心の伊達市民 第一号

嵐山光三郎のエッセイ集「生きる」を読む  

図書館で嵐山光三郎のエッセイ集「生きる」を借りて来た。
嵐山光三郎は私の中学・高校時代の同級生で、その頃から少しみんなと違っていた。
このエッセイは有名な文士と、自分の周りの人達の死について書いている。
なかなか面白い、お勧めの1冊である。

嵐山光三郎は同級生だから、ケナすわけにはいかない。褒めるしかないのである。
私もこの年になると多くの友人の死を見て来たので、嵐山光三郎に倣って私の周りの死について書いてみた。



「生きる」★★★


Xさんは私より年下だったが、ある時に自分の商売の筋弛緩剤を飲んでアチラヘ逝ってしまった。
彼は霊感が働く男で、一緒に出掛けると駅などで「そこに飛び込み自殺をした男の霊がいる」なんて気味の悪いことを言ったことを覚えている。

博打が好きなXさんは株式投資と不動産投資で、バブル崩壊でどうにもならなくなってしまった。
葬儀に参列したら、1人娘が出棺の時に大きな声で「ひろしバンザイ!」と父の名を叫んだのには驚いた。



都営浅草線「浅草駅」(今回の写真は8月26日の浅草です)


同級生のI君の商売は、私と同じく工業経営だった。
都内の小さな工場用地が地上げにあい、相当な金額を手にした。
そして山梨県に大きな工場を建設した。

しかし当てにしていた取引先は注文を出してくれず、経営が行き詰ってしまった。

そしてある時、車の中で焼身自殺を図ってしまった。葬儀に行ったら、既に骨壺に入っていた。



雷門に記念撮影する観光客がいないのは珍しい。


都内でケーキ屋を経営していたE君は、なんとコロナで亡くなった。
同級生が怖がって誰も葬儀に行かない中を、私は1人で葬儀に参列した。

仲良くしていたこともあるが、中学1年の時に彼の家に遊びに行ったらお母さんから言われたことがある。『あの子はもらいッ子なので、ズーと仲良くしてね』と。
そのお母さんは10年ほど前に、風呂に浸かったまま亡くなった。



仲見世通りにはチラホラと観光客が戻って来た。


東京の西の外れに住んでいた同級生のZ君のことである。
ある日、私が家に居ると電話がかかって来た。
『いま俺はお前のマンションが見える場所にいる、そこから見えるか?』

彼は築地場内市場に、地元の商工会の見学会で来たと話していた。
学生時代は悪だったのに、引退後に民生委員をしていると聞いて驚いた。
最近になり、同級生の連絡網で彼が亡くなったと知らせがあった。
心筋梗塞だったらしいが、緊急事態宣言下なので葬儀には参列出来なかったのが残念だ。



「浅草寺」の本堂の掲示板。


A君はヨットで世界一周の旅に出て、死なずに戻って来た。
それなのに、福島原発事故のボランティアで出掛けた先で、交通事故で亡くなってしまった。
B君は歌舞伎町で2軒の店をやっていた夜の帝王だった。
修羅場を潜り抜けて来ただろうに、病には勝てなかった。

他にも多くの友人達が鬼籍に入ってしまった。
生き残っている私を、彼らはアチラで待っているだろうか?
出来れば「ほどほど」で、飽きられる前に人生を終りたい。



浅草寺本堂内の天井画。


最後は死に損なった友人の話である。
同級生ゴルフコンペで、S君と同じ組になって1番にスタートした。
2番ホールに来た時にS君が「気分が悪い」と言ったので、私は『カートに乗って休んでいて』と言った。

その時、同じ組に漢方薬の薬局経営者がいて、『これはおかしい』と言って持っていた漢方薬を口に含ませた。そしてクラブに連絡して、迎えに来てもらった。
ゴルフが終ってから詳しい事情を知ったのだが、S君は心筋梗塞で、あのままだったら死んでいたそうだ。危うく私はS君を殺すことになってしまうところだった。ご免なさい。



浅草寺の右隣にある「浅草神社」(三社祭はこちらのお祭り)



(おまけの話)
私の父は胃がんの末期症状で、私が25歳の時に56歳でアチラへ逝った。
私は22歳でニューヨークで手紙で『あと半年の命』と知らされた。
医者は『手術をして死ぬかもしれない』と言ったので、帰国後に手術をするかどうか家族で話し合った。

当時は癌の告知をしない時代だったのだが、『何もしない』という結論は出せなかった。
手術をしたが、癌が大き過ぎて摘出は出来なかった。
それでも本人は胃潰瘍の手術をしたと思っていたので、手術後は元気になった。
そして3年後に、本人は癌と分っていたと思うが静かにアチラに旅立って行った。



浅草六区通り(ここから多くの喜劇人が巣立って行った)


私の母は86歳で天命を全うした。
ある日の朝、ベッドの脇で亡くなっていたのである。心臓発作で突然死だった。
夜中にトイレに行って、ベッドに戻る途中で亡くなったのであった。


元々、母は心臓の具合が悪く、ペースメーカーを埋め込んでいた。
夫が亡くなってから、35年くらいは1人でいた。
70歳を過ぎた頃には友人達も亡くなってしまい、『つまらない』というのが口癖だった。



「ひさご通り」にあるラーメン屋「めんまる」は私の贔屓店。             緊急事態宣言で長く休んでいる。


私は父の亡くなった年を23年も越えてしまい、母の亡くなった年に近付いて来た。
死ぬのは全然、怖くも無いし、嫌でもない。「運命が決める」ことであると悟っている。
両親のお墓は八王子の奥のお寺にある。

新型コロナウィルスの蔓延で、この2年間は墓参りにも行っていない。
10月の父の命日には、なんとか墓参りをしたいと思っていて、帰りには友人のY君に会おうと思う。
結局は『人は死ぬまで、生きる』のである。



浅草名物の遊園地「花やしき」もお客はいない。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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