「鬼平犯科帳の地を行く」の第2日目である。
本当は1回目で止めようかと思っていたが、「あと1回だけ」と思って家を出た。
今回は「押上村コース」である。案内書を見ると、行き先は私の良く知る地域だった。
このコースは「橋」と「お寺」が「ゆかりの地」なので、現在も実在していると思い選んだのである。



「吾妻橋」を下流から見る(浅草寺は川を渡って左に行く)


この日はもう秋なのに気温が高く、歩いていても汗をかく。
道行く人はみんなマスクをしている。私もマスクをしているが、「外でマスクは必要なのか?」と疑問に思っている。

そんな時に麻生大臣の発言があり、私は誰か言わないかと思っていたので「良かった」と思った。
麻生大臣の発言は、『医者のいう話もコロコロ変わってよくわからんね。ほんとに大家なのか我々わからないですけど』などと前置きした後に続けたが、その先は「鬼平」とは関係無いので省略する。



「如意輪寺」は小さなお寺だった。


マンションの前から都バスに乗り、「吾妻橋」で降りた。そして先ずは隅田川に架かる「吾妻橋」を撮影してから、前日に観光協会からもらった地図を地図を頼りに如意輪寺に向かった。 浅草から東京スカイツリーに行く時に通る道から、少しだけ横に入ったところに小さな如意輪寺があった。
小説ではお寺の前の花屋が盗人宿となっているが、もちろん今は無く民家でオヤジが外を眺めていた。



「枕橋」はどうということもなかった。


次の「枕橋」は現存していて、昔は小説でも「源兵衛橋」と呼ばれていた。
そこから少し離れた三囲神社は裏門が素敵だ。昔はこちら側が正門だった。
ここは鬼平犯科帳では「剣客商売」でお馴染みの寺である。

昔は隅田川の山谷側に「竹屋」という名の船宿があり、こちら側には「都鳥」という掛け茶屋があった。
対岸に向って「タケヤー」と船を呼ぶ女将の美声が有名だったそうだ。



「三囲寺」は昔はこちら側(隅田川)が正門だった。


三囲(みめぐり)神社を出て水戸街道を歩いていたら、向かい側に行列が見えた。 看板を見たら「手打ちそば 角萬」と書いてあり、なぜか若者が20人以上も開店を待っていた。 その時は「ラーメンじゃないのに、なぜ若者が日本蕎麦に並ぶのかなー」と思った。 そこで私も道路を横切り、列の最後に並んだ。
40分も並んで店内に案内された。 壁に張り出されたメニューから、「ざるそば」を注文した。



太い硬いざるそば(角萬)


店内は12人ほどでいっぱいで、食べている人を見たら全員が「肉なんばん」を食べていた。しかもその「肉なんばん」の量が多い。丼からはみ出るほど、肉が山になっている。そして若者が並んでいた理由が分かったのである。

私の頼んだ「ざるそば」は、蕎麦がうどんと同じくらいに太い。 コシもあり、食べ難い。更に冷たくない。無理をしてやっと食べ切ったが、「行列の出来る店は美味しい」とは限らないと知った。



「常泉寺」まで来ると、東京スカイツリーは目の前だ。


蕎麦を食べてから、また歩き出した。
蕎麦屋のすぐ近くに「常泉輪寺」はあった。しかし残念ながら、どうというほどの寺ではなかった。
そして最後の「業平橋」に向かった。この橋は東京スカイツリーの足元にあり、これで今回のコースは終りだ。 今回はあまり面白いところも無かったので、東京スカイツリーでお茶をしてから都バスに乗った。



「業平橋」は東京スカイツリーのおひざ元。


(おまけの話)
かなり前だがレンタカーを借りてパリからモナコまで、私の運転で家族で6泊でドライブ旅行をしたことがある。4泊目の日だと思うが、マルセイユで宿泊先を探していた時に女房が言った。


『以前に読んだ池波正太郎の本に「ル・プティ・ニース」というオーベルジュがあると書いてあったので、そこへ行ってみましょう』。地元の人に何回も聞きながら、細い路地を入った突き当りにそのオーベルジュはあった。



最近の写真を見たら、リニューアルして以前と少し違っていた。       プールの場所が、昔はテラスレストランだった。


鉄格子の門の前で立ち往生していたら、自動で門が開いた。
中に入ったら、オーナーが出迎えてくれたので、その夜の宿泊をお願いした。
オーナーは私達が日本から来たと知ると、喜んで応接室に案内してくれた。


そして大きな立派なサイン帳を持って来て開いた。
そこには「池波正太郎」、そして現在の天皇陛下が皇太子時代に来た時のサインがあった。



東京スカイツリーは高いので、近くから撮影するのは難しい。


外が暗くなり食事時間になったので、地中海に面したテラスに出て行って驚いた。映画に出て来るような場面で、女性はドレス、男性はタキシードの人ばかりだった。私達は一応は恥ずかしくない程度の服装だったので良かったが、かなり緊張した覚えがある。

メインディシュは「スズキ」だったと思うが、他は覚えていない。
翌日の清算の時には、驚くような請求額だったがカードで支払った。
あれが私の人生で、一番の贅沢だった。



青空にそびえ立つ「東京スカイツリー」の雄姿。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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