
名曲 名盤 名演奏!
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名曲 名盤 名演奏!
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06/25(土) - 広告
四季を通じ、「外」とつながる暮らしの提案
ダイニングに向かう動線の視線の先にも、光の漏れる地窓。

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2025/06/23(月) - 暮らし
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ギラギラしていて安心しました
おはようございます☆ 昨日久々に同級生の顔を見ました あ、見たと言っても会えたワケじゃなくて彼の弟のFacebookの投稿で見たのです 今年2月 小樽のコテージに高校時代の仲間が集まった時がありました 砂川北高校野球部の同期たちです その際にキャッチャーの畠山くんが来れなかったのでした 今は岩手県にいる畠山くん 彼は僕らの代の中でも素行が悪くて人相も悪い人なのでした 1番右の帽子をかぶっている好青年が私で、畠山くんは高校生なのにスキンヘッドにしている人です ちなみに高校3年の3学期 普通の生徒は高校3年の3学期は1週間くらいだけ通学して後は卒業式までは学校に行かないでいい期間 私と畠山くんは赤点が解消できていなかったので卒業式の前日まで補習と追試のために学校に通った関係性だったのでした… 前列中央で凛々しい姿でしゃがんでいるのが私でその隣の人相の悪い人が畠山くんです 甲子園の公式練習の日にメーカーのミスで帽子が間に合わず、まさかの仙台育英高校の練習用の帽子をかぶっているのです そんな畠山くん 弟のチャムがFacebookに載せてくれていたのです はい 50歳になった畠山くん パシャ☆ はい 今もちゃんと人相が悪くてギラギラしていて安心しました☆ 砂川北高校の5番 キャッチャーだった過去に恥じない人相の悪さで安心しました たっちゅう 酒を飲みながら人生を語り合おうぜ☆ にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ 2025年も北海道人気ブログランキングへチャレンジ中です⭐︎ 本日もどうぞ宜しくお願いします!!!
ホテルマンの幸せ
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2025/06/23(月) - 観光・体験
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写真で見る東京(108)・・・両国界隈
葛西で「地下鉄博物館」を見た後に、久し振りに「両国」に行ってみた。 大相撲もやっていないし特に何かがあるわけではないが、なんとなく行ってみたのである。大江戸線の「両国駅」からはランチのためには、JR「両国駅」の方に行かないと店が無い。 JRの線路沿いに歩いて行ったら、高架下の壁にアートが続いていた。 古びて色も落ちていて、デザインもあか抜けない。 駅近くになると高架下に多くの飲食店が並んでいて、何にしようかと迷う。 ある店を外から見たらサラリーマンでいっぱいで、肉を焼く炎が見えて美味しそうだった。いつもは「うどん」なのに、炎と煙に誘われて店に入ってしまった。 みんなの食べているものを見たら、「バラカルビ丼と冷麺」のランチセットだった。 私は両方は食べられそうにないので、「バラカルビ丼150g」にしたら790円だった。 すぐに出て来たバラカルビ丼はタレの味は良いのだが、肉が筋だらけで参った。 ランチを終えてJR両国駅で道路を左に曲がった。 道路際に「力士像」が立っている。反対側にもあり、数えてみたら6体もあった。 力士像は色々な土俵入りの形をしていて、台座には有名横綱の手形も貼り付けてある。 その時、私の横を浴衣姿の力士が2人、自転車に乗って通り過ぎて行った。さすがに「大相撲の町」である。 両国の地名は『1657年の明暦の大火で隅田川に橋が無く、多くの人達が焼け死んだ。そこで江戸幕府は「大川(隅田川)」に橋を架けた。隅田川の西側は武蔵国、東側は下総国であることから、人々はこの橋を「両国橋」と呼んだ。それが地名となった』のである。 信号で道路の反対側に渡った。そこには「ちゃんこ 霧島」という名の店があった。 両国には「ちゃんこ」の店が何軒もあり、私も以前に家族で食べに来たことがある。 「霧島」は元大関の力士で、引退後は飲食店を開業し、「ちゃんこ店」2軒、「ジンギスカン」4軒、カウンターフレンチ1軒を経営している。なかなかの経営手腕である。 私は「霧島」の新橋店でジンギスカンを食べたことがある。 相撲は手をついたら負けになるため、「ちゃんこ」には四足歩行で手をついて歩く豚や牛は使わない。そこで手をつかない鶏を使う。 TVニュースで「コストコ」の再販店を特集していた。 「コストコ」はアメリカの会社で「COSTCO」と書き、会員制の倉庫型小売店である。 コストコは大容量の品物ばかりなので、面白いことにコストコで買って来た品物を小分けして売る店があるらしい。 それが「コストコ再販店」で、値段は高くなるが商品は同じである。勝手にやっているので、コストコと関係は無い。両国にもこの店があることを知ったので、すぐに見に行ったのである。店は「霧島」の少し先を右に入ったところにあり、かなり小さい店だった。 家に帰ってから女房にこの話をしたら、『勝どき駅の近くにもあるわよ!』と言われてしまった。「灯台下暗し」とは、このことか? 「京葉道路」を渡り「回向院」に行ったが、この話は(おまけの話)で。 家に帰るために、また大江戸線の両国駅に向かった。 帰りは違う道を通ろうと思いJR両国駅の前を通ったら、派手なネオンサインが見えたので、そこに入ってみた。 そこは「両国江戸NOREN」という施設で、飲食店と両国土産を売っている店があった。中央広場入口にあった派手なネオンサインは、「東京ドイツ村」とのコラボのオブジェだった。その奥中央には実物の土俵もあった。「ちゃんこ霧島」の店もあった。 「両国江戸NOREN」を出て、正面に両国国技館を見ながら右に行く。 突き当りは「江戸東京博物館」で、現在は2022年4月1日から大規模改修工事のため、2026年の春まで休館になっている。休館中はコレクションを館外に貸し出している。「パリ日本文化館」にも貸し出したようだ。 私は休館前は1年に2度は行っていた。ここで展示されている江戸の町のジオラマが好きなのである。自分の誕生日は入館料が無料になるので、用事が無ければその日には行く。その他に、もう一度は行っていた。工事中の仮囲いにはお洒落な写楽作の「市川 鰕蔵の竹村 定之進」のイラストが描かれていて楽しめる。 (おまけの話) さて「回向院(えこういん)」である。 歴史は古く1657年に開かれた浄土宗の寺で、「振袖火事」の名で有名な明暦の大火が関係している。10万人以上が焼け死んだ火事で、将軍・家綱が無縁の亡骸を手厚く葬るように建てられたのが回向院の始りである。 その一方で忠臣蔵でお馴染みの四十七士が討ち入り後、休憩を取るために回向院に行ったが断られた。その時の住職は関わりになるのを恐れて、門番に開門をさせなかった。 四十七士は仕方なく永代橋まで行き、味噌屋の乳熊屋(ちくまや)で休憩をした。 乳熊屋の初代作兵衛は赤穂浪士の一人大高源吾とは俳諧の友であったことから、赤穂浪士が討ち入りし、めでたく本懐を遂げ泉岳寺へ引き上げる途中、一行を店に招じ入れ甘酒粥を振る舞って労をねぎらったのである。 回向院には「鼠小僧次郎吉」の墓がある。 鼠小僧次郎吉は1795年生まれで、江戸時代後期の泥棒である。 彼は大名屋敷のみを狙って盗みに入り、人に傷を負わせることもなく、金を貧乏人に分け与えたことから、義賊として伝説化された。 盗んだ金は現在の貨幣価値に換算すると、約3億円にもなるそうだ。次郎長の墓石を削って持ち帰ると、金運に恵まれるという話が江戸時代からある。次郎吉の墓の前には、大きな石が置かれている。この石は「欠き石」と呼ばれ、ファンが墓石を削って金運のお守りにしてしまうので、墓石を削らないように代わりの石を置いてあるのである。 「鼠小僧の墓」の隣には「猫塚」がある。これにも落語に面白い話がある。 ある時、金さんは7、8年前にゴミ為に捨てられた子猫を拾って「駒」という名を付けて可愛がっていた。毎晩、駒に魚をやり、駒が美味しそうに食べるのを見ながら酒を飲むのを楽しみにしていた・・・』 『博打で三両すった金さんが夜中に目を覚ますと、枕元に小判が三両あった。正月2日に贔屓の旦那のところへ挨拶に行くと、「大晦日に三両がなくなった」と言った。そして続けて「昨夜、座敷でガタガタと音がするので行ってみると、猫が箪笥を開けようとしていた。そこで皆で棒で叩いたら死んでしまった・・・」 『金さんが死んだ猫を見たら「駒」だった。金さんが旦那に事情を話すと、「金さんへの恩を忘れない立派な猫だ。回向院にねんごろに葬ってやれ」と、金さんに五両を与えた』という「猫の恩返し」の一席でした。
心の伊達市民 第一号
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2025/06/22(日) - 買う(モノ)
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禁断の果実に手を出してしまいました‥
おはようございます☆ 先日久々に師匠の安住さんのところに会いに行ったんですよね そしたら‥ 開口一番 『お前それどうしたのよ…? いい加減にしろよ!!』って言われたのです あ、出っ張りすぎた腹を見てです… なので数ヶ月ぶりに体重計に乗ったのです すると… ひゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!! とうとう恐れていたコトが現実になっちまった‥ 100kg(しかも四捨五入したら101kg)の大台に乗っちまっているのです!!! なので禁断の果実に手を出してしまったのです… そうなのです 科学のチカラに頼ってしまったのです!!! そう シボヘール3 脂肪が減りそうな名前じゃないかぁ!!!!! それになぜか一緒について来た マルチビタミン 昨日からこれらを飲みはじめてみました もし私が数ヶ月にお腹がスリムになっていたらこれの影響だと思います!!! さぁ数ヶ月後の私 75kgのこの頃の私に出会えるのでしょうか?! 頼むぜっ!!! シボヘール3っ!!! にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ 2025年も北海道人気ブログランキングへチャレンジ中です⭐︎ 本日もどうぞ宜しくお願いします!!!
ホテルマンの幸せ
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2025/06/21(土) - 楽しむ
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マニアック悠さん
おはようございます☆ 昨日こんなメッセージが届いたのです はい 20年くらい前にホテルでアルバイトをしてくれていたOBの悠さん 悠さんも先日のパーティーに参加してくれたのでした☆ そんな悠さん まさかのこのブログを観てくれている素晴らしい人なのです!! なのであのパーティー 中井さん、大将、リカちゃん人形、村瀬さん、北川さんなどなど‥ このブログにちょくちょく登場している人たちがたくさんいたのです なので悠さんは函館からわざわざ参加してくれた村瀬さんを見つけると‥ 『あああぁ!!!ソフトクリームと同じ身長の村瀬さんですねっ!!!』って言うのです どういうコトかと言いますと… はい 村瀬さんは大人なのにソフトクリームと同じ身長なのです!!!! 中井さんのしょ〜〜〜〜〜〜〜もない川柳を聞いた時にも興奮していた悠さん そんな悠さんから送られてきた写真にはマニアックにも程がある写真がたくさん含まれていたのです はい こんな写真です そう 竹内さんです☆ 悠さんが竹内さんを見つけた時に… 『磯辺さんをすぐ図書館とか郷土資料館とかに連れて行く竹内さんですよねっ!!!』と興奮しているのです なので… 竹内さんはたぶん悠さんがこのブログを観ている人ってのは知らないと思うのです!! なのでただただ綺麗な女性が竹内さんの写真を撮影してくれているとしか思っていないと思うのです まずい‥ 竹内さんは美女が好きなので今頃ソワソワしている可能性が高いのです☆ 村瀬さんはソフトクリームと同じ身長なのですが… それで言うと‥ 大将は耳になりたい人のようです ねっ♪ 耳みたいでしょ☆ そんな写真を昨日送って来てくれた話でした にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ 2025年も北海道人気ブログランキングへチャレンジ中です⭐︎ 本日もどうぞ宜しくお願いします!!!
ホテルマンの幸せ
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2025/06/21(土) - 観光・体験
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トルコの軍艦を見学する
ブログ閉鎖中の話題(2015年6月10日) 私の住むマンションはツインタワーとなっていて、SEAタワーと MIDタワー に分かれている。SEAタワーは東京湾方面に面していて、MIDタワーは都心に面している。 私はMIDタワーに住んでいるので、海やレインボーブリッジは部屋からは見えない。 SEAタワーに住んでいる友人からメールが届いた。 「晴海ふ頭にトルコの軍艦と自衛隊の護衛艦「たかなみ」が着岸していて、一般公開している」。 そこでフォトジャーナリストの私は忙しい合間を縫って、取材に行った。 トルコの軍艦の名前は「ゲディス号」といい、エルトゥールル号遭難事件125周年の記念事業に参加の為に来日したようだ。 月曜日の午前10時だというのに、既に200人くらいの人達が並んで待っている。 驚くことに、明らかに現役と思われる若者が3分の1はいる。 小さな子供を連れたお母さんも来ている。 何を考えているんだろう? トルコと日本は浅からぬ縁がある。 今から125年前の1890年に、日本を親善訪問した軍艦「エルトゥルールル号」が乗員609名を乗せて帰途につく途中の和歌山県沖で台風に遭遇して沈没してしまった。その時に近くの村の人達が懸命な救助を行い、なけなしの食料を提供して69名の命を救った。 そして、その後、東京に搬送された69名は明治天皇による手厚い看護を受けた後に、日本政府は彼らをトルコに送り届けたのである。この事件があったので、トルコの教科書にもこの顛末が載っていて、遠い国なのにトルコは親日的なのだそうだ。 【エルトゥールル号遭難事件】・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 1985年のイラン・イラク戦争の時に、イラクのフセイン大統領が「48時間後からイラク上空を飛ぶ飛行機は全て撃ち落す」と宣言した。 しかし、日本政府はいま国会で問題となっている「集団的自衛権」がまだ話題にも上らない時代だったので全く打つ手が無く、テヘラン在住の日本人は脱出の手段が無く孤立していた。 その時に危険を冒して日本人救出の為に航空機を出してくれたのが、トルコ航空であった。 95年前のエルトゥールル号のお礼を、この時にトルコは日本に返したという涙無くしては語れない逸話が日本とトルコの間にあるのである。 最近はすぐお返しを欲しがる人が増えているように感じるが、「100年後に返してもらえるかも」と期待もしないで親切にすることが出来る「そんな私になりたい」。 見学を終ると、簡単なお土産をくれた。 自衛隊は見学後のお土産は無し。 (おまけの話) トルコと言えば「カッパドキア」が有名であるが、私はトルコには行ったことが無い。私の中のトルコと言えば、「ユセフ・トルコ」である。 この人の名前を知っている人は70歳以上だろうと思う。 彼はプロレスラーで、テレビの黎明期の日本で力道山などと一緒に活躍した。 その後、プロレスのレフリーとして、長くテレビ画面で見た覚えがある。 他には浅学な私なので、日本で有名なトルコ人を知らない。 トルコで他に知っているものを探したら、「ケバブ」があった。 これは正式名は「ドネル・ケバブ」と言うようで、串刺しにした肉を焼いて、それをそぎ落として、その肉をパンのようなものに挟んで、野菜を入れてソースをかけて食べる。 最近の上野アメ横に行くと、ケバブ店だらけである。 ケバブはトルコだけの料理ではないようで、中東地域一般で別名で食べられている。だから日本のケバブ店がトルコ人の経営とは限らないようだ。 海外の日本料理店を韓国人や中国人が経営しているのと同じである。
心の伊達市民 第一号
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