心の伊達市民 第一号

人生いろいろ・・・職業編

久し振りの「人生いろいろ」である。
今回は「職業編」として、私の現役時代の思い出深い人に登場してもらうが、みな鬼籍に入ってしまった。
仕事を通じて多くの人と出会い、色々と勉強もさせられたし、金銭的な損害も被った。でも今になってしまえば、それも含めてみんな良い思い出で、「人生いろいろ」である。



人生はエスカレーターのように、上りも下りもある。


最初はAさんである。彼の会社とは得意先という関係だった。
彼は自分で会社を興し都内に小さな自社ビルを持っていたので、まあまあの成功者である。そんな時に日本をバブル景気が襲ったのである。

彼は隣接地を買い上げて、自社ビルと繋げた変なビルを建てた。
そこへバブル崩壊が起り、どうにも動きが取れなくなった。だが彼はしぶとく頑張り銀行と交渉し、会社は無くなったが破産は免れた。私の会社は不渡り手形で被害を受けた。



注意書きだらけのエスカレーター(大江戸線・西新宿駅)


同じ業界の得意先に関西の会社があり、Bさんが社長だった。
彼は養子で、義父である社長は社員に対して『Bを社長にしない。みんなの中から適任者を選ぶ』と言っていた。ところがその約束は破られてしまい、Bさんが社長になった。

そして内部紛争が起き、その少し後にバブル崩壊が襲ったのである。
会社名義で多額の株式投資をしていたので、金策尽きて倒産となった。私の見たところ、彼は経営能力が無かったので、バブルが無くても駄目だっただろう。私の会社は不渡り手形で被害を受けた。



台風16号で翻弄される植木のような人生もある。


次のCさんも同じ業界に属していた得意先だった。そして彼はBさんと同じく養子だった。彼は穏やかな人柄で、マージャンもしないし、酒もあまり飲まないので信頼していた。
取引金額はそれほど大きくは無かったので、定期的な信用調査もしていなかった。

ある時、全く付き合いの無い会社から私の会社に大きな注文が入ったので、直接取引を避けてCさんの会社を仲介にした。そして「目出度し目出度し」と思っていたら、支払日にCさんの会社は倒産してしまった。
かなりの金額の被害を受けた私の会社は、『仲介しないで、直接、取引すれば良かった』と思ったが、後の祭りである。



命綱1本で渡る人生もある。


DさんはBさんの会社の社員で、当社を担当していた。
ある時Dさんは『独立したいので、応援して欲しい』と相談に来た。
Bさんの会社はあまり業績も良くなかったので、Dさんの独立を応援して客先の廻し手形での取引を始めた。

数年も経つとDさんの会社は順調に育ち、経営が安定して来た。
するとDさんは私の会社に過剰な値引きを要求して来た。自分だけ儲けたいのである。
それに嫌気が差した私は、段々と取引を縮小して行った。他人の恩は忘れてはいけないのである。



銀座通りも裏に廻れば・・・(人生には裏もある)


業界は違うがE社である。ここのE社長は新潟県の出身で、ある程度の成功者である。私の会社はE社に機械を納入していた。ある時、「故郷に錦を飾る」ということで、出身地の新潟の小さな町に工場を建てた。私はE社長に気に入られて、自宅でお昼ご飯をご馳走になったりしていた。


その会社の創立10周年記念パーティで、隣り合った人がE社長の古くからの友人だった。彼の話では『Eさんはサラリーマンの時には競輪、酒に溺れてロクな奴じゃなかった。心配して俺が今の取引先を紹介して独立させた』と言っていた。人には運も必要だと思った。



会社に向かうサラリーマン(有楽町ガード下から)


私の会社の仕事で、機械加工をお願いしていたF社があった。
元々は私の会社が輸入機械を扱っている、小さな会社であるF社から機械を仕入れる立場だった。
しかし同じような国産機械が出回り、F社の機械は売れなくなったのである。
そこで私の会社がF社に機械加工の仕事を出すようになった。


ある時、起死回生を狙ったのか畑違いの仕事に手を出して失敗し、破産して住む家も無くなってしまった。
そして長野県の方でトラック運転手をしていると、風の便りに聞いたのである。
「人生いろいろ」である。



人生には「青空」の日もある。


(おまけの話)
私の会社の取引先に1部上場企業のX社があり、付き合いのあった事業部には3人の部長がいた。年長順に書くと、Mさんは「鼻毛のM部長」と陰で言われていた。
彼は酒を飲まないし麻雀もしない。

住まいは私と同じ方向だったので、時々、私の訪問時は帰りに一緒に私の車で家まで送って行った。
困るのは酒を飲まないので甘い物が好きで、カフェをハシゴするのである。
私がM部長を家まで送る時は、カフェのハシゴを覚悟していた。



銀座ワシントン靴店の壁画(他人の人生を覗く)


Kさんは私の会社と取引が始まった時は、課長だった。
当社との取引がX社の彼の部門の成績を飛躍的に上げて、運良く部長になった。
しかしM部長が種を蒔いてKさんが刈り取ったのであるから、サラリーマンは「運が左右するなー」と感じた。

彼は麻雀とゴルフが好きで、私は何回も付き合った。
奥さんが良く出来た人で、ゴルフの帰りに家まで送るとチョットしたお土産を用意していた。
そして大会社には珍しく、高卒なのに事業部長まで上り詰めたのであった。



ある日のNY/Times Squareで集団ヨガ(LIVE CAMERAから)


最後のIさんはKさんに遅れて部長になった。
その少し前に一緒に私の車に乗ったら、『なぜ俺が部長にならないで、Kが部長になったんだ?』と言った。私はその理由を知っていたが、言えなかった。


彼の部下は得意先にI部長を連れて行くのを嫌がっていた。
大会社の部長なのに、万年ツンツルテンの背広を着ている。M部長がある時、私に言っていた。
『Iは部長の給料をもらっている。それには部長に見合う服装代も含まれている』。

多くのサラリーマンを見て来た私は、「課長には誰でもなれるが、部長から上にはなれない人」が分かるようになった。



「長林英樹信士」の墓碑(両国・回向院)      美人画の浮世絵師の鳥居清長の戒名

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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