
心の伊達市民 第一号
東京に4年ぶりの大雪
昨夜の天気予報では「6日は午前11時頃より雪」と報道していた。
東京に雪が降るのは珍しいので、「もし雪が積もるくらい降ったなら、写真を撮りに行こう」と考えていた。
いい年をして、子供みたいに雪が嬉しいのである。
毎年、大雪に苦しめられている地方の人から見れば、「バカじゃない!」である。
今朝起きたら雪は降っていなかったが、雪が降りそうな空模様だった。

大手町は大雪だった。
11時ころになったら、ポツリ・ポツリと雪が降って来た。
朝の天気予報では「東京地方は大雪の可能性」とあったので、出掛けることにした。
寒さ対策を万全にした。下はヒートテックの長タイツ、上はヒートテックの長袖、その上にタートルネックのシャツ、その上にセーター、更にその上に羽毛のチョッキ、そして防寒コートに毛糸の帽子である。

「大手門」から東御苑に入る。
先ずは都バスに乗って、東京駅丸の内南口まで行った。
そこから歩いてサラリーマンの聖地「大手町」に行く。
昼時なのに殆ど人が歩いていない。いつもなら大勢のサラリーマンがランチを求めて動き回っているのだが・・・。
12時30分頃になり、雪の降り方が激しくなって来た。しかもビル風に煽られて、雪が激しく横から降って来る。レンズが雪で覆われて、写真撮影もままならない。

「同心番所」も雪景色。
防寒が完全なので寒くなく、次に「皇居東御苑」に行ってみようと考えた。
大手門がすぐ近くなので、そこから皇居東御苑に入ることにした。
入口で皇宮警察の手荷物検査がある。
中に入る人はいないので、彼らは寒い上に暇だったので仕事が出来て嬉しかっただろう。

広場の芝生を歩いて足跡を付ける。
門を入ると、向こうから出て来る夫婦者がいた。
こんな雪の中を、2人だけで御苑内を見学していた夫婦はどんな人達なんだろう?
坂を上り、広場に出る。こんな雪の中でも、道路工事の為に作業をしている人がいた。
広場の芝生が真っ白だ。子供みたいに中に入り、足跡をカメラで撮影する。

天守閣の石垣にカメラを置いてタイマー撮影。
そこへ向こうから人が来て、珍しそうに私を見ていた。
近付いて来たら、その男は白人の外国人だった。
「なぜ、いまここに来たの?」と聞きたかったが、その前に去って行ってしまった。
天守閣の石垣の所に行ったら、上から降りて来たカップルがいた。
「どんな事情があるのか? 色々な人が来ているなー」とその事情を知りたくなった。

季節外れの梅の花に雪が・・・。
天守閣の横を通り過ぎた辺りになり、雪が小止みになった。
椿の花が雪を被っている。まだ残っていた梅の花にも雪が被っていて、とても美しい。
葉が落ちた木の枝に雪が乗って、いつもと違う風景が素晴らしい。
その先の坂を下って、元の大手門入口に戻って来た。
40分くらいの雪の中の散策だったが、ほとんど人にも会わない贅沢を味わったのである。

皇居のお堀では鴨が3匹、遊んでいた。
(おまけの話)
まだ疲れてもいないし寒くも無いので、皇居前広場に行ってみることにした。
お堀端を歩いていると、こんな雪の中なのにジョギングをしている人がいた。
それも1人だけではない。
私から見れば、「ほとんどジョギング病」ではないかと思う。
雪のお堀の中で鴨が遊んでいる。皇宮警察の警備の為の警察官は、雪の中でも変わらず傘も差さずに立っている。

皇居前の松林と、背景の大手町のビル街。
皇居前の松林が美しい。雪の降る松林の向こうに大手町のビル街が霞んで見える。
二重橋へ行ってみた。誰もいない。そこへ小さな女の子を連れた母親らしき人がやって来た。
こんな雪の中をやって来た母娘は、どんな事情があるのだろうか?
普段と違い雪の中にやって来る人達は、もし聞ければ面白い事情がありそうだ。

二重橋の見学に来ていた母娘には、どんな事情が・・・。
二重橋の写真を撮って、いよいよ家に帰ることにした。
家で夕方のニュースを見ていたら、東京は私が思っていた以上の大雪だった。
今日は中高時代の友人と、彼の仕事場のある六本木で待ち合わせている。
でも彼の自宅は山梨県で、昨日は東京より大雪だったろう。
しかも彼の家は駅から遠いので、駅まで出られず『今日の約束はキャンセル』ともうすぐに電話がありそうだ。

東京駅も雪で霞んでいた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
05/16(金) 散歩で虎ノ門から新橋へ
-
05/14(水) 写真で見る東京(97)・・・5月を呼ぶ花
-
05/19(月) 神田明神の「神田祭」

イベント
「ブログ」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/04/25(金) あの人のまさかの大ファインプレー
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/01/10(金) 半年ぶり以上に待ちに待っていた日
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/01/31(金) NHK放送博物館と愛宕神社
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2024/12/19(木) 写真で見る東京(72)・・・丸の内のイルミネーション
心の伊達市民 第一号
0
2
-
ホテルマンの幸せ
0
ブログに関する
特集記事
-
これはもうmushanavi 的 情熱大陸だ!! Couturier Ty 宮崎智子という人
これほどまでにドラマティックな人生を歩んできた女性に出会ったことがあっただろうか? そう思うほどにのめり込ませる取材をさせた人。 倶知安在住、Couturier Ty 代表 宮崎智子さんを訪ねました。 智子さんが洋服のオーダーを請け始めたのは2000年頃のこと。 ブランドを立ち上げたのは2007年のこと。 そして倶知安に店舗を持ったのは2018年4月のことでした。 ↑デザイン段階でこの様な作業が入るとは知りませんでした。 「針と糸を使っての物作りならば大体のことはできます。」 そうおっしゃる通り、洋裁・編み物・刺繍・リメイク・修繕・革小物・布小物etc.なんでもこなされます。 ↑たくさんの糸や布が並びます。 ↑ツイードで作られた清楚なボディーコンシャスワンピース♡ ↑優しいオレンジ♡ ↑これを堂々と着こなして颯爽と街中を闊歩してみたい♡ ↑刺繍用の機械です。 地元の太鼓チームの半被を製作中。 ↑こういうワッペンも作ります。 実は、智子さんの最初の師匠はお母様でした。 今の智子さんと同じ様に何でもこなされていたお母様から、先ず習ったのは編み物でした。 「小学生の頃からビーニーやセーターなど、自分で編んだものを身に着けていました。 でも何故か洋裁には手を出しませんでした。ですが、洋裁をする母は私の憧れでした。 それなのに、母は私に一切無理強いしなかったのです。」 編み物以外しなかった智子さんに転機が訪れたのは20歳の時でした。 それは、お母様のこの一言が引き金でした。 「私の娘なのにスカート一枚作れないなんて…」 この言葉は、智子さんを発奮させました。 そして、お母様に習いながら初めて一枚のタイトスカートを作ったのでした。 このことがきっかけとなり、洋裁への転向を決めることになりました。 ↑落ち着いたカラーだからこそ、きっとパーティーで目立つはず♡ ↑取材時に智子さんが着ていらしたジャケット。とてもカッコよかった♡ そこからはお母様に師事をして洋裁の猛勉強を始めました。 また、文化服装学院を通信教育で卒業し、指導員の資格も取得しました。 とにかく物凄い集中力を持った頑張り屋さんなのです。 どんなことでも「やりたい!」と思ったら命懸け。 中途半端は大嫌い。 本気度は半端ない! 例えば英語。 ほとんど独学で、留学することなくTOEIC 900点を採ってしまったり。 スキーもプロ級の腕前だったり。 ↑パウダーもこの通り! そんな多才な人だから、全てが順調だったのかと思いきや…。 運命は智子さんをすんなりと洋裁の道へと導いてはくれませんでした。 2度の結婚と別離。 仕事も色々変わりました。 そんな智子さんに再び転機が訪れます。 「やはり洋裁道を極めたい! お客様のこだわりを100%表現し、デザインも着心地もお客様にピッタリ合うものを作って差し上げたい!」 改めてそう決心した智子さんは、再び猛勉強を始めました。 それも生半可ではない勢い。 しかも結果も残しました。 ↑これらの賞状や賞はほんの一部です。他にも色々と壁に飾られていました。 そして立ち上げたのが「Couturier Ty」なのでした。 「実は、Tは私の名前の頭文字。Yは母の名前の頭文字なのです。」 なるほど。 お店の名前にお母様は生きていらっしゃるのですね。 ↑出産祝いのオーダー品。オーガニックコットンで作られています。 25年前にお母様を亡くされた智子さんは、のちに運命的に出会った師匠に師事、猛吹雪のさなかでも中山峠を越えて札幌まで習いに行ったそうです。 ところが、またもや神様は智子さんに試練を与えました。 その先生も急逝されてしまったのです。 あれだけの資格や賞をいただいているのですから、師匠は必要ないのでは?と思うのですが… 「上には上がいます。常に技術向上をし続けていたいのです。だから今も師匠を探しています。」 いかにも智子さんらしい謙虚さ。 まだまだ勉強することはたくさんある! 前進あるのみの精神です。 ところで。 このお店を通して伝えたいことはありますか? とお尋ねしてみました。 「洋裁教室の指導者としては、食わず嫌いにはならずにやってみましょう!と伝えたいです。やってみようとしないで “出来ない” って思うのはもったいないです。 また、洋服の仕立て屋としては、自分サイズの服の心地よさを知ってほしいと思っています。 色々取り扱っていますが、一番好きなのはドレスオーダーを受けて仕立てるお仕事です。 日本人にも華やかなカラーを堂々と着て、思い切りファッションを楽しんでほしいと思っています。」 ↑こちらは既に終わりましたが、小物作りの講師の他、定期的に初心者向けの洋裁教室も開催されています。1日で服が作れるプログラムになっています。 工房に所狭しと置かれた道具や機械や糸や布を見ていると、筆者も自分だけの1着が欲しくなってしまいます。 夢を実現させることへの熱量が人並み外れて高い智子さん。 きっともっともっと大きな夢があるに違いない!と次なる目標をお尋ねしてみました。 すると、とても恥ずかしそうに教えてくれました。 「フランスに住みたいです。 ヨーロッパの色彩豊かな生地を使って洋服を作りたい! そして、思い切り大胆にファッションを楽しむ人に私の服を着て喜んでほしいのです。」 なんと、しっかりとフランス語の勉強も始められています。 これは必ず掴む夢だな…と感じてしまいました。 華やかな外見とは裏腹な、物凄く泥臭く地道な努力をされる智子さん。 その情熱に強く引き込まれ、頭の中には葉加瀬太郎さんのバイオリンが鳴り響いていました。 Couturier Ty(制作中ページあり) https://tymode.jp/ 記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
0