心の伊達市民 第一号

思い出がまたひとつ

ブログ閉鎖中の話題(2015年3月9日)

有楽町の「ニュートーキョー」の本店が閉店となり、ビルが取り壊されることとなった。
多くの人にはあまり関係が無い話で、「むしゃなび」で取り上げるの?と疑問に思う人もいるだろう。


ニュートーキョー本店(マリオンの向かい側)



しかし私にとっては大事な思い出が詰まっているビルなのである。
「3月8日(日)が最終営業日となり、その後は建替えの為に閉店となる」と東京の新聞やテレビでは伝えている。こんなローカルなニュースは地方では報道されないだろう。


ビアホール入り口。(赤レンガ作りが自慢の建物)



私とニュートーキョーの関係は51年前のニューヨーク世界博覧会まで遡る。
新聞広告で日本のNY博覧会事務局のバスボーイ募集を見て、私は応募したら運良く合格した。なんと競争倍率は90倍を超えていたというから、私の幸運はここから始まったと言っても良いだろう。

【バスボーイ】・・・・・http://yorutea.com/?p=8161


開店当初からの人気メニュー。



当時の日本はまだ貧しく渡航も自由化されていない時代で、多くの日本人は自分達の生活に精一杯で、外国などは夢のまた夢であった。
「トリスを飲んでハワイへ行こう」のコマーシャルは、これから更に後の時代のことである。


当時のままの室内も赤レンガで出来ている。



私はNY博のバスボーイの試験に合格してから、その後、色々な研修があった。
座間の米軍キャンプに泊りアメリカ体験をしたり、アメリカの習慣などの勉強もさせられた。座間キャンプでは朝食に出る米兵が飲むオレンジジュースが本物なので驚いた。


昔を懐かしんで、お客は年配者ばかり。



そんなことの仕上げとして飲食業の実習があり、私は有楽町のニュートーキョーに派遣された。この店は当時はビアホールで売っていたので、私は1階のビアホールに配属された。ウェイターの仕事も慣れて来ると面白く、両手で生ビールの中ジョッキを8杯も運べるのが自慢だった。
(注)現在のこの店の大ジョッキは、以前に私が働いていた時の中ジョッキのようだ。


私の食べた2色オムレツ。あまり・・・。



そんな思い出の詰まったニュートーキョーの最後の見納めに、3月7日に1人で写真を撮りに行ったのである。現地ではビルの赤レンガに頬ずりこそしなかったが、手で愛おしく触ってみた。なんだか22歳に戻れたような気がした。

こうやってまた、東京から思い出の場所がひとつ無くなって行く。
いつまでも思い出に浸れるのが引退した男の特権かもしれないと思い、静かにその場を離れた。


ステンドグラスは昔からあったようだが、私は覚えていない。



(おまけの話)
突然だが、ラブレターの話である。
私は「今までに」と言っても22歳までだが、ラブレターを3回もらったことがある。
2回までは地元の小金井の顔見知りの女学生であった。
私は男子校に通っていたので、女学生には縁が無かったので嬉しかった覚えがある。


向かい側にあった日劇ミュージック・ホールも無くなり、マリオンという名前のビルに。



3回目にもらったのが、有楽町のニュートーキョーの時だった。
当時のニュートーキョーで働いていたウェイトレス達は、地方から集団就職で出て来た中卒の女性達であった。そんなところに大学生の私が紛れ込んだので、よほど珍しかったのだろう。


私の行った翌日の営業で閉店となった。あと1日と10時間38分で終り。



なんと、ここで3人の女性からラブレターをもらってしまった。
うぶであった私はどうしていいか分からなかった。
今なら上手いことを言って、上手いことをしてしまったかもしれない。

今の時代はスマホが普及してしまい、ラブレターなんて言葉さえも死語となってしまった。古いものは何でも良いと感じる年になってしまい、今の私はボケとお迎えの競争となっている。


オープン当初のテーブルと椅子。(93年前のもの)

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コメント

  1. 疾走(Y)

    疾走(Y)

    返信

    これまで長期間に渡りブログ執筆に疾走してきた「心の伊達市民 第一号」さんに拍手を送りましょう。昨日のブログで「もう無理!」とのタイトルを見て、『少し肩の力を抜きましょう』と言いたかったです。長距離を走るマラソンでさえも41.25km?でゴールを迎えるのですから、「もう良いのですよ!」ゆっくりしましょう。
    長い間、多摩人にとっては外国の様な都心の名所・旧跡を紹介してもらってありがたかったよ!感謝してます。

  2. Shinji

    Shinji

    返信

    この文章が心に響くので、コピーします。
    ”こうやってまた、東京から思い出の場所がひとつ無くなって行く。
    いつまでも思い出に浸れるのが引退した男の特権かもしれないと思い、静かにその場を離れた。”
    まさしく、”時の流れ”をよく表現していると感じいっています。

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