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じもとブロガー
心の伊達市民 第一号
赤坂にある日枝神社の「山王祭」が行なわれた。
この祭りは京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに「日本三大祭」として有名である。
山王祭は期間が長く、11日間も行われる。その間には「末社八坂神社例祭」、「神幸祭」、「境内茶園並狭山新茶奉納祭」、「氏子各町連合宮入」、「献灯祭」、山王嘉祥祭」など行事が盛り沢山にある。
今年はコロナ禍もあり、6年ぶりの山王祭の「神幸祭」の開催である。
王朝装束を身に纏った500人が300メートルの祭礼と行列になり、永田町・四谷・麹町・九段・皇居・東京駅周辺・霞が関・銀座・日本橋など約23キロを練り歩くのである。
今年は6年ぶりの復活を祝って、八代将軍徳川吉宗の命により江戸に連れて来たことが話題となり、江戸時代の山王祭に登場したという「ゾウの山車」が初登場する。他にも見所がたくさんあるので、どこで見るか私は迷った。
日枝神社というのは調べてみたら、『武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年(1478)太田道灌公が江戸城内に鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました』
『やがて天正18年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました』
更に『二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近です。山王祭は三代将軍家光公の頃から江戸城内に入ることが許され、将軍がご覧になった唯一のお祭りとして「天下祭」と呼ばれています』
『皇居となった現在でも、お神輿が入るのはこの山王祭だけ。皇居坂下門にて、皇室の御安泰を祈願します』とある。
この日も観客が多くて近付けなかったが、「鳳輦」が皇居・坂下門へ向かって行った。
半蔵門では広い道路の片側の歩道に、近くの小学校の生徒達が大勢並んで神幸行列を出迎えていた。四谷からの道は半蔵門で皇居に突き当たるので、多くのカメラマンはそこに陣取っている。行列が右へ曲がるところが、良いアングルのようだ。
だが行列がやって来ても交通止めはしないので、車も映像に入ってしまう。
一行は右に曲がって少し進み、国立劇場の門を入った。
ここが以前の日枝神社のあった場所なので、敬意を表しているのだろう。
ここで私は行列から離れ、1人で皇居に向かった。
皇居では既に大勢の人が道路の縁石に座り、行列の来るのを待っている。
私は一計を案じて、松林越しに行列を撮ると、良い写真になると考えた。
そして待つこと20分。行列が松林の向こうに見えた。
しかし考えが甘かった。行列と一緒に歩道を歩く人が大勢いたのである。
人の途切れる時を狙って、なんとか数枚の写真を撮った。
そこには今日の目的である、ゾウの姿も写っていた。
一行は皇居前広場にやって来た。
縁石に座って待っていた人達が、一斉に行列の方に駆けて行った。
行列はここで休憩となった。しかし今朝は午前7時45分からスタートしている。
皇居の後には丸の内仲通りから銀座、京橋、日本橋などの氏子区域を廻り、午後5時に日枝神社に戻る。
この暑さでは、相当の強行軍である。行列に加わっているのは、きっと会社の上層部から社命で駆り出された社員達であろう。私は家を出る時は「最後は銀座で見よう」と思っていたが、とてもそんな元気は残っていなかった。ご苦労さまでした。
(おまけの話)
山王祭の当日は神幸祭の行列は、日枝神社を午前7時45分に出発する。
そして戻って来るのが午後5時なので、日枝神社のお祭りなのに私は日枝神社に顔を出さないということになる。そこで事前に日枝神社にお参りしておくことにした。
日枝神社は地下鉄「赤坂見附駅」から歩いても数分である。
小雨模様であったが神社のエスカレーターは使わず、赤鳥居で有名な「稲荷参道」から登って行った。私が上ると、上から外国人観光客が次々と降りて来る。
赤鳥居は京都の伏見稲荷神社が有名だが、日枝神社も小粒だが外国人観光客には人気となっている。頂上の左手には、山王祭で使われる神輿の倉庫「御仮場」があり、その先には神幸祭の主人公の山車の倉庫「山車庫」があった。神輿は9区画に分れた倉庫に保管されていた。
山車庫では職人が2人で、山車に祭の飾り付けをしていた。
その横の入口から私は境内に入り、お参りをした。小雨ということもあり、参拝客は少なかった。
帰りも同じ経路を使い、赤鳥居をくぐって降りた。
途中で自撮り写真を撮ろうと思っても、次々と外国人観光客が来て写真を撮るので、私は待つしかない。京都まで旅行に行かない外国人が、ここで赤鳥居の雰囲気を楽しむのだろう。
ここの他にも根津神社の赤鳥居も、なかなか良い。
外国人が押し寄せるようになり、我々はなんとも思っていなかったが、日本には多くの観光資源があると教えられたのである。
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伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号
アクセス総数:1,422,095
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/jiyujin/blog2/see/entry-22759.html
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23キロを一日で歩く、というのは、毎日鍛えていない人にとっては、過酷ですね。それに、衣装や気温などの条件も考えれば、ほぼ生命にかかわるのでは?とさえ思えてしまいます。
それにしても、清水建設の広告は、はしたないですね。