
心の伊達市民 第一号
コンサートへ行ったのは、何年ぶりだろうか?
しばらくコンサートからは遠ざかっていたが、同級生のYさんからお誘いメールがあった。
『突然ですが、我が家を「積水ハウス」で建てたので、そのオーナー様ということで「Owner's Friendship Concert」の招待に当選しました。貴兄が会場の近くにお住まいなので、勝手に同伴者として申請してあります。7月16日(日)午後2時開場で、3時~4時45分の演奏時間です。会場は東京国際フォーラムです。演奏予定曲はクラシック、ミュージカル、映画音楽等があります』と知らせて来た。
当日は中央区役所の総務部災害管理課から「熱中症警報」がメールで届いた。
『本日は暑さ指数が「厳重警戒」以上と予想されます。炎天下の活動は控え、こまめな水分補給、休憩を心掛けて下さい』。
天気予報をTVで見たら、東京の最高気温は36度であった。
体温と同じ気温となるとやはり高齢者にはキツイが、Yさんからのお誘いなので昼から出掛けて行った。
開演は午後3時なのに、気の早いYさんは「午後1時30分にホールCの入口で待つ」と知らせて来た。「早過ぎないか?」と思ったが、みんな年をとると気が早くなるので仕方ない。その時間に間に合うように家を出たら、午後1時に『もう入口に来ました』と気が早い。
午後2時が開場なので、待つ場所も無く、地下のエスカレーターの横で時間をつぶした。2時に会場に入ったが、それでもまだ開園までは1時間もあった。
指定席なので、そんなに早くから来る必要も無かったと私は思うのだが・・・。
なにしろ時間があるので、席に着いてからは私が持参した補聴器の話になった。
彼も持参していたが、20万円の耳掛け式の補聴器である。
私が彼の補聴器を借り、彼は私の補聴器を付けて話をした。
その結果は、どうやら私の3万4000円の方が、Yさんの20万円より具合が良いようだ。
彼は2台目として、私の持参した補聴器を買う気持ちになっていた。
2人の意見としては、『あんなに小さな補聴器に、色々と詰め込むことに無理がある』だった。
それより驚いた話があった。Yさんはあるグループに所属していて、そこで書記を務めている。みんなの発言を書き留めて、それを報告書にするのが彼の役目だそうだ。
でも難聴の為に聞き取れず、最新技術を導入したそうだ。
それは「録音する」、「録音したものをPCに転送する」、「ソフトで文字化する」、「生成AIで決められた文字数で文章化する」という、私から見たら超ハイテクを駆使しているのである。補聴器の話より、こちらの話の方がはるかに面白かった。
開演時間になり舞台に登場して来たのは、女性が多い30人くらいのプロのオーケストラだった。指揮者は奥村伸樹という男だが、私はクラシックに疎いので有名かどうかは分からない。
コンサートは素人受けするようにクラシックだけでなく、映画音楽、ディズニー音楽、NHK大河ドラマ「八重の桜」と色々と演奏してくれて楽しめた。
お決まりのアンコールは「威風堂々」で締めくくり、1時間45分のコンサートは終った。その曲目のおかげで、最後に元気をもらってホールを後にした。
コンサートが終ったら、Yさんは『昼飯を食べていないので、腹が空いた』と言い出した。まだ5時前というのに、夕食を食べる羽目となってしまった。
しかし日曜日ということもあり、どこも満席で入れる店が無い。
やっと見付けた中華料理店で、早い夕食を食べながら色々な話に花が咲いた。
窓から外を見下したら、有楽町駅前に救急車が来ていて熱中症らしき人を運んでいた。
我々はクーラーの効いたコンサートホールにいたので、少し寒いくらいだった。
(おまけの話)
24日(月)は毎月1回の「都心を歩かない会」の開催予定日である。
天気予報では東京の最高気温が36度となっているが、コンクリート・ジャングルの銀座では40度にはなるだろう。今回は用事があり、不参加が3人出た。
「暑いから用事が出来たことにしよう」などという不届き者ではないことは、今までの付き合いから分かる。みんな同級生だから、年齢も同じである。6年間の学生生活をを一緒に過ごした仲間達である。
午前11時30分に、JR有楽町駅に集合した。
今回は先ずはランチから始めた。みんなで行った店は「ニュートーキョー」である。
この店には私の青春の残香がある。今から59年前にアメリカで行われたNY世界博覧会の日本館で働くために、私が飲食業の実習をした店なのである。
集団就職の中卒の女性ウェートレスに交じって、ビールの小ジョッキーを片手に4杯づつ持って客席に運んだのも懐かしい思い出になっている。この日はみんなで「ジンギスカン・ランチ」を食べた。
食後は近くの三菱電機のイベント会場(METoA)で、子供騙しのゲームをやった。
次にルイ・ヴィトンの変ったビルを見てから、中央通りに出て「M銀座ウィスキー館」に入る。そして次は「SONY Plaza」6階のイメージング・ギャラリーに行った。その次に和光6階の「SEIKO ハウス銀座ホール」で開催中の書道の大家の書を見てから、銀座珈琲に入った。
今回は全て無料のイベント会場でクーラーで体を冷やし、外を歩いても体が熱くならない内に次の会場に入った。その企画が功を奏して、誰も熱中症にもならず、満足して帰って行った。・・・と思う。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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