心の伊達市民 第一号
「街道をゆく」の「本所編」である。
本所は墨田区にある地名で、深川より面積が広い。
手前は森下の先から、隅田川の縁のキリンビール本社のある場所までである。
隅田川に架かる吾妻橋を渡れば、そこは「浅草」である。
今回の私の訪問先は両国近辺で、この辺りのことに司馬遼太郎も多く紙面を割いている。
先ずは勝海舟の生誕地に行った。
今はどうということもない「両国公園」になっていて、幼稚園児が先生に連れられて遊びに来ていた。公園に入ると片隅に「勝海舟生誕の地」という石碑と、彼の生涯を壁画のように写真と年表で貼り出している。
「街道をゆく」から抜粋。【この人の父がおもしろい。勝小吉という小さな身分の御家人で、とびきりの器量を持ちながら、身分制の中で鬱懐し、若いころは悪漢小説の主人公そのままの暮らしをすごした】。
【小吉は自伝「夢酔独言」を書いた。無学だったから、いわば八方破れの口語で書いている。『おれほどの馬鹿な者は、世の中にもあんまり有るまいとおもう。故に孫やひこ(ひまご)のため咄してきかせるが、能く能く不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ』。素直で、なんの飾りものない文章だけに、かえって凄みがある】。
勝海舟の年表を背景に記念撮影をし、次の目的地の「吉良邸跡」を見に行く。
「吉良邸」はそこから300メートルくらい先の角地にある。
「吉良邸」は何度来ても、侘しい。あまりに敷地が狭いからだ。以前は2500坪くらいの広さだったようだ。吉良上野介義央「松の廊下事件」の前は、江戸城の儀典長であったので、その屋敷は江戸城に接していた。
「街道をゆく」から抜粋。【幕府は義央に対して隠居届を出させたが、これは事件後、五カ月経ってからのことで、ひょっとすると幕府の感情が義央に対して冷えたことかを示すのではないか。その上、屋敷を本所に移させたのである。もし義央が従来通り呉服橋御門内に住んでいて赤穂浪士が襲撃したりすれば、大手門に近く、幕閣としてはそんな目に遭いたくないために、新開地の本所へやったのではないか。同時に、討たれやすくしたのではないか】。
「忠臣蔵」のような敵討ちとか、呑気な人情者の「男はつらいよ」などの話が日本人は好きだ。年末になると、必ずテレビでは「忠臣蔵」を放送していたが、最近はあまり放送を見なくなったのはどうしたことか?
理由はハッキリしないが、「視聴率を稼げない」、「仇討ちは現代に合わない」、「若者は争うことを好まない」などがあるのかもしれない。日本人が変って来て、日本人らしさが失われて来たのかもしれないなー。
さて次は「回向院」である。「勝海舟生誕の地」、「吉良邸跡」、「回向院」は全て1キロ以内に位置している。
「街道をよく」から抜粋。【両国橋から少し離れたところにある回向院の境内に入ってみた。明暦3年の大火のとき、焼死者は十万を越えたといわれるが、そのおびただしい無縁の死者を、幕府は当時牛島新田といわれたこの地に大穴を掘って埋葬し・・・】。それ以降の時代の大震災の無縁の死者をこの寺に葬られている。
それより私が注目しているのは、四十七士は討ち入りの後に回向院で休憩を求めたらところ断わられたことである。
四十七士は仕方ないのでそのまま進み、永代橋際にあった味噌屋「ちくま味噌」で休憩し甘酒を振る舞われた。いまでもそこには石碑が建っている。
「視聴草」という古い本がある。「街道をゆく」から抜粋。【「視聴草」によると、鼠小僧は文政六年以来、十年にわたって九十九ヵ所の武家屋敷に忍び込み、三千両余りを盗んだという。盗んだ金は飲み食いや遊興に使ったといい、その後にあらわれる講談・戯曲にあるような貧民にわかちあたえたという形跡はない】。
現在でも鼠小僧の墓は人気があり、その理由であるが「鼠小僧が長年捕まらなかった貯め、その運にあやかろうとしたり、「するりと抜ける」という意味で「合格祈願」にもなっている。墓の前には大きな白い石が置かれている。
それを削って持ち換えると幸運が訪れるという、今風の言い方だと「パワースポット」になっている。
以前は墓石を直接、削られたので、今は削り用の石が置いてある。
(おまけの話)
落語に「文七元結」という話がある。この話の舞台は本所でも浅草に近い場所だろうと思う。ところで伊達市の寿司屋の名店「文七」は、この話から店名を取った。「文七元結」の話であるが、登場人物に腕は良いのだが怠け者の左官の長兵衛が登場する。
「街道をゆく」からの抜粋では【長兵衛には女房とのあいだに、娘が一人いて、器量がよくて親孝行なのだが、ところがある日、出奔してしまった。やがて、行先がわかった。彼女は親に内緒で吉原の大籬の「角海老」にゆき、女将に会って、親の借金五十両を返すために身を売りたい、と申し出た。】
(この後は簡単に話を進める)
女将は驚き長兵衛を呼んで説諭して五十両を貸し付けたが、酒好きの長兵衛は帰り道に一杯ひっかけて吾妻橋に差し掛かったところ、若い男が隅田川に飛び込もうとしているところに出会ってしまう。話を聞くと、「べっこう問屋」の奉公人の文七で、集金の帰りに五十両をスラれてしまい身投げするところだった。
ここで長兵衛は角海老の女将から借りたばかりの五十両を文七に与えてしまう。家に帰り女房に事情を話して大揉めのところに、文七が集金に行った先から五十両が届く。囲碁好きの旦那と囲碁をして、文七が五十両を置き忘れていたのだった。
「街道をゆく」から抜粋。その時の長兵衛の言葉。【これをわっちが貰うのは極まりが悪いや、一旦この人にやっちまったんだから。わっちは貧乏人で金が性に合わねぇんだ】。この後、なんのかんのとやり取りがあり、「べっこう問屋」の主人が奉公人の文七と娘のお久を夫婦にし、暖簾分けをして「文七元結」という店を開いたというお目出度い話である。
「元結」というのは、「日本髪の根元を結い束ねるための紐である。江戸弁で「もっとい」とも言う。私が伊達市に滞在中には、数え切れないほどの回数を「文七」に通った。文七夫婦は、今でも元気にしているだろうか?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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