心の伊達市民 第一号
中高時代の友人達と「都心を歩く会」を立ち上げて、都内を歩き廻ったのは、もう昔のことのように感じている。「亡くなった友」、「半身不随になった友」、「足腰の弱った友」などが出て、いまでは「都心を歩かない会」に成り下がってしまった。
2月の企画は「寒いから」という理由で中止とし、3月27日にやっと再開した。
1月の時は前日に「体調不良で欠席」と知らせて来た友もいた。高齢者の会というのは、こんなものである。
私は3月の企画としていくつかの案を提示したが、その中から「うな重」と「カブトワン」に決った。今回は以前からYさんに言われていた、『東京の名店で、うな重を食べたい』を採用した。そこで日本橋三越前で待ち合わせて、近くの名店である「伊勢定」を予定した。
ところが予約の電話を入れたら、1週間も前なのに『満席です』と言われてしまった。
続けて『4階席は空いていますが、7000円からのお料理になります』と言われ、高過ぎるので断った。
あまり歩きたくないので、店選びも難しい。
やっと見付けた「宮川」を予約出来て、私はホッとしたのである。
集合場所の三越前から歩いて、先ずは福徳神社にお参りした。
ここで売られている金色の宝袋は人気商品で、この袋に買った宝くじを入れておくと「当たる」と言われている。神社だから「買う」なんて失礼なことを言ってはいけないようで、「初穂料」と呼び、値段は1500円である。
福徳神社をお参りした後に、うなぎ屋の「宮川」に向かった。
出来ることなら昔の兜町の名物鰻屋「松よし」に行きたかったが、この店は2018年に70年の歴史に終止符を打ってしまった。私は1度だけ、閉店前に行ったことがある。
その時は既に「場立ち」も無くなった頃なので、昼時でもお客は少なかった。
「うな重」は特に印象に残っていないが、私は「うな重」を食べながら「兜町が活況を呈し、場立ち達がうな重を食べている姿」を想像した。
うな重を食べ終り、歩き組とタクシー組に分かれカブトワンに向かった。
兜町の東京証券取引所は1878年に「日本の資本主義の父」とも言われ、大河ドラマでも取り上げられた渋沢栄一の尽力で設立されたのである。
それが1999年に全ての株取引のコンピューター化により、株取引現場から「場立ち」が消えた。そして近くに2021年に完成した、「カブトワン」という名のビルで決算発表などが行なわれるようになったのである。
友人達は現役の時は上場企業で働いていたので、いまでも売買はしないが、株式を持っているからカブトワンには興味があるようだ。カブトワンに入ると1階ロビーの天井から吊り下げられた、巨大な回転する大型LEDディスプレエイが目に入る。ディスプレイはリアルタイムで株価を映し出す。値上りは「赤」、値下りは「青」で表示される。画面の数字が目まぐるしく変化する。
カブトワンの巨大なディスプレイが、株価を表示していた。
3月27日午前の日経平均株価は、前日比460.66円高を示していた。新NISAも始まり投資に参加する若者が増えたので、年末には4万3000円くらいになるのでは?
ディスプレイ下の入口近くに2人用のベンチが置かれ、その片方には渋沢栄一が座っている。誰でも隣に座って、一緒に記念撮影をするような仕掛けである。私達も6人が代わる代わる座って、記念撮影をした。
(おまけの話)
久し振りの集まりだったが、1人も急な欠席が無く安心した。
待合わせ時間より早くみんなが集まったので、予約が取れなかった「伊勢定」の前を通り、福徳神社に向かった。神社の賽銭箱の横に「三方」が置いてあり、2人の若い女性が宝くじを置いて、「当たりますように」と念じて金色の鈴を鳴らしていた。
その下には箱があり、そこには『不要宝くじ納箱」と書かれていた。外れの宝くじを、ここへ納めるようだ。やっぱり当らないのだ!
鰻屋「宮川」の話である。
予約時に「伊勢定」が満席だったので、私は「宮川」も混んでいると思った。
ところが店はガラガラで、12時過ぎたらポツポツとお客が入って来た。
ネットで予約した時に、『もし注文が決っているなら、お知らせ下さい。調理に時間が掛りますので・・・』というような意味のメールが届いた。
しかし私が注文を知らせたのは、失敗だった。早めに出て来たのは悪くないが、私の期待した「熱々」ではなかった。友人達も食後に何も言わなかったから、「美味しい」までは行かなかったのだろう。
このまま解散でも寂しいので、人形町へ行ってお茶をすることにした。
私は甘いもの好きのYさんに聞いた。『和か?洋か?』と尋ねた。
「和」を希望したので、老舗の甘味処である「初音」に行った。
6人というのは半端な人数で、テーブルは2つに分かれた。
その時に少し前に入院していたKさんに、私は入院時の状況を詳しく聞いた。
最近はパンツもシャツも紙製の使い捨てで、病院に持参する物は無いそうだ。
でもこんな情報が役に立たない内に、アチラに逝きたい。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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