マンションの友人のFさんが、2月に入院したきり出て来ない。
彼とは食べ物の相性が良く、10月の今頃になるといつも新橋駅近くの食堂にサンマの塩焼きを食べに行っていた。ところが今年はサンマの相棒が入院の上に、サンマが歴史的な不漁で食べるチャンスが無かった。



1匹880円(伊勢丹・2018年)

「サンマ不良」をネットで検索したら、面白いサイトに行き当たった。
それは「日刊水産経済新聞」というもので、「色々な業界新聞があるのだなー」と感心した。8月25日の記事によると【23日、中型船4隻により道東・厚岸で行われた。薄漁のため全量発泡箱詰めで、数量は4隻合わせて約900キロ。24日のセリでの最高値はキロ1万1880円と、約25トンの上場があった昨年初水揚時(2430円)の5倍近くに高騰した】。



吉野家は「さんま炭火焼き定食」をやっていた(2018年)

10月15日になると【東京・豊洲市場の生鮮サンマの流通量が9月に比べて勢いをみせている。10月に入り、13日までの流通量は累計7万4480箱。前年同営業日比では6割程度にとどまるが、9月の低迷期に比べると明らかに入荷水準は高まっている】。その後の記事でも、漁獲量は増えていないようだ。



築地「竹若」の「サンマ炭火焼き定食/2030円」(2018年)

そんな時にTV番組で和食チェーン店の「大戸屋」取り上げていた。
「宣伝文句は」と書き出したが、自分で「古いなー」と感じ書き直した。
そのキャッチコピーは【脂がのった生さんまを、炭火でじっくり焼き上げました。大根おろしとともにどうぞ】。見るからに美味しそうなので、家族を誘って食べに行くことにした。



「大戸屋」の「生さんまの炭火焼き定食」の広告。

マンション前からBRTに乗って新橋に行った。大戸屋の店は駅近くの2階にあった。
店はかなり広いが、フロアの店員はオバサンが1人だけだった。
席に座ると、テーブルにはタブレットが置いてあった。
タブレットを自分で操作して、「生さんまの炭火焼き定食」を注文する。
大戸屋は大株主のコロワイドと経営権争いをして負けたばかりの時で、心なしか元気が無いように感じた。



東京BRTの2両連結バス(新橋行き)。

午後6時過ぎだったせいか、次々と新橋辺りで働くオジサンが入って来る。
みんな1人だ。女性も1人で入って来る。みんな色々な事情があるのだろう。
家族連れは我々だけだったので、なんだか場違いの所に来てしまった感じがした。
単身者には家で自分で作る夕食よりも、栄養的にもバランスが取れるし、値段も安い。
フロア係のオバサンは1人なので、目が回るような忙しさである。



「生さんまの炭火焼き定食」(980円・税込み)

しばらくして出て来た「生さんまの炭火焼き定食」は大根おろしも付いているし、ヒジキと豆の煮ものまで付いて来る。これで税込み980円は安い。
上手に焼けているさんまを口に運ぶ。小さめのさんまだが、脂はのっている。
「さんま2匹・1255円」というメニューもあったので、それにすれば良かった。
今シーズン初の「さんまの塩焼き」は自分が日本人であることを再認識させてくれたのである。



今シーズン初めてのさんまを楽しんだ。

(おまけの話)
年配の人には、誰でもサンマには思い出話があると思う。
私の子供の頃は秋になると、母が夕食の支度で外でサンマを焼いていた。
その時は庭に七輪を出して、煙が家の中に籠らないようにしていた。
近所の家でも一斉にサンマを焼くので、その一帯がサンマの匂いで充満していた覚えがある。
あの頃はサンマは貴重品ではなく、安い魚だった。



釧路のサンマ(2007年)

結婚してからも、サンマ好きは変らなかった。
幸いに女房は料理研究家だったので、自宅に業務用の魚焼き機があった。
これは優れもので煙が外に出ないし、こんがりと上手く焼ける。
もう庭に出て寒い思いをして焼かないでも、サンマの塩焼きが食べられた。
しかしマンションに越して来たら「オール電化」で、サンマは焼けない。
だから外に出掛けて食べるしかなくなってしまった。



イコロ農園のサンマパーティ(2008年)

北海道伊達市に滞在していた時に、Kさんに言われた。
「橋本さん、根室のサンマは立つというのを知ってるか?」
「明石のタコは立つ」というのは知っていたが、「サンマが立つ」は知らなかった。


Kさんの説明では、「新鮮な根室のサンマは尻尾を持つと、倒れずに立つのだ」とのことだ。
そこでイコロ農園に伊達市の友人達に集まってもらい、Kさんに根室のサンマを手配してもらい毎年のように「サンマパーティ」を開いた。
そのKさんはもういない。



伊達市の寿司屋「文七」のさんまの刺身2007年)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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