竜舌蘭の花が咲いたことは、マンションの友人、同級生、更に東京に住む友人達にメールで知らせた。「100年に一度しか咲かない」という言葉に驚きを感じて、みんな喜んでくれた。
その中に私の仏像彫刻の先生だったE先生がいる。


「だった」というのは、11年前にここへ引っ越して来た時に私は教室を辞めたからである。
でもメールで、今でも細々と繋がっている。
私からはE先生に『冥途の土産に、竜舌蘭を見に行って下さい』と書いて送信した。





15年くらい前の私に自信作「阿修羅像」


私より若いE先生は、メールで次のような返信をして来た。
『いつも、色々な情報を頂き有難うございます。どうにか元気にしています。「竜舌蘭」のことは全く知りませんでした。勉強になりました。22日に行ってみます。北海道では「ナナカマド」のことも教えて頂きました。


一番感動したのは、日立海浜公園で「ネモフィラ」が一面に咲いたあの写真でした。何年か前でしたがその公園に見学に行ったぐらいでした。 「冥途の土産」は閻魔さんにお持ちするのですか? まだその感覚は無かったです。これから少しづつ・・』



下から8本の枝まで開花して来た(3月22日)


折角の機会なので、私はE先生と現地で待ち合せて竜舌蘭を見ることにした。
ところが22日は突然の寒気が襲い、窓から外を見ると天候は雨からみぞれ、そして雪となった。


東京電力は電力ひっ迫で、「節電」のお願いをするほど寒くなって来た。
午前9時過ぎに先生からメールが入った。『本日はお花見をご一緒する予定です。生憎のお天気ですが、いかがされますか? 私はどちらでも結構です』とあった。



少し枯れて来た花も出て来た。


私からは『折角の機会ですから、現地でお待ちしています』と返信しておいた。
早目に築地川銀座公園に行ったら、思った以上に寒かった。
私が最初にこの公園の竜舌蘭の情報を知り、見に来たのは2月8日だった。
それからも時々、見に来ていたが、僅かに開花したのは3月3日だった。
あれからこの日で19日目だった。



最初に開花した枝の花は枯れて来た。


いつもの大きなリュック姿で現れた先生はさすがに寒そうだった。
早速、私が竜舌蘭を案内し説明をしたが、6本の竜舌蘭の中の3本だけが咲いている。
もう最初に咲いた花は枯れかけている。冷たい雨が吹き付けて、さすがに寒くて見に来ている人もいない。
先生も初めての竜舌蘭の見物で嬉しそうだったが、花に華やかさが無いので「見たら終り」という感じである。



まだ全然、花が咲かない枝もある。


体が冷えて来たので、近くのカフェに逃げ込んだ。
そして私が生徒だった頃の昔話や、ハワイで仏像展示会をやった時の話で盛り上がった。


その後、先生と別れ、私は寒いが開き直って1人で隅田川テラスを歩いて帰った。
すると地元のボランティアの人達が植えた春の花が、壁沿いに勝鬨橋まで続いて咲いていた。
花壇にも色とりどりの花が咲いていた。寒さの中でも「春が来たんだなー」と感じた散歩道だった。



「オオキバナカタバミ」(墨田川テラス)


勝鬨橋を渡り、隅田川の反対側のテラスを歩いて家に向かった。
ここも私の好きな散歩道で、向側には旧築地市場、向かう先には築地大橋が見える。
東京タワーも見える。築地大橋の手前の石段を登り、勝どきテラス公園に出る。


ここの桜が綺麗である。今年は例年より4~5日はソメイヨシノの開花が早い。
私は3月17日に桜の木の根元に2輪だけ咲いているのを見たのが、今年初の桜でこの場所だった。
でもこの日の様子では枝の桜は寒さに震えていて、開花はまだ2日くらい先のように思う。



勝どきテラス公園の桜はまだ咲かない(3月21日)


(おまけの話)
新型コロナウィルスが現れてから、マンションの知り合いの動向が分からなくなった。
もともとマンションというのは、「隣にだれが住んでいるか?」が分からない。
そんな中でも私はなるべく知り合いを作るようにして来た。


ある日のことである。マンションの友人のXさんからメールが届いた。
『M棟50階のNさんが、昨年1月に亡くなっていることが、Sさん経由で今日、聞きました。享年85歳のはずです』。




「スノーフレーク」(3月21日に撮影)


そのNさんには私は時々、バス停で会うことがあった。『どこへ行くのですか?』と聞くと、『築地市場に買い物だ』と言っていたのを思い出す。
私が築地本願寺の朝粥を食べに行く時に、Nさんはダブルの背広で籠を持ち、築地市場に買い物に行くところだった。私が『Nさんはいつもチャンとした身なりをしていますねー』と言うと、Nさんは照れながらも『これしか持っていないんだよ』と言っていた。



「カモミール」3月22日は寒かったので見るだけ(撮影は3月21日)


その後、またXさんからメールが入った。
『Nさんのことですが、いよいよ最後の時に奥さんの手をきつく握り、「ありがとう」と言ったそうです。Nさんは日頃、そんなことを言うタイプの人ではなかったので、奥さんは面食らったそうです』。


こんな言葉を最後に言われたら、奥さんは今までの苦労が全てすっ飛んで行っただろうと思う。
私もその時が来たら女房に『今までありがとう』と言おうと思うが、果たしてその時まで覚えていられるか心配だ。散り際は綺麗に逝きたい。



お花畑花壇(隅田川テラス)3月21日撮影


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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