心の伊達市民 第一号

2日目はJR「新宿駅西口」から西武鉄道の「花小金井駅北口」までである。
JR中央線で新宿駅に出た。そして西口から、バスターミナルに向かった。
西口のバスターミナルは地下一階の4つの階段から、それぞれの行き先のバス停に上がるようになっている。

1つのプラットホームに4ヶ所のバス停が設けられていて、更に1つのバス停からいくつかの目的地に行ける。だから合計では新宿西口のバス停からは、20ヶ所以上の目的地に行ける。


2日目のスタート地点「新宿駅西口バスターミナル」


私は「7~10」の階段を上る。そして「杉並車庫前」行のバス停で待つ。
20分くらい待ってバスが来た。乗車したのは3人だった。
バスは定刻になり走り出し、青梅街道に出て杉並方面に向かう。
現役の時は何度も自分の車で走った道であるが、バスで走るのは初めてである。


最初の目的地「杉並車庫」行きのバスが来た。


バスが走り出して間もなく、「中野坂上」に来た。
ここは私が「仏像彫刻教室」と「東京工芸大学の公開講座」で使う大江戸線の「中野坂上駅」がある。このバスは停留所と停留所の間が短く、何回も止まる。
そして終点の「杉並車庫前」には20分弱で着いてしまった。


 「杉並車庫」で関東バスに乗り換える。


ここから関東バスに乗り換えて、吉祥寺に向かう。
関東バスはこの停留所は始発のバス停ではないので、既に10人くらいの乗客がいた。
ところがバスは走り出さない。運転手が後方の座席を見て、大きな空き缶を持って後ろの方に行った。

私は「何ごとか?」と思ったら、どうやら気分が悪くなって、吐きそうなオヤジがいるようだ。運転手にしたら、「バスの中で吐かないでくれ!」ということだろう。


関東バスは「新500円硬貨」が使えない。


しばらく待ってオヤジは気分が落ち着いたのか、バスはやっと走り出した。
少し走ってバスは青梅街道から左折して、五日市街道に入った。
私も現役の時は青梅街道が混んでいる時に、利用した抜け道である。
バスというのは電車や地下鉄を補完する交通手段なので、こういう道を走るのだと知った。


バスは私の抜け道の「五日市街道」に入った。


バスは車内の事件があったので、少し遅れて40分も掛かって「吉祥寺駅北口」に着いた。吉祥寺はここへ越す前にはよく来た街である。駅前のロータリーに象の「はな子」の記念像があったので、そこで記念撮影をした。

次の「花小金井駅北口」行きのバスの発車時間まではまだ20分もあったので、久し振りに「サンロード」から「ハーモニカ横丁」を見て廻った。
しかしハーモニカ横丁はしばらく来ない間に、閉店になってしまった店が多かった。


 みんなに愛された吉祥寺駅前の「はな子」の銅像。


今日の最終目的地の「花小金井駅北口」行のバスが来た。ここからは西武バスになる。
乗客は数人で、すぐに青梅街道に出て田無の近くで、また五日市街道に入った。見慣れた景色が続く。路線バスというのは始発から終点まで乗る人はいない。ほとんどの人が「途中から乗って、途中で降りる」のである。

私のように始発から終点まで乗る人は殆どいない。そしてバスは37分で終点の「花小金井駅北口」に到着した。
今回はここから西武鉄道で新宿へ出て、そこから大江戸線に乗って家まで帰った。


 2日目の目的地「花小金井駅北口」に到着した。


(おまけの話)
花小金井は私の現役時代のホームグラウンドである。
駅から車で数分のところに、私の経営していた工場があったからだ。
現役の時の昼飯は農家を改造した店で、雰囲気があった「平作」という「うどん屋」に通った。

夏場は「もり」2枚、冬場は「もり」1枚と「鍋焼きうどん」だった。
花小金井駅まで来たのだからと思い、「平作」を訪ねた。
午後1時30分頃になっていたが、店は開いていた。


 小平のうどん屋「平作」


しかしこの12年の間に店はコンクリート造りに変り、店内も客席が半分になっていた。
私は懐かしの「もりうどん」を食べた。懐かしい味がした。
勘定の段になり、帳場に居た奥さんに声を掛けた。彼女もかなり老いていた。

私  『12年ぶりに来ましたが、お店が綺麗になりましたね』
女主人『ありがとう御座います』
私  『私を覚えていますか?』
女主人は分からないような顔をしたので、マスクを外した。
女主人『あら、懐かしい。お久し振りです』


 うどんは地粉、汁は薄味で美味しい


店を出て、次の目的地である「コーヒー豆店」に行った。
以前は車で移動していたので「近い」と思っていたが、歩きだとかなり遠かった。
店の前に来て、驚いた。店が無くなっていたのである。どうやら廃業してしまったらしい。今は店ではなく、個人住宅として使われているようだった。

コーヒー豆店のオヤジはかなり離れた都営住宅に住んでいたので、連絡はつかなかった。私はその店のオヤジから、コーヒーの知識を仕入れていたのである。
「時は平等に冷酷に過ぎて行く」と感じた花小金井だった。


 廃業となった真ん中の「コーヒー豆屋」(店名は忘れた)


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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