人はいつかは必ず死ぬ。
交通事故や脳溢血などで本人の知らない間の死は別として、「死ぬ間際にはその人の人生が走馬灯のように駆け巡る」という話が昔からある。

「走馬灯」をネットで調べたら、『別名「回り灯籠」、「影灯籠」とも言い、内枠は丸形で色々な切り紙絵を貼り、外枠は角形または丸形の二重灯籠とし,中央の軸で内側が回転する。中の蝋燭に火を点けると、上昇気流で内側が回転し、切り絵の影が回りながら外枠に映って見える』とあった。



四谷駅から5分の路地を入ると「わかば」がある。


これは海外でも起きている現象のようで、『パノラマ記憶」という名称で認識されているそうだ。
イギリスでの研究によると、『パノラマ記憶とは、もの凄いスピードで蘇る人生の記憶を映画を見るように客観的に見る体験であり、しかもその記憶は1つのスクリーンに映し出されるのではなく、複数のスクリーンに同時に一斉に映し出される。そこにBGMのように音楽が流れる場合もある』とあった。
ここにも文化の違いが現れていて、欧米では日本と違い派手なようだ。



「わかば」が夏場は「かき氷」をやっているとは知らなかった。


私が死ぬ時に「人生の走馬灯」を見られる確約は無い。
そこで最近の私は生きているのに、寝ている時に走馬灯のような夢を見るので、その話を書いてみた。

時には「うなされる」こともあるようで、女房が『昨夜はどうしたの? うなされていたわよ』と言う。
隣室で寝ている女房が分かるくらいだから、かなり大声なのだろう。
そんな夜の朝は、起きた時になんだか酷く疲れている。



店内から外を見る。(入口右側で「タイ焼き」を焼いている)


私の見た走馬灯は、人生の最初から最後までではない。
途切れ途切れなので、正確には「夢」なのかもしれない。
子供の頃のことが登場することは殆ど無い。多分、ボーとしていた子供だったのだろう。

割合に頻繁に登場するのは、大学時代から社会人になった頃の映像である。
私にはもっと激しかった時代があるのに、それは登場しないが何故なんだろう?



かき氷のメニュー(店内は3人がやっと座れる)


今回は大学4年の時の卒論の為に、理化学研究所で1年近く過ごした時の話である。
以前は巣鴨にあった研究所に、卒論の指導教授のA教授に連れられて同級生の5人で行った。
そこにはA教授の師匠格の東大のX教授がいた。

私の夢に登場する場面は、赤坂の和服姿の芸者さんが四谷の鯛焼きの名店である「わかば」の鯛焼きを沢山買ってX教授ところへ持って来た場面である。



「氷あずき」(600円)


彼女は2~3ヵ月に1度くらい顔を見せたが、私達にも振舞われる鯛焼きが美味しかったのを覚えている。
いま思うと、その芸者さんはX大先生に「ツケの支払いをもらいに来ていた」のではないだろうか?
私は引退してからその鯛焼き屋を探しに四谷に行ってみたが、路地裏にある「わかば」はいつでも長い行列が出来ていた。(今回は改めて、写真を撮りに行った)

指導教授のA教授も亡くなってしまったので、大先生も鬼籍に入っただろう。
その時に一緒だった同級生はいまもたまに会っているが、私が鯛焼きの話をすると「知らなかった」と言うが、ボケて忘れてしまったのだろう。



「氷あずき」で体が冷えて「たい焼き」(1匹180円)も食べた。


X教授の研究室には大企業3社から、3人の研究者が派遣されて来ていた。
私達はその研究者の助手をするだけで、自分達で研究はしないし難しくて出来ない。
彼等に言い付けられた仕事をするのだが、その時に「なんと頭の良い人達なんだろう」と思った。

東大を出て、一流企業に入り、しかも研究者になるとはどんな人なんだろと感心した。
幸いに秀才によくありがちな「人を見下したり、偉そうにしたりしない人」で助かった。



帰りに「タイ焼き」3匹、「みたらしだんご」3本を買った。


(おまけの話)
ある時、研究者から『この数字を5倍して、この表に書き込んでくれ』と言われた。
小数点の付いた5桁くらいの数字に5を掛けるのは簡単ではない。
今なら電卓があるから簡単だが、当時は電卓が無いので紙に書いて計算していた。

私がモタモタしていたら、研究者が私に言った。『5倍にするのは2で割り、1桁上げればいいんだよ。それなら暗算で出来るだろ』。その時にも頭の出来の違いを痛感した。



地下鉄丸ノ内線「四ツ谷駅」


研究所には本職の助手のKさんがいた。
彼は高卒で理化学研究所に就職し、この研究室に配属になったらしい。
年齢は同じくらいで、もう4年もいるから相当に仕事が出来る。

しかし彼とはやり難かった。我々は全く意識をしていないのだが、高卒が劣等感らしく、なにかと我々に辛く当り張り合うのである。我々はそれでも態度を変えなかったら、1年くらいで彼も態度を変えてくれたのは良かった。



地下鉄「四ツ谷駅」から徒歩5分の「迎賓館」


1回に見る夢は1話だけである。1晩に2話が登場することは無い。
今は全く見ることが無くなってしまったが、10年くらい前にはごくたまにエロい夢を見た。
肝心のところで目が覚めてしまうので、どうしても続きが見たくなる。

そこで『今夜は昨夜の続きを見たい』と念じて寝るのだが、続きを見られたことは1回もない。
人生最後の走馬灯で続きを見られたら、安心してアチラに逝けるのだが・・・。
「人生の走馬灯」の話は今回だけでは書き切れなかったので、またチャンスがあれば書いてみたい。



最近、完成した「四谷コモレ」高層ビル1階(駅から1分)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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