
心の伊達市民 第一号
都バスで上富士から上野へ向かっていたら、不忍池の前を通ると分ったので次のバス停で降りた。公園の入口を入ったところに、黄色い花が咲いていた。
これは「キショウブ」だったが、日本には「いずれあやめか、かきつばた」という言葉がある。
似たものに「しょうぶ」、「あやめ」、「かきつばた」があるが、「あやめ」と「しょうぶ」はどちらも漢字で「菖蒲」と書く。「かきつばた」は「杜若」と書くそうだ。
バスは根津方面から乗ったので、不忍池へはいつもと違い一番奥の場所から入った。
不忍池はメインの池と、ボート池が途中で仕切られている。
ボート池を枝越しに見たら、小雨の午後だったので誰もボートに乗っていなかった。
奥の方にスワンボートが並んで休んでいるのが見えた。
ボート池から、隣の蓮のあるメインの不忍池に行った。
水面に蓮の葉が浮いているのが見えた。中には少し立ち上がっている葉も見える。
その中にたった1匹だが、コサギが見えた。
ゆっくりと歩きながら、時々、餌を見付けたのが、口ばしを水に入れている。
3月初めにここへ来た時は寒い日で、この日と同じような小雨が降っていた。
そんな悪天候の中を、胸までの防水作業衣姿の3人の男達が水に浸かり、枯れた蓮の茎の除去作業を行っていたのを見た。彼らのお陰で、この日の蓮の葉が見られたのだ。
雨が止んだようだ。
蓮の葉の上に残った水滴が、雲の間から漏れる太陽で光っている。
浮かんでいる葉が、まるで睡蓮のようだ。
これから段々と茎を伸ばし、水面から離れて行くのだろう。
今の時期しか、この光景は見られない。
池に突き出た木道の先端に行くと、2人の外国人が水面を覗き込んでいた。
私も近付いて覗いてみたら、大きな鯉が泳いでいた。
鯉は悠々と泳ぎ、遠くへは行かない。
私はそれを飽きずに、いつまでも水面を眺めていた。
向かい側の弁天堂の方向から風が吹いて来た。
水面より少し上まで伸びた蓮の葉が、一斉に揺れて葉の裏側を見せる。
白い波が押し寄せて来ているように見える。
あと2ヵ月もすると、ここは一面の蓮の花で覆われるはずだ。
(おまけの話)
不忍池から地下鉄に乗るために、大通りに向かった。
前方突き当りに「ABAB」が見えた。ここは昔は「赤札堂」と言って、上野を代表する商業施設だった。「閉店大感謝祭」の文字が見えた。その下に「あと54日」と出ていた。ABABも終りの時代になったかと、時代の変化を感じた。
交差点を渡っている時にABABの2階のショーウィンドーを見上げたら、マネキンが動いているように見えた。近付いてみたら、マネキンではなく男女が踊っていた。
右端に大きなQRコードが出ていたので、スマホで読取りチェックしてみた。
すると彼らは「DAZZLE」という名のグループで、結構有名らしかった。『ストリートダンスとコンテンポラリーダンスを融合した世界で唯一のスタイル』とあった。
ABABの閉店との関係は不明だった。
私はABABに入ったことは無い。赤札堂の頃に、最上階のレストラン街には行ったことがある。そこで閉店ならと思い、お別れに店内に入ってみた。
すると店内は女性用の品物ばかりで、男性用の商品は置いていなかった。
7階まで上がってみたら、100均のダイソーがあった。
なにか買おうと思ったが、思い当たらない。靴下があったので買ったら、1足100円だった。靴下は安くても3足1000円が相場なので、驚いて3足も買ってしまった。でも履き心地は悪くなかった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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10/08(日) ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji