
心の伊達市民 第一号
2年ぶりの再会
ある朝のことである。
パソコンを開いたら、facebook に、メッセージが届いていた。
送信者はベトナム人女性のHueさんだった。『仕事で群馬県に来たが、今日の帰りに東京駅で会えませんか?』と書いてあった。
Hueのベトナム語の正式な発音は分からないが、私はカタカナで「フエさん」と呼んでいる。
急な話だったが、折角なので私は東京駅に出掛けて行った。

女房からのプレゼントの、手づくりのマスクをかけるフエさん。
フエさんと知り合ったのは、彼女が日本に実習生として来た10年ほど前のことだった。
関西地方でフエさんと一緒に働いていた同じ会社の、私の知っているベトナム人実習生の紹介だった。
その実習生は私がホーチミン市に3ヵ月間滞在した時に、私が教えた日本語学校の生徒だった。
そんなフエさんとの縁が、今まで続いていたのである。

和田倉門の銀杏並木は、まだ少し紅葉には早い。
フエさんは3年間の日本での実習生生活を終えて帰国し、その1年後に札幌市の日本語学校に留学して来た。
その時に私は彼女に日本名を作ってあげた。それは「富恵(フエ)」で、彼女も漢字の意味を知り喜んだ。
札幌時代には私の伊達市の友人達に彼女を紹介して、札幌に行った時には富恵さんに会ってもらい食事をご馳走してくれるように頼んだ。彼女は今でもその時のことを覚えていて、とても感謝をしている。

銀杏の木の下で、2人で記念撮影。
午後1時に富恵さんと東京駅で落ち合い、カフェに入りお茶をした。
メールではやり取りをしていたので久し振りという感じはしなかったが、実際には2年ぶりの再会だった。
彼女は今年の4月に神戸の大学を卒業し、日本の会社に就職している。
私は卒業式には行けなかったが、関係者だけに公開されたZOOMで彼女の姿を見たのであった。

フエさんがスマホで私を撮影している。
私は知らなかったが、彼女は10月末に日本人男性と結婚し入籍を済ませていた。
彼氏がいることは知っていたが、結婚したことは知らなかった。
コロナの影響で日本で結婚式はしていない。
またベトナムに帰れば2週間の隔離で、日本へ戻ればまた2週間の隔離となる。合計で4週間と滞在日を加えたら、とてもそんなに長く会社を休めないので、ベトナムでの披露宴もお預けである。

和田倉噴水公園の噴水の前で。
富恵さんは実習生時代から通算すると、もう日本に10年も住んでいる。
憧れて来た日本が彼女の日常となり、考え方も日本人的になっている。
ベトナム人の日本での犯罪率が中国を抜いて一番になっていることに付いては、『とても恥ずかしい』と言っていた。そして更に彼女は言っていた。『日本に来る前は日本人と結婚して、日本に住むようになるとは夢にも思わなかった』。人生って、だから面白い。

球型噴水と霧状噴水(和田倉噴水公園)
お茶を飲んだ後に、2人で和田倉門の銀杏並木を見に行った。
かなり紅葉は進んでいたが、まだ最盛期は何日か先になりそうだ。
彼女は何枚も私と一緒の写真を撮る。
この日は大勢の人が出て来ているので、外国語訛りの日本語を話す孫のような年の女性と一緒では、変な誤解をされないかと心配だし少し恥ずかしかった。
2時間くらい一緒に過ごし、フエさんを東京駅まで送って改札口で別れた。次は『夫と一緒に会いに来る』と言っていた。

噴水公園の向かいの芝生でエサを探すスズメたち。
(おまけの話)
新型コロナウィルスが日本では劇的に減少している。
その大きな理由はワクチン接種だと思うが、国立遺伝学研究所の井ノ上教授の意見が私には納得できる。
それは以前にも書いたが、私の祖父がスペイン風邪で亡くなっているが、そのスペイン風邪はワクチンも薬も無いのに自然消滅したという歴史があるからだ。

東京駅にも秋が来た。
井ノ上教授の発表した学説は、次のようなものである。
【8月下旬のピーク前にほとんどのウィルスが増殖できないようなタイプに置き換わっていて、結果的にウィルスが死滅し、第5波収束の一因になった可能性がある】
【ウィルスは体内に入り、細胞に入り込むと自分を作る設計図を大量にコピーする。そのコピーでミスをしたものが変異株である。ウィルスの中にはコピーミスを修正しようとする物質があり、間違った設計図を正しいものに書き直そうとする】

東京駅丸の内北口の「みどりの窓口」には祈祷室がある。
【ところがその作業を邪魔しようとする酵素が人間の体の中にある。この酵素の働きが強いと、設計図は修正されないままにウィルスの変異がどんどんと進む。デルタ株は感染力が強いので一気に広まって行くが、それと同時にコピーミスもどんどん起きる】
【そうなるとウィルスは原型をとどめない設計図となり、ウィルスを作れず、増やすことも出来ない。日本人を含む東アジアの人や、オセアニアの人は設計図の修正を邪魔する酵素の働きが活発なのである】・・・という仮説を発表したが、私はその説に賛成である。なぜならワクチン接種が進んだ欧州では、また感染が拡大しているからである。

北口改札口から新幹線に乗って帰って行くフエさん。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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洞爺湖の紅葉
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むしゃなび編集部
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【あの人に会いに】真摯に向き合う [ 本田 梢さん / 洞爺 ]
むしゃなびエリア(胆振地区・虻田郡)にて 会いに行ってみてほしい ”人” にフォーカスする企画 【あの人に会いに】vol.7 今回は、洞爺に7月18日にオープンした 『いわきち料理店』店主の 本田 梢(こずえ) さんです。 『好き』では進めなかった料理の道 「子どもの頃、家族の誕生日や母の日には早起きして、料理を作ってサプライズしていました。それが原点」 「あと、食べるのが大好きでした。3歳の時にはラーメン一人前食べてたくらい(笑)」 子どもの頃から食べること、そして誰かのために料理を作って喜んでもらえることが大好きだった梢さん。高校卒業後は調理の専門学校へ進学することを決めていました。しかし、受験を目前に控えたある日、飽食問題や世界の食の不均衡について考えるようになり、自分の進路にも疑問を持ちました。 「中学生の時に、狂牛病が流行って多くの牛が殺処分されました。人間中心にまわる世界に疑問を抱くようになり、食べ物の背景について考えるようになりました」 「日本では食べ物を沢山捨ててしまっていて、でも他の国には食べ物が無いらしい……そんなジレンマに気付いて。料理をやっている人はもう沢山いるし、私はやらなくても良いのかなとか、悩んでしまって」 料理の道に進めないと感じた梢さんは、受験の1か月前に急遽進路を変更。短大へ進学し、卒業後は一般企業に就職しました。家に帰れないほどのハードワークをこなしながら、自身の理想と社会との葛藤も感じていました。 「学生の頃にインドに行ったときに出会った日本人の方が、帰国後、自給自足のような暮らしをしていて……。そんな自然と近い暮らしが理想だと心のどこかで思ってはいたけど、普通に生活していると、そんな暮らしは非現実的なように感じていて。実現している人を目の当たりにしたことで、自分の本当の考えに気付いてしまったというか……。そういうのもあって、会社勤めは長く続かずに辞めちゃうんですよね」 まず、自分自身が平和であること 退職を決め、その後の1年間は環境活動に参加していました。 「原発問題で青森や泊まで行ったりしました。でも、怒っている自分たちと、現地でそれが正しいことだと思っている人たちと。もし私たちの考え方が認められたとしても、反対の人たちは納得がいかないまま、今度はまたその人たちの怒りで繰り返しなんだ……と思って」 平和を想っているのに、そのベースが世の中への怒り。戦争などネガティブなものの原因となる心を自分も持っているということが、自分を見れば見るほどわかってきました。 「一番近くにあって、責任を持てるのはまず自分。個々が集まって全体になるから、自分自身が平和であることが一番の基本だと思って」 そんな気付きを経て、梢さんは環境活動を離れ、無期限の旅に出ることにしました。 「いつ帰ってくるかもわからなかったから、母と握手をして実家を出てきました」 インドに1年滞在 中国、タイ、ラオス、イギリス、イタリア……そして学生の頃に訪れたインドも再訪し、1年ほど滞在しました。 インドでは、梢さんが今も大切な習慣としている”ヴィパッサナー瞑想*”を本場で体験する機会に恵まれました。 「瞑想って神秘的なことではなくて、すごく地味な作業。反応せず観察する練習。私は良いものだなと思って、それから続けています」 *ヴィパッサナー瞑想:「ものごとをありのままに見る」という意味の、インドの最も古い瞑想法のひとつ。宗教儀式ではなく、欲望・嫌悪・無知を取り除く心の浄化のための実践法。日本では10日間のコースが開講されており、社会から完全に離れ、人と会話せず、沈黙の中で自己観察によって自己浄化を行う。コースは無償で、修了者の寄付と奉仕で運営されていることも特徴。 「他には、自然農をやっている夫婦のところで何か月か暮らしました。すごくパワフルな場所で、来た当初に表情が暗かった人が滞在していると生き生きとしてくるっていうくらい力のある所でした」 結果的に2年弱の旅となり、帰国しました。また会社に所属して働くイメージはできず、帰国後は山小屋で働くことにしました。 山小屋にて、料理への想いが再燃 一度は閉ざした料理の道、歩み始めることにしたきっかけは山小屋でのお仕事でした。 「山小屋で料理担当となり、一日中料理をするようになって。料理は自己流だったので、誰かの元でちゃんと学びたいと思い始めました」 その頃には精進料理* やマクロビオティック* などに出会っていた梢さん。自分の理想と矛盾なく、その場の感覚を満たすだけではない料理があることを知り、再び志したいと思うようになりました。 *精進料理:仏教の戒に基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理。作る過程も仏道修行の一つとされる。食材と向き合い、なるべく無駄が出ないように調理することが特徴。 *マクロビオティック(マクロビ):玄米菜食を基本とした日本発祥の食事法。暮らす土地の旬のものを食べる、食材は丸ごといただくという二大原則がある。 ところで、山小屋で働かれるということは、登山好きだったのでしょうか。 「同僚たちに『満月の日に稜線まで行こう』と誘われて。何もわからぬまま付いていったんですけど、暗いから景色もなくて、空気も薄くて、すごく苦しくて。もう絶対登山やらない、って思ったんですよ」 「でも、稜線を抜けたときに、世界がガラっと変わって……。満月に照らされた、白い山が見えるんですよね。その瞬間に、全部一掃されて」 それからは、休憩時間にはトレーニングとして山を歩いたり、休みがあれば他の山に行ったり、更にはテントを持って一週間も山に行くほどの登山好きに。 「山と瞑想は、一生続けるだろうなと思います」 欠落を埋めるため、必死にもがいた10年間 料理を学ぶなら東京!と、鎌倉や東京の精進料理、懐石料理、日本料理店にて修業を積みます。日本料理の現場は、どこも凄まじい厳しさでした。 「とにかく必死で。仕事に笑顔や楽しさは不要という感じで、雑談も一切なく。でも、本当に料理に真剣な人しかいませんでした」 職場では怒号が飛び、夜遅くに帰宅してからも更に勉強。まさに修業と言う名の日々。 「ルームシェアをしていたので、コンビニのイートインスペースで朝4時まで勉強したり……」「賄いでも、親方のOKが出るまで何度も作り直すので、仕事終わりに毎日(他のお店の)冷やし中華ばかり食べに行ったり……」 梢さんは必死に食らいつきましたが、1年ほど経った頃、心身共に限界を迎え続けられなくなってしまいます。 「『また挫折しちゃった』と思って。凄く怒られていたのもあって、その時は自分が世界一の落ちこぼれだって本気で思っていました。いつも辞めてばっかりで、志して来たのにまた辞めちゃうんだ、って」 それでも、料理への想いはどんどん大きくなっていき、その後も場所を変えて修業を続けました。 しかし、そのどこもまたハードな現場でした。緩やかな環境で働くという選択肢もあったはずなのに、いつも厳しい環境に身を置いていた梢さん。 「”欠乏している、足りていないところを埋めなきゃ”って思いこんでいて。弱いのにストイック。だから飛び込んでいっては、限界になって折れちゃう。しなやかじゃないというか……」 そんな修業期間にも、終わりは訪れます。 「ふと、『もう北海道に戻るタイミングだ』と思って」 札幌出身の梢さん、『東京には勉強に来ていて、いつかは北海道に帰る』と思っていました。とうとうその時が来ました。自然の近くで、根を張って暮らせる場所を求めた結果、ご縁があり洞爺湖に辿り着きました。お店を開くと決めてから、10年ほど経った頃でした。 『いわきち料理店』オープン 『いわきち料理店』は、日本料理や重ね煮がベースのやさい料理店です。 「最初は誰も来ないと思ってたんです。誰も来ない日が一日もなく、来てくれたことが嬉しかったです」。とにかく謙虚でひたむきな梢さん。料理に対する想いも自分が主体ではありませんでした。 「つくる人は一番の黒子だなと思っていて。野菜や食材があって、その野菜を作った土や太陽、生産者、運ぶ人、器を作る人、その器の土、火のエネルギー……いろんなものが集約して一皿になる」 「でも、食べ物って一瞬でなくなっちゃうし、記憶に残らなくても、”〇〇さんの料理”って思ってもらわなくても良いと思っていて。忘れられても、いろんな命が食べた人の心・身体に引き継がれていくものだから、ちょっと役に立てたらな、と」 「精進料理というと、肉食べないとか作法とかってなっちゃうけど、もっとベースのことだと思っていて。作るときの心の在り方、自分自身の修業。多分、心が純粋になっていくと、慈悲とか祈りの気持ちが沸いてくると思ってる」 とはいえ、ただ美味しいものをつくっています!と微笑む梢さん。創意工夫が散りばめられた美しいお料理の数々をぜひ体験してみてください。 そして、料理姿は凛々しく、しかしお話してみるとふわ~っと柔らかい、相反する雰囲気を兼ね備えている梢さんに会いに、お店まで足を運んでみてください。 【いわきち料理店】 (洞爺社会福祉協議会向かい、水の駅から徒歩2分) やさい料理店 veggy Japanese 日本料理や重ね煮がベースのやさい料理 昼 11時~13時半 L.O 夜 17時半~19時半 L.O ●やさい懐石 種と実コース ※4日前までの完全予約制 ●季節の御膳 一汁三菜・香の物 ●おそうざい [量り売り販売] 木曜日のみ(15時半から19時半) ※容器をお持ちください、容器代は別料金です。 ■ご予約方法 Line:@049zwhqi instagram:@iwakichi.toya ↓
misaki
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