、と西胆振中心に、札幌、旭川他、道外でも教室を主催しています。 都道府県ご当地地蔵シリーズ 5年前、知人のFacebookに投稿された己書を見て衝撃的な出会いをしたという兼子さん。それまでは一人で飛行機に乗れなかったそうですが、一念発起して本州に通い師範、さらに上席師範の資格を取得。北海道で己書を広めるため道場を開き、現在は指導者の育成にも力を注いでいます。 今年の作品展は室蘭市民活動センター、旧室蘭駅舎、カフェアンジュリエ登別、のぼりんと続いて大町ギャラリーで年内最後となります。 一番の見どころは壁一面に広がるカラフルな小型のパネル!ひとつひとつに素敵な文字が書かれています。通称「なっとう額」、なんと納豆のフタに土佐和紙を貼った手作りの額縁です。その数なんと544枚! ギャラリーの壁を一眼見てひらめき、お弟子さんたちと力を合わせて展示したそうです。 ほかにも個性的な作品がたくさん! だるまと招き猫シリーズ。かわいい! 「己書は己の書だから他人と比べなくていいんです」と兼子さん。 筆ペンなので二度書き、三度書きOK。筆圧がなくてもかけるので、年齢問わず体が不自由な方や病気の方にも喜ばれるそう。 私も体験させてもらったのですが、一文字一文字、ゆっくり書いていると心が安らぎ、まるでセラピーのような癒しの時間だな、と思いました。 兼子さん「自分の時間が形になって楽しめること。みんなに喜んでもらえることが一番の魅力だと思います。己書に出会ってからご縁がどんどん繋がって活動が広がり今があります。涙が出るほど嬉しいです!」 コロナ禍で生徒さんが教室に来られない状況が続く中、オンラインレッスンを活用して活動の幅を広げ、さらに今年は自宅で己書を楽しんでもらおうと仲間とアマゾンから電子書籍(無料)を出版しました↓↓ 筆ペンで描いた 淳ちゃんとカネちゃんから贈りもの 一期一会を大切に、面白がって新しいことにチャレンジし続ける兼子さん。おおらかな笑顔が己書のお地蔵さんの表情と重なりました。 作品展は2021年11月17日〜26日まで(最終日の展示は13時まで)。 各教室のほか、年賀状講座も募集中です。 手書きでちょっとしたものをサラッとかけるようになり、実用性もかなり高い己書。あなたもはじめてみませんか。 兼子孝子さん 日本己書道場公認 上席師範 楽輝己書道場 代表 090-1388-4716 オンライン幸座も受付中!! Facebook Instagram むしゃなび掲載ページはこちら ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
むしゃなび編集部
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“窯の前の最期” を夢見て〜パン職人 武田 浩一氏の歩んだ道〜
今回の主人公は、『boulangerie ibox 弄月店』の店長でパン職人の 武田 浩一さんです。 浩一さんは山口県出身の55歳。 見かけも感性もとても若々しいお方です。 2023年4月OPENされた『boulangerie ibox 弄月店』は国道37号線の道路沿いにあります。 『社会福祉法人タラプ』を母体にしたこちらのお店は、構想2~3年を経て誕生しました。 そこに店長兼パン職人として抜擢されたのが浩一さんでした。 浩一さんは『ibox』に入社して12年、そしてパン職人としては30年のキャリアをお持ちです。 イラストレーターを目指していた若かりし頃のおはなし 「実は、若い頃はイラストレーターを目指していました。」 と、取材は唐突なお話から始まりました。 「え?フリーのイラストレーターですか!? 若い頃からパン職人を目指していたのではなかったのですね!」 「はい。僕は幼稚園の頃から内気で、新聞の折り込み広告の裏が白い紙を見つけては、絵ばかり描いている子でした。山口県の高校を出てから、18歳で東京の美術系の専門学校に入りました。友達と切磋琢磨をし、新しいものは何か?今は何を求められているのか?を常に探求しながら、プロへの道を模索していました。コンテストにも頻繁に応募していました。入選したりもして、そこそこに評価をしていただきましたが、それだけでは食べてはいけないよな…と、中途半端な自分に限界を感じ始めていたのが24歳頃でした。」 「未練はありませんか?」 「昔の仲間が活躍しているのを見ると、“もう少し頑張ってやっていればよかったかな…”とパン職人に転向したことを少し悔やむ瞬間もあります。いまでも家では時々絵を描きますし、そうそう!ここの店の看板の絵も、幟の絵も、必要に迫られて描きました笑 当時の絵はほとんど処分してしまいました。断ち切るためにね。でもね、正直後悔しています笑」 「もったいない!とっておけばこのお店に飾れたのに!」 「笑 そうですね。あの頃は『アンディ・ウォーホル』『バスキア』『キースヘリング』など、ニューヨークで活躍していたストリートアーティストに影響されていました。 なんていうか、ポップアートの世界って80年代のサブカルチャー的な音楽とも繋がっている。そういうものに刺激を受けながら、「いま、一番新しいものはなんだ!」と、プロのアーティストを目指す友人たちと語ったり、試したりするのが楽しかったですね。」 パン職人として立つと決心したこと イラストレーターの道を諦めようと考えていた浩一さん。 ある日、パン職人の募集広告に目が止まりました。 「いきなりパンですか?」 「はい。パンと絵との間に共通点を感じました。絵は白い紙にゼロからモノを作り出す作業です。そしてパンも同じく何もない作業台に粉を乗せるところからモノを作り出す作業です。どちらも『ゼロから作る』というところが共通していました。」 「なるほど〜。だから抵抗なくこの世界に入れたわけですね。」 パン職人としては2年おきくらいに店を変え、その店の良いところを学んでこられました。 例えば、東京の自由が丘では、全国展開をしているパン屋で働いたそうです。 「様々な形態で店を出している会社でしたが、僕がいたところは粉から作る店だったのがラッキーでした。そこには10年いました。その後、大好きな湘南地域の鎌倉・葉山・藤沢・逗子などの有名店でパン作りの技と歴史を学びました。鎌倉ではチーフを任されていました。」 「湘南が大好きだった浩一さんが何故、北海道にやって来たのですか?」 「たまたま山口の実家に一時帰省していた時、自由が丘のパン屋でお世話になった人に声を掛けられたのです。『いい話があるよ』って。それがiboxのパン職人を募集しているという話でした。その人は伊達市出身の人でした。」 縁とは不思議なものです。 山口県出身の湘南好きな人が、最初にパン修行をしたところで出会った人に誘われて、今は北海道の伊達市にいるのですから。 『boulangerie ibox 弄月店』店長としての浩一さんがが目指す店とは iboxのパンは、今まで修行して来たパン屋のベスト版的なパンだと言い切った浩一さん。 「いろいろな嗜好の方に美味しいと感じていただけるようにバラエティーに富んだラインナップになっています。でも強いこだわりは『本物であること』。例えば、クロワッサンならばフランスの伝統的な技法とレシピで作っていますし、バケットもベースはメソポタミア時代から続くフランスの伝統を大切にした作り方ですし、フォカッチャならばイタリアの伝統的なレシピと技法で作っています。伝統と歴史を大切に、決して色褪せない本物を追求しつつも、やはり地域性も大切にしなければいけないと考えています。それぞれの伝統を重んじながら、どれだけ地域仕様にアレンジできるかが勝負どころです。そして、美味しいということを一番大切にしたい。」 思いがけず壮大なお話が飛び出し、すっかりのめり込んでしまった筆者でしたが、究極の答えにストンと納得してしまいました。 ものすごくシンプルで真理であると思いました。 「材料にこだわる」「地元食材を使っている」「健康にこだわる」「添加物は使わない」というお話は今まで色々なところで伺ってきました。 当然、この言葉の背後には「だから美味しい」と続くのだと思いますし、素晴らしい理念だと思っています。 ところが 『美味しいということを一番大切にしたい』 という答えを、ストレートに伝えてくれた飲食店さんは意外と少なかったことに気づきました。 よく考えれば当たり前の台詞に、目から鱗の気持ちになった筆者でした。 伝統と歴史を重んじる浩一さんの姿勢は 『長年受け継がれて来ているものは美味しいからだ』 という実感と自信の表れなのでしょう。 「boulangerie ibox 弄月店」はね、 街の中で人の集まる中心にiboxがあるといいなと思っています。 だから、月一で『ふくろう市』というタイトルで イベントも開催しています。 店の知名度をもう少し上げたいですし。 それとね、 パンも美味しいけれど珈琲もめちゃくちゃ拘っていますよ! 恵庭の「珈琲きゃろっと」という店の物なのですが、 豆はもちろんのこと、マシンのセッティングもすごいこだわりようです。」 確かに、マシンの珈琲でこれだけ美味しいものは正直経験したことがありません。 本当に美味しい! 「それと、弄月店ができる前、だて道の駅に出店したことも大きかったです。あそこは食材が実に豊富に揃っているので選ぶのが楽しい。基本は地産地消です。でも『美味しいこと』にはこだわるので、地元以外のものも取り入れます。」 浩一さんが迎えたい最期とは 「どんなお爺ちゃんになりたいですか?」 と質問してみました。 「お爺ちゃんになれば、たぶんここは退職をしているから、その時は自宅のパン屋で仕事をしながら死にたいな。ある日、パンを焼いていたらね、タイマーが鳴るんです。でも僕は動かない。そのことに気づいた弟子が覗き込むと僕は死んでいる。最後に焼いたパンを取り出し、弟子たちがみんなでそのパンを食べる。みんなでってところが大事。そんなストーリーが僕の中では出来上がっています。」 泣きそうになりました。 その姿が映像で浮かんだからです。 そして、イラストレーターの道に今でも未練を感じていると語っていた浩一さんはもうそこには居ませんでした。 最期はパン職人として死にたいと語りました。 良かった…。 心からそう思いました。 取材の間中、絵本を捲るような物語をお聴きし、歩んでこられたその道を振り返りながらも、しっかりと最期を見ているお姿とパンが重なりました。 浩一さんが捏ねた全てのパンを味わってみたくなった筆者です。 ―boulangerie ibox 弄月店 情報― 〒052-0013 住 所 伊達市弄月町59-35 定休日 月曜日(不定休あり) 電 話 0142-82-8310 E.mail takeda.kouichi@tarap.org
Rietty
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