
心の伊達市民 第一号
銀座4丁目角のNISSAN Crossing」という名のショールームに、2台の「フォーミュラE」が展示してある。真っ赤に塗られた車体に、派手な広告が付いている。
多くの人が室内の入り、写真を撮っている。
これは後で知ったのだが、電気自動車のレーシングカーだった。
小池都知事が熱心に招聘した「世界最高峰のフォーミュラE」で、3月30日に東京ビッグサイト近くの市街地で「2024 TOKYO FORMULA E」が開催される。これに出場するのが展示されたNISSANの車だった。
観戦は有料で、チケットは1月18日~25日23時59分に先行抽選販売されており、「カテゴリーC」のチケット価格は一般(25歳以上)が1万2000円、U24(16歳~24歳)が9000円、U15(3歳~15歳)が6000円。その他にも、立ち見席の「カテゴリーD+」(4万6000円)や、ホームストレート沿いの「カテゴリーA」(2万4000円)にドライバーサイン会や表彰台前専用エリアへのアクセス、
オリジナルストラップなどがセットになった「カテゴリーA+」(8万4500円)などのチケットが用意されている。
私はファンではないのでチケットは買わないが、既に全部売り切れだそうだ。
東京ビッグサイトへは、東京BRTに乗れば10分ほどで着く。
だから安心してゆっくりと家を出て、バス停に行ったら札が下がっていた。
「3月28日から31日までの東京BRTの運行状況について」とあり、「フォーミュラEのイベントの交通規制の影響で、東京BRTは大幅な遅れが予想されます」と出ていた。
いまさら焦ってもどうにもならないので、諦めてバスを待った。
しかし予想以上には遅れは出ず、レースの予選には間に合った。
先ずは東京ビッグサイト東3号館に向かった。
大勢の人が同じ方向に進む。途中で左側の建物に入る人が多く、東京都が設置した東3号館に行く人は少なかった。入口で荷物検査と身体検査があった。
少し前のロシアの劇場テロの影響かもしれない。
会場は広くガランとしていて、正面の左右に大きなスクリーンがあった。しかし見ている人は少ない。これは後で理由が分かったのである。画面ではレースが行われているが、解説者が大きな声で間断なくしゃべっている。それが、とてもうるさい。
NISSANのレースの写真を撮ったので外へ出て、来る時にみなが入って行った東2号館に行ってみた。ここは「ZEV MAIN STAGE」で、よく分からないが中へ入った。「ZEV」とは初めて聞く単語なので、調べてみたら、「Zero Emission Vehicle」の略だった。ここでも手荷物検査と、身体検査があった。中に入ると東3号館とは大違いで、大勢の人で賑わっていた。
こちらは民間なので、役所主催とは違い楽しませてくれる。
ここでもパブリック・ビューイングが行なわれていた。
*フォーミュラカーの出力・・600KW(470馬力)、最高スピード(320キロ)
会場内には子供相手の乗物体験や、プロショップ、ゲーム、キッチンカーも何台も出ていた。準決勝でNISSANチームが首位で通過したら、会場から大きな拍手が起きた。
それが終ると決勝は午後4時頃のようなので、そこまではいるつもりは無かった。
奥の舞台では、和太鼓の演奏が始まった。有名な団体かどうか分からないが、とても迫力のある演奏だった。キッチンカーでなにか買って食べたかったが、行列が長く諦めた。
そろそろ帰ろうかと思ったら、東1号館の前で係員から勧誘された。
そこで折角だからと、中に入った。ここは「ZEV CITY WALK」いう名のゾーンだった。
トンネルを抜けると目の前に、色々なタイプの電気自動車が飾ってある。
何部屋も同じような感じだが、みんな自動車の背景がマンガであった。
ある部屋では広いコースを使って、レーシングカーのデモンストレーションをやっていた。プロが操っているのか、凄いスピードでサーキットを走り抜ける。
本物のフォーミュラEをスクリーンで見るより、こちらは目の前のレースだから迫力があり、とても面白かった。
(TOKYOフォーミュラEの決勝では、NISSANチームは残念ながら2位だった)
(おまけの話)
30年ほど前に、モナコに行ったことがある。
その時に偶然にも「F1グランプリ」レース前日で、レーシングカーが並べられている姿を見た。それを思い出し私は前日に、東京ビッグサイトに行ってみることにした。
レース当日は友人とカジノにいて、2人で作戦通りに賭けたが全く当らず持ち金を失くした。仕方ないのでホテルの部屋で、将棋を指していたというバカな話である。
1回目のコースの下見は3月6日に行ったが、まだ全く準備はしていなかった。2回目の下見は3月14日で、この時はセキュリティ関係の見本市に行った時に見に行った。
この時はコースの準備をしていて、公道のコースだけは確認できた。
自動車レースのファンでもない私はチケットを買わないが、「もしかして公道も走るなら、フォーミュラEのレースが覗けるかもしれない」と期待した。
暇人の私はレース前日の29日にも出掛けて行った。しかし既にコースは囲われていて、近付くことも出来なかった。東京都がパブリック・ビューイングを設けると聞いていたので、東京ビッグサイトの東3号館に行ってみた。しかし途中で「関係者以外、立入禁止」の札が出ていて行けなかった。
でもレース関係者らしき人達が、アチコチにいるので写真だけは撮れた。「HANKOOK」と背中に書かれていた服を着た欧米人がいたので家で調べたら、「韓国のタイヤメーカー」で世界7位だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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