冬になり、陽の落ちる時間が早くなった。
そうなると出掛けている時の私は年のせいで、「暗くなる前に、家に戻ろう」と考える。

元々、私は酒を飲まないので、酒飲みのように暗くなっても嬉しくならない。
でも暮れが近付き都会のイルミネーション情報を耳にするようになると、なぜだか暗い中を写真を撮りに行きたくなる。毎年恒例の写真撮影が、私の義務になっているような気がしている。



銀座4丁目付近「都バス内から」


午後5時になるともう暗いしイルミネーションも点灯する時間なので、近場のイルミネーションを見に行った。今回は新橋、日比谷、東京駅、銀座に行くことにした。

先ずはマンション前からBRTに乗って、新橋(汐留)まで行った。
今年は昨年に続き、汐留のイルミネーションが中止となっていたのが残念だ。
近隣の4ヶ所だけなら、夕食の午後7時までには家に戻れるから安心だ。



丸の内仲通りのクリスマス・ツリー


「BRT新橋」停留所から5分ほど歩いて、JR新橋駅前に出る。
ここには蒸気機関車(SL)が置いてあり、今の時期は運転台にサンタクロースが乗っているのが見える。
大勢の人達がSLの前に立ち、友達と待ち合せをしている。
午後5時になり、音楽と共にSLにイルミネーションが灯った。



新橋駅前のSL前(午後5時少し前)


待ち合せの人達は一斉にSLの前を離れて、スマホを出して撮影する。
みんな写真を撮る人の為を考えて、SLから一定の距離を置いて立っている。
そこに若い2人の女性が来て、自分達だけ前に出て撮影を始めたのには驚いた。
『邪魔だ』と言えば、『そんな法律があるの?』なんて言われそうなので黙ってその場を離れた。



午後5時になると、SLはライトアップされる。


次は日比谷MIDTOWNである。新橋駅から歩いて10分くらいである。
LEDランプが日比谷の映画館通りの木に取り付けられていて、それが白、赤、ブルーと時々、色を変える。
大勢の人が出ていて、イルミネーションを楽しんでいる。

広場に出たら、小さめのクリスマスツリーがいくつも飾られていた。
人が多過ぎて画面に人が入らないチャンスは無く、写真を撮るのが難しい。



日比谷のイルミネーションは3色に変る。


3密ではないが、「2密」状態なので、ここは諦めて丸の内仲通りに行く。
行ってみて驚いた。こちらはもっと混雑している。
仲通りではイベントをやっているし、ビルの中には大きなクリスマスツリーが飾ってある。

多くの人達はそれを見に来ているのだろう。ストリート・ピアノがあり、その周りは人だかりがあった。
みんなコロナ自粛に飽きてしまい、外へ出て来たのだろう。



丸の内仲通りは大混雑。


私は人混みが嫌いなので諦めて、都バスに乗って帰ることにした。
銀座4丁目交差点に差し掛かった時に、急に思い立ってバスを降りた。
4丁目から銀座通りを新橋方面に向かって歩いて行った。

夜の「銀ブラ」の人達が大勢出ていた。ブランド店のショーウィンドーが美しい。
でも6丁目を過ぎると、歩いている人は少なくなる。
そのまま進み新橋からBRTに乗って家に戻ったら、丁度、夕食時間だった。



銀座通りの「GINZA SIX」


(おまけの話)
最近はなんでも「年のせい」にしたがる私だ。
「寒がる」は、いつも女房と揉める。居間の暖房温度の設定で、お互いに意見が合わない。
いま思い出したが私のオヤジも寒がりで、いつも母と「暑い」、「寒い」で揉めていた。

年を取ると男は体温が低くなり、それで寒がりになると私は思っている。
その証拠に店に入る時の検温で、いつも私は36度に届かない。



MIDTOWN日比谷前のライトアップされた階段。


「年のせい」だが、そもそも「年のせい」なんて言い出すことが「年のせい」だと気が付いた。
しかし中には若ぶって無理しているジジイを見ると、『無理をしなさんな!』と言いたくなる。
すごく若い時は「早く年をとりたかった」。若造扱いされるのが嫌だったからだ。
40代から50代の頃になって、やっと「年相応」に見られるようになり、そのように扱われた。




東京駅丸の内口


小さい頃は家族からも、友達からも私は愛称で呼ばれていた。
学生時代は友達からは「名前」で呼ばれた。同級生に親戚がいて、苗字が同じだったからである。
大学に入ったら、なぜか愛称に戻った。それは友人達が我が家に遊びに来た時に、母親が私を愛称で呼んだからである。


以前に住んでいた地元では、仲間内ではみんな「ちゃん」付けだった。
いい年をしたオヤジ達が「XXちゃん」と呼び合うのも、なんだかきまりが悪かった。




資生堂パーラーと「花椿通り」


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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