
心の伊達市民 第一号
私は只見線が好きである。
今までに3回しか乗ったことはないが、機会があれば乗りたいと思っている。
「只見線を300日撮る男」という「星 賢孝」という写真家がいるが、彼の写真展を見に行ったこともある。今までに乗った3回は全て冬であるが、只見線は冬に限る。
今回は「温泉」と「第一橋梁を撮影した場所を撮影する」のが目的である。
2月5日の東京駅発の新幹線に乗り、郡山駅から磐越西線に乗り換えて会津若松駅に出る。会津若松駅から、いよいよ只見線の旅が始まる。
「只見線は冬に限る」と思っているので、宿の予約は1ヶ月前にしておいた。
ところが今年は雪があまり降らず、線路の周りに残雪があるくらいだった。
雪の無い只見線じゃ全く来たかいが無いと、車中では気分が落ち込んだ。
ところが私にはまだツキが残っていて、なんと東京でも積雪の予報が出ていた。
只見線でしばらく進むと、チラホラと雪が舞って来た。
目的地の「早戸駅」に着いた時は、かなり降って来た。
駅には宿の車が迎えに出てくれていて、私の他に1名のお客がいた。
5分くらいで着いた宿は、私の思っていた以上に立派だった。
雪もかなり降っていて、かなり積るような感じがした。
「豆まき」で5ヶ所もお参りしたので、神様も私を応援してくれたか?
宿の名前は「つるの湯」で立ち寄り湯が人気の湯治場であるが、宿泊も出来るようになっている。湯治場なので食事は付かない。
湯治棟にも内湯はあるが、3人も入ればいっぱいなので誰も来ない。
私は荷物を部屋に置いてから、温泉棟に行き宿泊費を前払いする。
宿泊費は6090円と安いが、寝間着も歯ブラシもタオルも全て有料となる。
先ずは温泉棟の内風呂に入ったが、茶色の湯で泉質はナトリウム塩化物質、「加水・加熱」なし、源泉の湧出温度は53.5度だった。
急に雪が降ったからか、風呂場は広いが3人しかいなかった。
5時になり、少し早いが夕食とした。東京駅で買って来た幕の内弁当を電子レンジで温め、女房に持たされたインスタントみそ汁と緑茶パックに熱湯を入れる。
ここの調理場は広く清潔感に溢れている。調理器具は全て揃っていて、無料で使える。炊飯器は5台もあるし、電子調理器も2口のものが2台ある。
若めの夫婦が楽しそうに、2人で鍋物を作っていた。
私は温めたものを部屋に持ち帰り、小さなテレビで東京の雪のニュースを見ながら1人で夕食とした。少し侘しい。
食後にまた温泉棟に行き、内湯と露天風呂に入った。
露天風呂には誰もいなかったので、のびのびと手足を伸ばした。
雪は激しさを増して来た。部屋に戻ったが、やることが無いので、湯治棟の内湯に入りに行った。
読書をするつもりで本を持って来たが、座椅子も無いので読むのは止めにした。
少しテレビを見ていたが、画面が小さ過ぎるので寝ることにした。
自分で押し入れから布団を出して敷く。寝てみたら煎餅布団だし、枕は低過ぎて良く寝られなかった。
(おまけの話)
今までにこの辺りに来た時には、必ず只見川に架かる第一橋梁の写真を少し離れた山の中から撮る。只見線に乗っていては、見られない光景である。
この橋梁の写真はマニアの間でも有名であるが、私は2020年12月には1人旅で、2023年1月にはマンションの友人との2人旅で第一橋梁の写真を撮った。
今回の私は只見線に乗り第一橋梁の上を走る列車の中から、撮影場所を撮るのが目的の1つだった。
列車は2両編成のワンマンカーなので、私は邪魔の入らない最後尾に陣取った。
会津檜原駅を出て、列車は第一橋梁に近付いて行く。私は進行方向左側に向けてカメラを構える。橋梁に差し掛かったので、カメラを連写する。アッという間に列車は橋梁を通り過ぎた。
以前に2回、第一橋梁を撮影した場所は遠いので、今回の列車の中のレンズを通してでは良く分からなかった。次の駅は「会津西方」で、その次は「会津宮下」、そしてその次が私の降りる「早戸駅」である。
列車は「早戸駅」に着いたが、特にアナウンスは無い。
この列車は寒冷地を走るので、乗降客はドアの横にあるボタンを押して乗り降りをするようになっている。この時の私のいる2両目の乗客は4~5人だった。途中の駅で、学生が2人降りた。その後は誰も降りなかった。
私は早戸駅に着いたので、ボタンを押したがドアが開かない。「故障かな?」と思い前方に進み、ボタンを押したが開かない。私は焦った。このままでは列車が走り出してしまう。
1両目の車両に移り、ドアのボタンを押したが開かない。慌てて一番前に走った。
そこには運転手兼車掌がいて、怒っていた。
車掌『ボタンにランプが点いている時だけ、ドアボタンは作動します。多くの駅が無人駅なので、早戸駅は一番前で清算して降りて下さい』
私 『アナウンスも無かったし、慣れていないのでごめんなさい』
私は本当にパニック状態だった。あのまま運転手が気が付かず列車が発車してしまったら、1日6本しかない路線なので、どうなっていただろう?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
05/21(水) 写真で見る東京(99)・・・浅草三社祭り
-
05/16(金) 散歩で虎ノ門から新橋へ
-
05/20(火) 写真で見る東京(98)・・・帆船と消防ヘリ

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2025/03/14(金) 写真で見る東京(81)・・・大手町のアート
心の伊達市民 第一号
0
2
-
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2024/11/25(月) 写真で見る東京(64)・・・丸の内界隈
-
2024/12/02(月) 写真で見る東京(66)・・・中野坂上
心の伊達市民 第一号
0
2
観光・体験に関する
特集記事
-
-
確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
0
-
Shinji