
心の伊達市民 第一号
【277円の幸せ】
この年になると、なかなか大きな幸福感に浸る機会が無くなる。
そこで日々の「小さな幸せ」でさえも、私には貴重なものとなる。
ある時、ウォーキングの休憩のために、バス停前の「ナチュラル・ローソン」に入った。
今では私でも出来るようになったセルフレジで、「ホットコーヒー(小)110円」と「プレミアム・ロールケーキ(167円)を買って奥のイートイン席で食べた。
たった277円で、高級ケーキ店並みの小さな幸せを感じたのである。
【インバウンド】
「inbound」を辞書で調べると、「入って来る」、「到着する」、「内向きの」など形容詞である。でもテレビなどでは「名詞」のように使われている。
そこでアメリカに住むIさんに聞いてみた。その返事が次のようなものだった。
『インバウンドをそういうように使うというのは聞いたことが無いが、まあ意味はわかる。最近のニュースなどで見る日本語英語、とても不愉快です。なぜ綺麗な日本語を使わないのか、軽薄そのものです。レガシー、コンプライアンス、マイナなど、ちょっと思いついただけでも数々ありそうです』。
【東京駅の明治時代の支柱の回答】
しばらくしてから以前に投稿した、東京駅に残る「明治時代の支柱のなぞ」の私の質問に対する回答がJRから届いた。
『 このたびはお問い合わせいただきまして、ありがとうございます。 お問い合わせいただいた支柱に刻まれた文字が削り取られた理由と経緯につきまして、関係個所にて確認いたしましたが、特定することができませんでした。ご要望に添えず、大変申し訳ございません。何卒ご理解賜りますようお願いいたします』。
私は必ず理由が分かると期待していたので、この回答は意外な感じがした。
それにしても、「なぜ削られたんだろうか?」。
【蒸気機関車の写真展】
「芸術の秋」を意識して、銀座のキャノン・ギャラリーで蒸気機関車の写真展を見た。
これはキャノンが企画した「鉄道開通150年」の記念企画である。
カメラマンは鉄道写真家の持田昭俊氏である。
写真展のタイトルは「響煙」で、蒸気機関車の音の響きと吐き出す煙から付けたそうだ。写真展には珍しく「撮影OK」であった。でもなんだか堂々と撮影するのも気が引けて、2枚ほどコッソリと素早く撮影した。久し振りに難解ではない、素晴らしい写真の数々を見た。
【Human Behaviour展】
「芸術の秋」である。2つ目の展覧会を「リコー・アートギャラリー」に見に行った。
金氏徹平&小林健太の2人のアーチストの共同の「Human Behaviour」であった。
金氏『抽象表現主義的な表現を既成のイメージの組み合わせで行うこと、具体的なイメージと抽象的、もしくは流動的なイメージが共に印刷物という状態のもとに混ざり合わずに一体化する状況などを目指している』
小林氏『撮影から時が経ち、人々や風景は移り変わり、記録が記憶になって行く様子を結晶化していると形容します。水晶のように抽象的なイメージとStareReapの立体印刷が結びつき、時が静止したようなモノクロームの世界が広がる』。
やはり私にはアートを理解するのは難しい。
【自分を褒める】
テレビなどで女性スポーツ選手が「自分を褒めたい」などと言うのを目にすることがある。私はこれに違和感を感じているので、辞書で「褒める」を調べてみた。
すると『人のしたこと・行いを優れていると評価して、そのことを言う』とある。
この「人」というのは自分を含まない「他人」のことではないだろうか?
「言葉は時代と共に変化する」とは言われているが、私が「自分を褒めてはいけない」と思うのは、もう時代に取り残されているからだろうか?
【自然溢れる中央区】
近くの月島川の上に架かる「月島橋」の上から川を見下した。
川があると見下すのが習慣になっている。泳いでいる魚が見える時があるからだ。
今回は少し大きな魚がたくさん泳いでいるのが見えた。
魚の名前が分からないので、写真を撮って釣り好きのIさんにメールで問い合わせた。
その結果は私の思っていた「ボラ」とは違い、「セイゴ」だった。
中央区は都心の真ん中なのに、自然が多い。誠にありがたいことである。
(おまけの話)【本を借りる】
現役の時には、図書館で本を借りた経験が無かった。
その頃は金銭的にも余裕があったので、「他人の読んだ後には、私は読みたくなかった」のである。いま考えると、ずいぶんと偉そうにしていたなー。
中央区に越して来たら、図書館が3館もあった。しかも蔵書に無い新刊本は注文すると、購入してくれることも分った。
それ以来、本は買わずに借りることになった。昨年の1年間に借りた本は60冊だった。
最近借りた本「ロシア点描」の話である。この本では政治や戦争の話は出て来ない。
普通のロシア人の日々の生活に関係する話で、とても面白い。
ロシア人は基本的には、他人(ロシア人)を信用していない。
しかし信用して親しくなると、必要以上にプライバシーにも関わって来るそうだ。
公衆トイレの便座が無くなったまま。地下に避難所がある。ルールは破る。郊外に住む野良犬が地下鉄に乗って都心に通う。多くの人が別荘を持っている。花屋は24時間営業など、面白い話が次々と出て来る。
次は「メガバンク銀行員 ぐだぐだ日記」である。
この本はシリーズもので、今までに「ケアマネージャー はらはら日記」、「住宅営業マン ぺこぺこ日記」、「タクシードライバー ぐるぐる日記」など12冊も出ている。
ありがたいことに中央区は、これらを全て蔵書にしている。
各業界の現役の人達が感じていることを、裏話や愚痴を交えて述べている。
気楽に読み飛ばすには、「もってこい」の本である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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