心の伊達市民 第一号

中高の同級生のYさんからメールが届いた。
『母校の恩賜であるN先生がお亡くなりになりました。発起人のNaさんが発起人となり、N先生の追悼文を求めています。私にご指名を頂きましたが、老化の激しい頭脳には記憶にアヤフヤなところが多く難儀しています』。


『皆様にご協力を賜りながら、恐縮ですがN先生の思い出を一言記して下さい』とあった。
私は6年間の学校生活の中で、1年しか担任になってくれたことが無かったので強い印象は残っていなかった。




    「フサフジウツギ?」(東銀座)


そうかと言ってYさんから直々のお願いなので、なんとかしないといけないと思った。
他の友人達2人にも同じメールを送っているので、私はその頃の先生達の思い出を書いて返信した。


「先生といっても、我々より10歳くらい年長なだけだった。体育館の裏の教員宿舎に住んでいた。丁度、その頃に先生達の間で結婚ブームがあった」などを書いて返信した。
その後、他の2人からの返信も合わせて、Yさんの立派な追悼文が完成し、『添削をお願いします』とメールが来たが、直すところは無かったのである。追悼文で思い出した青春時代のひとコマだった。




       「ベチュニア?」(東銀座)


大学時代の友人(Kさん)から展覧会への出展の案内ハガキが届いた。
彼を含めて同級生の6人で会を作って、Kさんの展覧会を見に行っていた。
しかしコロナの影響で、この会も休止状態である。
私の身近なところでも、色々な会が影響を受けている。
そんなわけで友人達と集まって見に行くことも叶わないので、1人で初日に見に行った。




             「国立新美術館」


場所は六本木の国立新美術館で、展覧会の名前は「日本自由画壇展」という。
これは公募展なので、お金さえ払えば誰でも出展できるようだ。
広い会場を入ると右側に入選者の名前が出ていた。
その一番先に「理事長賞」として、Kの名前が出ていた。


私は「遂にやったか!」と喜んだのだが、苗字は合っていたが下の名前が違っていた。
Kさんの作品の場所に行ったら2点の絵が飾られていて、なにも賞とは関係無かったのであった。




       Kさんの2点の作品


他のメンバーの為に、私はKさんの作品の前に立ち、記念撮影をした。
それをみんなにメールで送信したら、Kさん本人からお礼の返信があった。


もう1人のKさんからは『幹事役のOさんは奥さんを亡くされて不便な生活を過ごしていたところ、先日ですが階段から滑り落ちて更に不自由になってしまいました。現在は右手で箸を持つことは出来ても、摘まめない状況です』とあった。コロナで2年も会わないでいると、みんな高齢者なので色々起きているようだ。




         国立新美術館の1階ロビー


Kさんの作品を見た後に、隣の部屋で水墨画の展覧会をしているのが目に入った。
入場料は「無料」と書いてあったので、暇つぶしに入って行った。
この会場は広く、アジアと日本の水墨画の展覧会だった。詳しくは分からないが、こちらも公募展のようだ。


私のイメージしていた水墨画と違い、最近の作品はアートであった。
中でも目を惹いたのが「国際墨画会長賞」を受賞した美人画だった。
バラと美人の横顔を描いた作品だが、私がその前に見たKさんの展覧会より面白かった。
この会場も「写真撮影OK」だったのがうれしい。




       「国際墨画会長賞」受賞作品は素晴らしい。


この日は雨が降っていた。早く帰ろうと思い地下鉄に乗るために東京ミッドタウンに行った。
館内を通り大江戸線の乗り場に向かうところに、大きな白い卵のような大理石のオブジェがある。


説明によるとこれは「意心帰」という作品で、作者の解説では『石に彫られた穴に身を沈めると地球の一部になり、静かな太古の声なき声が石から聞こえてきます。地上より太陽の光が差し込む時、その石は初めて視るように白い石の粒子は美しく息づきます。「意心帰」と「妙夢」が共鳴し、空間全体が優しいヒューマンな場になることを願っています』とある。なんだかとても難しい話だ。




       「意心帰」(東京ミッドタウン)


(おまけの話)
色々な場面での友人達の思い出である。
幼稚園と小学校は地元に通ったが、いまはその時の友人らしき人はいない。
中学・高校の6年間は私の青春時代だったので、今でも付き合いが続いている。
彼等と作った「秘湯研究会」はメインの男がコロナで亡くなってしまったので終ってしまった。


今でも残るのは「都心を歩く会」のメンバーだが、最近は足腰に問題を抱えた友人が増えて来て「都心を歩かない会」に成り下がってしまった。大学ではあまり学校に行かなかったので、卒論の研究で理化学研究所に通った時の友人達と細々と繋がっている。




      ベーカリーカフェ「Centre」(銀座1丁目)


ニューヨーク世界博で一緒だった友人達は、50周年記念行事が終り付き合いも途切れた。
社会人になって仕事の関係で付き合った友人達は、私が会社を売却した時に終った。
地元の法人会の友人達も、同じく会社の売却で終った。


付き合いで入ったロータリー・クラブの友人達は、私が会長を終えた時に自ら終えた。
その他の仕事がらみの付き合いは、全て終ってしまった。




      「クラブサンド」は(2400円+税)


私が引退後に伊達市で知り合った友人達の多くが、私より先にアチラに逝ってしまった。
今でも細々と続いているのは、伊達産の米「ゆめぴりか」を購入するからだ。
よく会うのはマンションのデジカメクラブの友人達だが、浅い付き合いなので気心は知れない。


やはり若い頃の友人達が一番、気心も知れているし、見栄を張らないから付き合いやすい。
その友人達も高齢化の波には逆らえず、メールでの安否確認が増えて来た。
誰でも晩年は「1人」になるのは避けられない。寂しいが仕方ない。




         Centreの内装はお洒落だ。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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