(1月に用意していて、掲載を忘れていたブログ)

天気も良いし、1月だというのにポカポカ陽気なので九段下を徘徊した。
九段下は靖国神社に行く時に降りる駅なので、かなりの頻度で行っている。
その割には「なぜ九段下」という名か、私は知らなかったので調べてみた。

ネット情報によると『この界隈は幕府が四谷御門の台地より、神田方面に下る傾斜地に沿って石垣の段を築き、江戸城に勤務する役人のための御用屋敷を作った。その石垣が九層にも達したことから九段という通称が生まれた』とあった。靖国神社のある場所は九段の上で、写真の交差点は九段の下である。私の女房は、九段下で生まれ育った。


「九段下」交差点



【しょうけい館】
今回は九段下交差点近くの、3ヵ所の建物を巡った徘徊記録である。
最初に訪れたのは「しょうけい館」である。
ここは「戦傷病死者資料館」で、「第二次世界大戦で戦傷病者とその家族等が、戦中・戦後に体験したさまざまな労苦に付いての「証言・資料・書籍・情報」を収集して展示してある国立の施設」だそうだ。

「しょうけい館」の「しょうけい」が、どんな漢字なのか分からなかった。
ホームページにも出ていない。色々と調べて、やっとわかったのは「承継」だった。


 「しょうけい館」入口



入場は無料だが、館内はどこも撮影禁止だった。
私が見た感じでは撮影禁止にするようなものは、個人情報の一部を除いて無かった。
戦争の悲惨さを知らせたいなら、撮影OKにした方が良いと感じた。
私の年齢だと戦争が終ったのが3歳の時なので、あまり戦争の記憶は無い。

しかし戦後の混乱期は記憶にあるし、電車の中で私は傷痍軍人をよく見かけた。
彼等は白衣を着て戦闘帽を被り、アコーデオンやハーモニカで軍歌を演奏して寄付を募っていた。当時は傷痍軍人に対しては、運賃の5割引きを行っていたようだ。


「しょうけい館」のパンフレット



私が行った時は特別展として、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である「水木しげる」に関する展示をしていた。マンガをあまり読まない私でも、作者を知っているマンガである。
ここは著作権の関係で、全て撮影禁止である。

水木しげるは軍人として第二次世界大戦下のニューギニア戦線・ラバウルに出征し、過酷な戦争体験をした。そこで連合軍の攻撃で左腕を失った。復員後は紙芝居の作者から、妖怪漫画家になり成功した。会場で放映していた「ゲゲゲの女房」を見たが、彼の奥さんは良くしゃべる。2人で出演していたが、水木しげるはほとんど口を挟めなかった。


「語り部」と「水木しげる」特別展



【昭和館】
「しょうけい館」を出て、九段下の交差点を渡り右角が「昭和館」である。
しばらく閉館となっていたが、この日はオープンしていた。
多分、耐震構造の為の改修工事をしていたのだろう。

昭和館はパンフレットによると、『国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃まで)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、次の世代に伝える国立の施設です』とある。


「昭和館」の全景



受付に行くと、「常設展示室は有料」だった。
普通は「常設は無料」、「特別展は有料」なのだが、変な料金設定だった。
また大人は400円、65歳以上は360円と、たった40円の割引である。
都立の施設なら65歳以上は半額なのに、国立は変だなー。

昭和を生きて来た私は常設館は特に興味が無いので、無料の5階の「映像・音響室」だけ見ることにした。ここも撮影禁止ばかりで、とても残念だった。


「昭和館」入口



5階の展示室が無料なのに、思った以上に良かった。
1人用のブースが壁際に並んでいて、そこの椅子に座りヘッドホンを付けて目の前のモニターで見る。画面のメニューには色々な項目と年次が出ているので、私は自分の生まれた昭和17年のニュースを見た。すると戦争の真っ最中で、まだ日本軍が優勢だった時のようだ。マレーを攻略したニュースなどが、威勢の良い音楽と共に放映される。

戦後の昭和20年を見たら日本のニュースは全てアメリカの取材で、悲惨な各地の様子を伝えていた。音楽を選んだら、トニー谷が歌っていた。ここは私の年代の者には結構、面白い。また来てみたいと思った昭和館だった。


「昭和館」の書籍



(おまけの話) 【九段会館】
「昭和館」を出て、内堀通りを皇居の方に向かう。
すぐ右手に九段下交番があり、なにげなく掲示板のポスターを見た。
すると1月29日に入院先の病院で、胃がんの末期症状で入院して死亡した「東アジア反日武装戦線」のメンバーの桐島聡のポスターがまだ貼ってあった。

最近、なんとなく日本の色々なところが緩んで来たように感じる。
交番のすぐ先の右手に、見慣れたクラシックな九段会館がある。


 九段会館は見えるところは昔のまま。



九段会館は1923年11月に挙行された昭和天皇の「即位の礼」を記念して建設された建物で、「軍人会館」の名称だった。中にはレストラン、宿泊施設、結婚式場、イベント会場などがあった。ところが2011年3月に起きた東日本大震災で天井が落下し、専門学校の式典を行っていた生徒達の上に落ちて来て、2名が亡くなり廃業となっていた。

その後、しばらく閉館となっていたが、2022年11月にリニューアル・オープンとなった。由緒ある歴史を感じさせる外観を残し、高層オフィスビルに生まれ変わった。
私は今回、リニューアル・オープン後に初めて中に入った。


 重厚な感じの車寄せ



玄関は昔のままで、中に入ると近代的なビルである。
カフェやレストランがあり誰でも利用出来るが、エレベーターホールから先はオフィスなのでカードキーが無いとセキュリティ・チェックでその先には行けない。

ビルの外にはテラスがあり、そこからお濠を通して日本武道館が見える。
いたるところにイスとテーブルが配置されていて、とても気持ちの良い場所だった。
新旧が調和し自然も取り入れた、素晴らしい九段会館に生まれ変わっていた。


重厚な感じの玄関


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. 九段下(Y)
    九段下(Y)
    返信

    九段下駅は、かって謡の稽古で通っていた懐かしい駅である。稽古前に友人と待ち合わの為のせして九段会館地下のレストランでランチを摂った。久段会館は、軍人の為の会館であったのでよく退役軍人の会が開かれていた。戦争経験の豊富な年寄が親しく集まり昔を懐かしんでいたようだ。
    その後の時間つぶしに昭和館に入り、戦時のニュースを流すブースで懐かしい竹脇しょうさくアナの独特の声を聞いたが、今の竹脇無我の父上である。

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