
心の伊達市民 第一号
落選 12連敗
昨年も1年間に7ヵ所のフォトコンテストに応募した。
最近は応募者の技術レベルが上がったのか、残念だが私は全てのコンテストに落選した。
団塊の世代が後期高齢者となり、趣味でカメラを始める人が増えたせいもある。
2020年にも5ヶ所に応募して全て落選だったので、なんと12連敗中である。

【行き交う人々】(中央区観光協会)
カメラメーカーやプリンターメーカーの主催する写真展はレベルが高過ぎて、私程度では恐れ多くて応募出来ない。フィルムメーカーの写真展は自社の印画紙にプリントして提出することが義務付けられているので、これは面倒で応募したくない。
もっとも私とはレベルが違い過ぎて、応募する気にならないのだ。
私の応募する写真展は、全てネットで応募できるものだけだ。これなら気楽に応募できるが、他の人も同じように考えているのだろう。

【太陽の中を飛行】(港区観光協会)
最近のスマホはカメラの性能が上がり、一眼レフと遜色ない画像が撮れる。
だからカメラメーカーは販売台数が減るばかりで、経営的にも困難になって来ている。
しばらく前にカメラメーカーは「ミラーレス・カメラ」を発売した。
これは軽くて持ち運びが楽だ。でも私はまだ昔のミラー式である。
買いたいとは思っているが、わずかな持ち株も値下がりしていて手元不如意である。

【都会の中の大自然】(千代田区観光協会)
普段の私はコンパクトカメラを持ち歩いている。
出先で見付けた面白い光景や風景を撮影し、それをこのブログに載せている。
思い掛けない光景に出会うこともあるのだが、そんな時に限って一眼レフカメラを持って来ていない。
改めて一眼レフカメを持って出直しても、もうその光景は無い。
「その時、そこに居る」が撮影の絶対条件なのである。

【天井まで続く本】(文京区観光協会)
写真展に応募する写真は、そのつもりで出掛けて撮影している。
でも私の応募する写真展は都内の観光協会の主催が多いので、どうしてもコンパクトカメラで撮影した写真になってしまう。
一眼レフカメラで撮影した写真は7枚の内の「港区観光協会」、「日本の交通展」、「福島県観光協会」の3枚だけで、残りの4枚はコンパクトカメラでの写真である。でも見比べてみたら、大した違いは無かった。
それが落選の理由かもしれない。

【自然と共生】(江東区)
古い写真を後から見ると、その時の思い出が蘇る。これがカメラの趣味の良いところかもしれない。
ボケ防止と健康の為に、ただ歩くのでは飽きが来てしまう。
そこでカメラを持って歩きまわることになる。歩き廻るために情報を収集する。
帰宅したらそれをパソコンに取り込み、文章を考えて写真を添えてブログに掲載する。
これで「ボケから遠ざかれる」と、私は勝手に思っている。

【夜の街を走る東京BRT】(日本の交通写真展)
それにしても2年間も入選が無いのは侘しい。
自分の応募した写真をジッと眺めても、「悪くないんだがなー」と思う。
審査員の「見る目が無い」と、言いがかりを付けたくなる気持ちを抑える。
「もう写真展への応募は止めようか」と1昨年の作品落選で思っていたのに、去年もまた応募してしまった。こんなことを繰り返しながら続けるのが「趣味」というものなのだろう。

【けあらしの中を】(福島県観光協会)
(おまけの話)
1回のブログに10枚の写真を使っている。
使う写真は撮影した写真の中から選んでいるので、実際に撮影した写真の枚数はその5倍ほどある。
昨年は日曜日を除き毎日ブログを投稿していた。
日曜日は102日あったので、平日と土曜日を合計すると263回の投稿である。
すると使った写真は263回×10枚=2630枚という膨大な数になる。

「真っ赤な夕焼け」(自宅の窓から)
2630枚の5倍ほどの撮影をしているから、総数では1万3150枚となる。
旅行に行った時はもっと撮影枚数は多いし、その他にブログに関係ない写真がある。
それらを合わせると、多分であるが、私は1年間に1万5000枚くらいの写真を撮っている。
それを引退してから20年くらい続けているのだから、考えようによってはカメラは安い。

「晩秋のはとば公園で」(隅田川)
マンションのデジカメクラブのメンバーは高齢者が多いので、昔のカメラ事情を知っている。
彼等に聞くと、『シャッターを押す時は、かなり慎重だった。なぜからフィルムも高かったし、もっと高いのが現像だった。だから写真撮影はお金の掛かる趣味だったので、今のように誰でもやることは出来なかった』。
そう言えば、私も最初の頃はフィルムの時代にカメラを始めたのだった。今のようにデジタルでなかったので、あまり現像しなかったのか、殆ど写真が残っていない。今では現像の必要も無いので、パソコンの前に座ればいつでもファイルから見られる。便利な世の中になったものだ。

「冬間近の東京駅」(丸の内南口)
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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08/13(火) 【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
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06/19(土) 心も体も幸せになるお菓子「こりんご」
今まで何度もお土産としていただき、ずっと行きたかったお店にようやく行けました。 初めてこちらのお菓子を口にした時のあの幸福感が忘れられません。 材料を厳選され、デパートなどで売られているどんな高級高価な焼き菓子よりも感動を覚えました。 ↑りんご色の看板が目印です。 その時は、袋に付けられた材料表示を見て一応納得しました。 でも、それだけならば高級高価なお菓子以上に美味しい理由の説明ができません。 その謎をずっと知りたいと思っていました。 ↑どれもこれも本当に幸せの味でした。 そのお店は駅前の「やきがし こりんご」さん。 響きが柔らかいひらがなの店名にしたいと考えていたときに、ご自宅のお庭にあった小さな実をつけるりんごの木を見て閃いたのだそうです。 2014年にオープンしたお店は、オーナーでありお菓子製作者の山木麗子さんがお一人で切り盛りしていらっしゃいます。 「営業日は木・金の二日間だけですが、月曜日~水曜日まで3日間焼いています。」 と話しておられた麗子さん。 それ、納得です。 並ぶのは小さなお菓子なので、ぱっと見た感じは少なく見えますが、なんと20種類以上ならんでいます。 筆者も経験者として作業工程が分かるだけに、朝から晩まで休む間もなく動き回る麗子さんの姿が目に浮かぶ様でした。 それなのにとてもお安い。 都心部や観光地ならば、きっと2倍~3倍のお値段だと思います。 でも、見た目も味もクオリティーはとても高いです。 麗子さんとお話をしていて、「何故、高級菓子店のものよりも美味しいのか?」という謎がようやく解けました。 それは「母の愛」でした。 ↑ヨーヨーをモチーフにした電笠も可愛い。 決して毒々しくない赤いりんご色の使い方に麗子さんのセンスを感じます。 「卵は平飼い、小麦は国産、ショートニング・マーガリンは使いません。一部使っているベーキングパウダーはアルミニウムフリー。 “こりんご”のお菓子は、お母さんが子どもに安心して食べさせてあげられる“おやつ”として存在したいと思っています。 体に良いものに徹底的に拘ろうとするととんでもなく高いものになってしまいます。子どもの“おやつ”ではなくなってしまう。だから、せめて体に悪いものは使わない というところには拘っています。」 ものすごく納得。 麗子さんのお菓子作りは、母が子を想う気持ちで作られていたのでした。 初めて食べた時あんなに幸せになった理由がようやくわかりました。 広島ご出身で大阪育ちの麗子さんはお話もとても面白い! 子育ての話。 お菓子作りの話。 経営の話。 ついつい取材を忘れて話し込んでしまった筆者です。 仕事のお昼休みに飛んでくるという常連さんたちは、きっとそんな麗子さんの魅力にも引き寄せられているのだと思います。 実はこの日、今シーズン最後のレモンパイを買って帰りました。 キャラメリゼされたパイが本当に本当においしかった~! 秋に販売されるという壮瞥りんごパイが今から楽しみです。 「お店のコンセプトは、見て可愛い。食べておいしい。」とおっしゃっていましたが、正にその通りのお店でした。 美しいオーナー麗子さんですが、写真はパスでした。 楽しいトークと、おいしいおやつ。 小さな小さなお店ですが、大きな大きな幸せを提供してくれます。 店舗情報 「やきがし こりんご」 住所 伊達市山下町362番地 電話 080-1885-4703 営業 木・金 11:00~16:00 ただし、7月第3週目は休業 夏休みもあるので、7~8月はFBで要確認↓↓ https://www.facebook.com/ringo.koringo ※ 記事の内容は取材時の情報に基づいています。営業日やメニューは変更になる場合があります(取材2021年6月)
Rietty
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07/05(月) 便利屋の域を超えた「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」&「シンタ」代表 宇井尚さん
伊達市大滝区の外れに位置する山奥に宇井尚さんの「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」はあります。 宇井さんは、自然に恵まれた札幌市盤渓で生まれ、毎日自宅の裏山や小川で遊んで育ちました。 実に、現在住むところにそっくりな自然環境です。 これからの季節は枝打ちや草刈りの依頼が多いそうです。 今のお仕事の背景には、知的障害者のためのグループホームを運営していたお父様の影響が強くあるそうです。 ご家族で、そのグループホームの利用者さん達と共同生活をしていたという経験は、宇井さんが目指している「あらゆるものとボーダレスに関わり合える環境作り」に通じていると感じます。 羊の毛刈りも! 依頼されるお仕事は多岐に渡ります。 例えば…。 庭木の剪定・立木伐採・草刈り・冬囲い・薪割り・薪販売・引っ越し手伝い・買い物代行・農業体験サポート・蕎麦打ち・羊の毛刈りなどなど。 花壇作りの依頼も増えたそうです。 before 「造園技能士2級」の資格をお持ちです。after ご本人曰く。 「法に触れること以外ならなんでもご相談ください ^^」とのこと。 誰にとっても頼りになる存在です。 立木の伐採 宇井さんにはもう一つ、自伐林業者としての顔もあります。 管理されずに荒れ放題となっていた山を買い取り、その森を整備するための保全と利用を実践する団体「シンタ」の代表としての顔です。 現在、この森で切り出した原木を地元の大滝学園に卸していますが、将来は、シンタの森の薪をブランド化して、販売したいと考えているそうです。 「田舎の便利屋 ウイコーポレーション」代表と「シンタ」の代表としての二つの顔。 けれども実は、その二つは一本の軸でしっかりと繋がっていました。 宇井さんが抱く地域への、北海道への、日本への、地球への想いです。 それは「地域の皆様がずっと、気持ちよく暮らしていける町を作りたい。それがどんどん周りに波及していって、北海道に、日本に、世界に広がって行くように動き続けたい」ということ。 「そのためには、まず自分が気持ちよく暮らすこと、その場限りではなく、未来を見据えた暮らしをすることだと思う。」 そう話してくださいました。 筆者は激しく納得。 まさにSDGs。 その言葉の通り、宇井さんご家族は大滝の山奥で半自給自足暮らしをされています。 2002年、水源を探し、原野を切り開くところから始め、ご自分で家を建てました。 土地を耕し、畑も作りました。 まさに150年前の開拓者のごとく、全てパートナーのなつみさんと協力しながら行ったのです。 生き物やエネルギーの循環にもその頃から関心が高く、実践者として取り組んでいらっしゃいました。 田舎の便利屋 ウイコーポレーションを立ち上げて5年経った今、ゼロからスタートした宇井さんの活動を見続けてきた地域の方々にとって、すっかりなくてはならない存在となりました。 高齢者の多い大滝では、顔が見える関係を大切にしている田舎の便利屋 ウイコーポレーションは、「便利屋」を超えた見守り機能や中間支援機能も持ち合わせる団体として存在しています。 今、そのことをひしひしと感じていると話していらっしゃった宇井さん。 農業体験指導と、蕎麦打ちもされています。 それでも、現実的には作業自体はとても重労働。 ご自分が高齢になれば続けることは難しくなります。 そのことを考えた上で、夢があることを打ち明けてくださいました。 「将来、シンタの森の生き物大図鑑を作りたいのです!」 生き続ける森に自分が生きた証として残せる図鑑。 そして、それを見ながら森で遊ぶ人々。 「シンタの森のファーブル」になる夢を持つ宇井さんは、きっとそんな未来を思い描いていらっしゃるのでしょうね。 田舎の便利屋 ウイ・コーポレーション 伊達市大滝区豊里町49-1 電話 080-6073-3638 メール uipoko@icloud.com Facebook ※記事の内容は取材時の情報です(取材2021年)
Rietty
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01/29(日) 旅するイタリアンレストランを目指して☆ 〜洞爺湖 Lagorto ファンキーコンビは今日もいく〜
左側は代表の木村香葉子さん。 伊達市ご出身。 東日本フェリーの船内で6~7年勤めたのち、派遣バイトを始め各地を転々としていました。 ある時はキロロで、またある時は礼文島で、そんな時、所属していた派遣会社を通して右側の利光優子さんと知り合いました。 そして真狩の佐伯農園さんで働いたことが、その後の二人を決定づけることになりました。 優子さんは愛知県のご出身。 29歳でホテル調理の仕事を始め、イタリアンやフレンチの修行を積みました。 育った場所も経歴も違う二人。 この二人を今に繋げたのは、佐伯農園さんが経営する『Pomme ポム』というファームレストランでした。 シェフを探していた佐伯さんに優子さんを紹介したのが香葉子さんだったのです。 そして優子さんは即断して北海道にやってきました。 裏の思いとして、あるメリットを感じたからでした ということで。 今回は洞爺湖温泉に2021年6月 カジュアルなイタリアンレストラン『Lagorto』をOPENされた香葉子さんと優子さんを尋ねました。 仕込み時間という短い時間をいただいた取材だったため、実は事前にお二人の人となりがなんとなく分かる写真のご提供をお願いしていました。 すると届いた写真がこちら〜。 むむむ〜! なんてファンキーな!! 今となってはどの人がお二人なのか分かりませんが、このイカした面々のうちのお二人がのちのLagortoコンビなのでした。 なるほど〜! これが裏のメリットか〜!! 筆者はライター・ガイドの他にもスキーインストラクターをしているのでイメージできるのですが、ちょうど彼女たちの世代の方々は、いわゆるリゾートバイトなどをしながら冬山に籠り、リフト券貸与の恩恵を受けながら、スキーやスノーボードをしまくる!という生活をする方が当時は多かったのです。 現在若い世代の方にはあまり見かけないワーク&ライフスタイルです。 これまで様々なジャンルの方を取材させていただきましたが、実はコロナ禍に新たな道を開拓された方が多いです。 そして成功されている。 それは決して火事場の馬鹿力ではなく、自分の生き方をしっかりと見つめ直し、コロナ禍をチャンスと見ることができた方々でした。 何を食べても美味しいとすぐに話題となった『Lagorot』では、顧客の7割が地元の方だそうです。 わずか2年余りで地域に根付くのは素晴らしいことです。 きっとそれだけ、おふたりの店への想いが強いということなのでしょうね。 ところで、店名『Lagorto』の意味を訊ねました。 なるほど、『洞爺湖を望む坂の途中にある菜園のようなレストラン』ということですね。 こちらはメニューのごく一部です。 Lagortoさんのメニューラインナップは、基本、お酒のつまみにもなるものが多いです。 それなのに、実は違いの分かるお子様にも人気なのだとか? パスタの具にご注目。 真狩佐伯農園さんとのつながりがあるからこその、ふんだんに使われた百合根! これ、都会で食べたらとんでもないお値段になります^^; なるほど。 『旅するイタリアン』というわけですね〜。 旅先では楽しく遊んだり、飲み歩いたりもしつつ、料理はガチで本物を提供する。 やっぱりファンキー! カッコいい!と思います。 めっちゃ喧嘩をするとは言いながらも、「二人でやりたいです!」とキッパリと話してくれました。 洞爺湖の『Lagorto』で食べるイタリアンはもちろん美味しいけれど、ふらりと出かけた旅先で、お二人に会えたら嬉しいなあ〜と思った筆者でした。 ―Lagorto情報― ・代表 木村香葉子 ・シェフ 利光優子 ・北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉54秋田ビル1F ・詳細はFBまたはInstagramよりご覧ください
Rietty
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06/28(金) 【あの人に会いに】納得いくまで突き進む [あいなさん / 壮瞥]
『臥薪嘗胆』 ―目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。 「曲がったことが嫌い。 筋を通して生きるって言う事と、 根拠のない自信はどこかにある ってスタイルで生きてきたかも」 【あの人に会いに】vol.4 今回は、『美容室AINA.』こと あいなさんにフィーチャーします。 美容師で、東京のど真ん中へ あいなさんは壮瞥町出身。中学生の頃には既に美容師になることを決めていました。「子どもの頃から髪をアレンジするのが好きでした。美容師になるなら東京!と、もう東京しか見えていなかった」 高校卒業後、東京の美容専門学校に進学。卒業後に短期間メイクの学校に通った後、銀座の美容室に就職します。場所柄、メインとなる業務は夜職のママたちのヘアセット。しかし、あいなさんには目指していたところが別にありました。 「憧れていた有名な美容室が、原宿にありまして……」 何事も中途半端が嫌いで、せっかくやるなら一番いいところまで行きたい、という気持ちが強いあいなさん。東京まで出てきたなら、美容師になったなら、”ここまで行きたい” そう思うところがありました。 「その頃の流行がビビットカラー。髪の毛しましまにしたりとか、オレンジ・金・緑って3~4色いれたり、刈り上げたりとか。そんなデザインが好きだったし、その人たちと働きたいなって」 憧れていたものの、ほとんどが新卒採用のみの業界。しかしある時、その憧れの美容室で中途採用枠が出たのです。 「働いていた銀座のお店の先輩が、『あんたなら受かると思うよ』って背中を押してくれたの」 先輩の一言が支えとなり、採用試験を受けることを決意。面接のたびに毎回ヘアスタイルを変えるなど、努力とアピールを惜しみませんでした。 その結果、たった2名の枠で採用!めでたし……かと思いきや、”中途半端が嫌い”なあいなさん、この狭き門の合格を勝ち取ってもなお上を見ていました。配属が決まった店舗では納得できず、一番の有名店である原宿店で働きたい!と入社直後から直談判します。 「今思えば本当にただ生意気……普通はあり得ない、ダメなんですよ、そんなの。でも、ど~しても、ここでは気が済まない!と猛アピールして。憧れのスタイリストが在籍する原宿店に行きたい!と」 その熱意が伝わり、なんと入社後たった3ヶ月で原宿店へ異動が叶います。一流スタイリストはもちろん、アシスタントですらファッション誌に載る人が沢山いるようなお店です。 「下積みですね、がむしゃらに練習してた。仕事終わってから練習して、練習後にモデルハントして(街中で自分のスタイリング練習のためのモデルを探す)、レッスンノート書いて、デッサンして、って寝る暇なく」 結果として、アシスタントの中でも一握りの人しか就くことができない、トップスタイリストのアシスタントにまで辿り着きます。 「おかげさまで、全部見させてもらいました。ファッション誌の撮影現場とか、早朝から撮影の下準備させてもらったり……」 業界の第一線でアシスタントとしての全てを経験することができました。その後ジュニアスタイリストになり、このまま順調に美容師の道を進むかと思いますが……ここで驚きの方向転換に至ります。 諦めきれず、歌の舞台へ 「歌も諦められなくて」 実は、子どもの頃から歌が大好きだったあいなさん。歌の道を進む事を決意します。 「みんなと歌いに行くと楽しくて、やっぱり歌でステージに立ちたいなって」 ここでも、やるならいいところまで行きたい。歌をやると決めたなら、芸能事務所に入るところを目指します。 とはいえ東京で音楽をやっていたわけではなく、ゼロからのスタートでした。 「はじめは仲間探しから。音楽スタジオに行って掲示板のビラを見て……スマホも無い時代だから!!男性ボーカル希望って書いてあるバンドにまで電話して、まず一回練習入らせてくださいって。そうしたら女性だけど気に入ってくれたんだよね」 音楽の好みや雰囲気が合っていたロックバンドに加入し、そこで長く歌っていくこととなります。 お昼は美容師、夜は夜職の方々のヘアメイクに戻り、そして時折ライブハウスでライブをする生活を送りました。活動を続けるうちに事務所からオーディションの話も来ましたが、バンドに愛着があったあいなさんは、ボーカルのみのオーディションを受けられなかったと言います。「このバンドで音楽をやっていたい」と、活動を続けました。 地元・壮瞥で繋ぐ、ご縁の美容室 精力的に音楽活動を続けていきましたが、ハードな生活に不摂生。とうとう身体を壊してしまい、音楽の道は夢半ばで終わりを迎えます。 療養のため一度北海道に帰るも、再び東京に戻ったあいなさん。そしてご縁があり、30歳のときに出産。転機は子どもが2歳になるとき。シングルマザーとなり、壮瞥町に戻ることを決めました。 「東京に居たいと思っていたけど、ひとりで育てるには厳しくて……選択肢が無かった」 あいなさんのご実家は壮瞥町。祖父の代から商店を営んでいました。もちろん、町での知名度はバッチリです。 「育った環境上知っている人も多いから、肩身狭く感じていたというか……。周りの目があるから、娘としてもママとしても、ちゃんとしなきゃ、みたいな。自由にいられないなと」 窮屈さを感じていたあいなさんが、壮瞥町をまた好きになっていけたのは、人との出会いが大きかったと言います。 「本当に、ママ友と、この美容室のゆみさんとの出逢いだね。この方達がいなければ、壮瞥ではやっていけなかった」 美容室AINAとしてオープンした今の美容室は、元はゆみさんという別の美容師さんが営んでいたお店でした。あいなさんは壮瞥に帰って来てから、ゆみさんの美容室に通っていたそうです。 「ゆみさんは、子ども共々お世話になった人」 大切な人からのバトンを繋ぎ、生まれ故郷の壮瞥町でお店を開くこととなりました。 「洞爺湖が好きで、温泉街でお店を開きたいと思っていて……まさか壮瞥でお店をやるとは思ってもみなかった。でも、ゆみさんへの想いとご縁でここで始めて、本当にたくさんの人からずっと応援してもらっているなって」 お店のオープン時には沢山のお花が届き、多くの人に支えられていることを実感したそうです。お店のインスタグラムには感謝の言葉がずらりと綴られています。 これからは”健康” のことを伝えていきたい 2024年3月に無事にお店をオープンしたばかりですが、今後はどんな展望があるのでしょうか。 「自分自身、身体を壊したことから健康オタクで。東京の時だけでなく、北海道に帰って来てからも身体に出て。骨盤が痛くて眠れなかったりとか。自分の身体の不調は、息子にも悪影響。本当にボロボロで……40歳まで生きられないかも、そしたら息子はどうしようとか、ずっと不安に思っていた」 今のエネルギッシュなあいなさんからはとても想像ができませんが、疲れが取れない、アレルギー、痛みからの不眠、等々……様々な身体の問題に悩んできたそうです。ヨガ、体操、骨盤矯正、とにかく端から端まで色々なものを試し、最終的に辿り着いたのは『栄養学』。独学で勉強、更にオンラインで先生と学んでいるそう。今後はしんどそうな悩める女性を助けていきたいと考えているそうです。 「中途半端が嫌いと言いつつ、方向転換してきているから中途半端になっていたと思うこともあるし……自分に自信が持てなかったときもある。けど、その時その時でがむしゃらにやってきたから、全て無駄にはならずに今に繋がっていると思う」 美容師も、歌の道も、本気で全力で突き進んだからこそ辿り着いた”今”のあいなさん。 悩める女性の皆さんは特に、パワフルなあいなさんにぜひ一度会いに行ってみてください! 美容室は壮瞥町役場 山美湖 の目の前というわかりやすい立地!美容室のご予約は電話とインスタグラムのDMで受け付けています。 美容室AINA 営業時間:月~金 8:30~18:00 / 土 8:30~17:00 定休 :日曜日&第1・3月曜日 電話 :0142-66-2527 場所 :壮瞥町滝之町284 (壮瞥町役場 山美湖の前)
misaki
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