心の伊達市民 第一号

靖国神社「春の例大祭」

4月21日から23日まで靖国神社の春の例大祭が行われたので、22日の当日祭に行ってみた。私は幸いに先の大戦で戦地には行ったが、戦死した親戚はいない。
地下鉄「九段下駅」を出て、靖国神社に向かう。入口に巨大な鳥居が見えて来る。

右側の「靖国神社」の石碑に、以前に中国人の若者が落書きをして問題となった。
中国や韓国の半日教育の影響だろうと思うが、困ったものだ。
それ以来、石碑に近寄れないように柵が設けられて、監視カメラも設置された。


 靖国神社大鳥居



広い参道を進むと、左側に黒やブルーの地味なスーツを着た若い女性がズラッと並んでいる。彼女達は近くの白百合学園幼稚園の生徒の母親たちで、幼稚園が終るのを待っているのである。その並んでいる母親達の前を通るのは、なんだか照れる。

参道の端の方をを見ると、黄色のモジャモジャの長細いものが大量に落ちている。
上を見上げると、そこには銀杏の木の花が咲いている。
それが風に吹かれて落ちているのである。ギンナンは気にする人は多いが、花は知らない人が多い。


 銀杏の花



参道は車両通行禁止だが、神門をくぐって黒塗りの車がやって来た。
この車は天皇勅使の乗った車ではないかと思って、中を覗いて見た。
するとやはり天皇勅使で、車内に古式豊かな衣装を纏った姿が見えた。

1975年までは毎年例大祭の時には天皇陛下は参拝していたが、政治的な判断からその後は天皇陛下のお使いである勅使が参向して、陛下からの供え物を献じご祭文を奏上するようになった。


天皇勅使の車



更に参道を進むと「神門」をくぐる。門の両側の扉には菊の紋章が飾られている。
私は靖国神社では残念な思い出がある。それはブログのことで、友人を失った話である。10年以上も前の話であるが、私は靖国神社の話題で、戦死した人達のことを「英霊」と書いたら友人からクレームが付いた。

彼の父は第二次世界大戦で戦死したので、母親は苦労して国を恨んで育ったようだ。
私は特に反論はしなかったが、国の為に戦って戦死した人は世界のどこの国でも大切にしている。

特に彼とはそれほど親しくはなかったが、「英霊」という言葉だけで友人関係は終った。この神社には幕末・明治維新から、第二次世界大戦の戦死者まで魂が祀られているだけだ。中国や韓国では知識不足と反日教育で、ここを「墓」と思っている人が多い。


 「神門」から「拝殿」を見る



神門を通り抜けると、右側に東京の桜の開花宣言をする標準木がある。
その先の神楽殿では、演舞が行われていた。
舞台の前には椅子が置かれ、多くの外国人が座って見ていた。

神楽殿の向かいの建物は参集殿で、正式参拝の受付の入口となっている。
建物の前にはいかつい黒服の男たちが、大勢たむろしてしている。
正式参拝を済ませた男達かもしれないが、素性は分からない。


 演舞「神楽殿」



参集殿の前を通り過ぎて、その先の右は「遊就館」で、入ったところにゼロ戦が飾ってある。突き当りを左に曲がり更に進むと、右側の一段下に土俵がある。
4月14日の午前9時から奉納相撲が開催されて無料で大相撲が見られるが、午前9時からと早いので行かなかった。コロナ禍の前には行ったことがあるが、奉納相撲なので真剣勝負ではなかった。


 奉納相撲の土俵



靖国神社の一番奥には「神池」がある。こじんまりした池があり、鯉と鴨が泳いでいる。ここまで来る人は少ないので、ここで静かに戦死した人達のことに思いを馳せるのに良い場所である。「神池」で休んでから、もと来た道を戻って行った。

そこは参集殿の奥に当たる「到着殿」で、決められた柵の中に報道陣が詰め掛けていた。私は柵の外から、「誰か有名な政治家でも出て来るのかな?」と思い、少し待ってみた。すると私服刑事のような男が近付いて来て、「なにか用事ですか?」と聞かれた。

私は黒いリックを背負った男なので、テロの恐れがあり私に近付いて来たらしい。
私は『ただ見ているだけです』と言ったのだが、男は私の近くから離れなかった。


 「神池」で遊ぶ2匹の鴨



(おまけの話)【絵葉書展】
中央区のイベントを探していたら、「銀座・日本橋の絵葉書展」というものを見付けた。場所は歌舞伎座隣の「アポロ昭和館 YOHOKU」と出ていた。
歌舞伎座近くで「アポロ」の名前で、すぐ思い当たった。

そこは晴海通りと昭和通りの交差点の角の出光興産の本社のあった場所で、「アポロ」は出光のマークである。私は以前に百田尚樹のベストセラー「海賊とよばれた男」を読んだので、日章丸事件を思い出した。


パンフレットと日本橋の古い写真



絵葉書は明治から昭和までの、銀座・日本橋が登場する絵葉書だけを集めた展示会だった。パンフレットには大きく「ヤフオク! 争奪戦収穫物」と書かれている。
「ヤフオク」の意味が分からずネットで調べたら、「ヤフーオークション」の略だった。

この絵葉書は2人の趣味人である木挽町の老舗和菓子店3代目「よしや」の主人と、銀座の老舗弁当屋8代目「弁松」の蒐集した絵葉書である。彼らが今までに集めた絵葉書の他に、ヤフーオークションでやっと手に入れた絵葉書を展示しているのであった。

地下1階の会場に行くと、受付の女性以外は誰もいなかった。
なんだかやり難かったが、『写真をとっていいですか?』と聞いたら、OKとなった。


  日本橋凱旋門(1)



会場には明治から大正・昭和と整理されて、絵葉書が並んでいた。
多くは古びたセピア色の写真付きの絵葉書で、イラストなどはほとんど無い。
私が一番興味を持った絵葉書は、「日本橋凱旋門」であった。

日本橋に凱旋門があったことを初めて知ったが、これは明治38年に日露戦争の凱旋記念で作られたそうだ。現在の橋の中間より少し交番側で、凱旋門はこの時だけの「はりぼて」で7日間で完成した。

凱旋門は祝祭後に取り壊されたそうだが、この時代には全国各地に凱旋門が作られ、今でも鹿児島県と静岡県に残っている。因みに私の家の近くの隅田川に架かる「勝鬨橋」は、同じく日露戦争で旅順陥落を記念して作られたものである。


 日本橋凱旋門(2)

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コメント

  1. 英霊(Y)

    英霊(Y)

    返信

    先の大戦で亡くなった兵士を「英霊」として祭る事には異議はないが、その「英霊」を創った戦犯を許すことはできません。「お国の為」という言葉に惑わされて死んでいった若い兵士たちに「英霊」という美辞で済ませることには疑問を感じております。
    決して靖国神社が悪い訳ではないのですが。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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