ブログ閉鎖中の話題(2017年10月18日)


私の学生時代は理系だったのに、なぜか引退後は頭が文系となっている。
突然だが、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という松尾芭蕉の句が頭に浮かんだ。
特に理由は無いのだが、時々、中学高校時代に学んだ言葉などが浮かんで来る。最近のことはすぐに忘れるのに、昔のことは覚えている。困ったものである。



「松尾芭蕉像」       深川では店先に投句箱が設置されている。


松尾芭蕉は私の住む中央区の隣の、江戸川区深川に住んでいたという縁がある。彼は1644年に三重県伊賀国に生まれ、1689年に45歳で弟子の河合會良と奥の細道の旅に出る。そして1694年に大阪で50歳で亡くなっている。
その間に数々の有名な俳句を残したが、一方で幕府の忍者だったのでは?という俗説もある。



運河沿いにある「芭蕉俳句の散歩道」。春は桜が綺麗だ。




松尾芭蕉の講釈はともかく、秋になり涼しくなったのでまたウォーキングを始めた。もう色々と行っているので、同じ場所に行くことが多くなった。
今回は10月に江戸川区芭蕉記念館で「芭蕉忌記念講演会」が開催されたので、それを聞きに行ったのがキッカケで深川にある芭蕉のゆかりの地を巡ってみた。



芭蕉が「奥の細道」に出立した場所。


都バスで門前仲町まで行ってランチをし、そこから歩き出す。
最初のゆかりの場所は芭蕉が「奥の細道」に出立した地点の「採茶庵跡」である。ここは芭蕉の門人杉山杉風の別荘だったが、今は芭蕉の銅像があるだけだ。


次に向かったのが「度会園女墓」で、雄松院というお寺に祀られている。彼女は芭蕉の門人で、富岡八幡宮の前で眼科医を開業していた。



雄松院にある「度会園女の墓」。


次に向かったのは臨川寺で、芭蕉はこの寺の仏頂禅師と親交を深め参禅に訪れた寺である。その次は少し離れて、長慶寺である。地図を見ると近くにいるのだが、寺らしき建物や森が見えない。
さんざ探したら、公園のトイレの目隠しに「句塚は戦災で失われ、現在は台石が残るのみ」とイラストと一緒に書かれていた。


しかし家に帰ってからネットで地図を再確認したら、もう少し裏手に長慶寺はあった。相変わらず、そそっかしい私だ。



臨川寺の「墨直しの碑」。


次は芭蕉稲荷神社である。ここは芭蕉が住んでいた家のあった場所らしい。お稲荷さんの名前に芭蕉を付けるくらいだから、この地では芭蕉は愛されていたようだ。そのすぐそばに「芭蕉庵史跡展望庭園」がある。
隅田川に面した小高い場所に芭蕉の銅像が建っていて、銅像は隅田川を見ている。



トイレの目隠しに書かれた長慶寺のイラスト。


芭蕉は俳句だけでは食えないので、仕事として「水道技師」をしていた。近くの小名木川の運河を作る時に、大いに働いたようだ。
江戸時代には小名木川と荒川が合流する地点に検問所があったが、今でもそこには芭蕉の碑が立っているが、今回の徘徊では遠いのでパスとした。



「芭蕉庵史跡展望庭園」は隅田川に面している。


(おまけの話)
私は少し前に同級生の作家である嵐山光三郎くんの書いた「芭蕉という阿修羅」を読んだ。
その前には「芭蕉紀行」も、「悪党芭蕉」も私は読んだから、彼の家庭経済に少しは貢献したと思う。


そして芭蕉に関する知識も増えたと思い、講演を楽しみにしていた。
芭蕉記念館で行われた講演は「芭蕉の求めたもの」という題名で、上智大学文学部国文科教授の大輪靖宏氏が行った。



「江戸川区芭蕉記念館」で行われた後援会の会場風景。


今回の講演はかなり専門的であったが、分かり易く解説してくれたので助かった。芭蕉は「謂い応せて何かある」と言っている。その意味は「俳句は全部を言ってしまったら何も残らない」ということだそうだ。


有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の声」も5年間に3回も書き直している。
最初の句は「山寺や石にしみつく蝉の声」だったそうだ。



芭蕉もここから隅田川を見たのだろう。 有名な「八百屋お七の大火」で焼け出された芭蕉は、隅田川に飛び込んで一命を取り留めた。


次に芭蕉が言っているのは「虚構の必要性」だそうだ。
「荒海や佐渡に横たう天の川」という句だが、これは7月に直江津で詠まれている。7月の日本海というのは静かで荒れていない。また天の川は直江津からは佐渡方面に見えない。


だからこの句は嘘と分かった上で、芭蕉は作ったのだと解説してくれた。なかなか面白い講演で、1時間半はアッという間に過ぎて行った。
それで受講料は500円と言うのは安過ぎる。



芭蕉が住んでいた場所は「芭蕉稲荷神社」となっている。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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