ブログ閉鎖中の話題(2015年12月28日)


ホテルの朝食はバイキング方式である。1日目は洋食、2日目は和食を食べたので、最終日は中華料理とする。ウーロン茶をもらい、「お粥」をメインにして中華料理のおかずを食べる。
3日目ともなると、朝食レストランの係員も顔馴染みとなり、愛想が良い。




中心街の中山。左右に三越デパートがある。

 

朝食後は1人で散歩に出る。前から気になっていた「檳榔(びんろう)売り」の店の写真を撮りに行く。
私と台湾との関係は45年ほど遡る。それ以来、10回以上は観光、仕事で来ているが、今回の旅行で檳榔売りが目立たなくなったのが気になっていた。



檳榔売りの店。 「檳榔(びんろう)」とは噛みタバコのようなもので、麻薬のような 恍惚感が得られるようで、トラックの運転手などが良く買っている。

 

以前はセクシーな服装の若い女性が檳榔を売っていたが、今回は全く目にしない。
ホテルのフロントで聞いたら、「市内にはいなくなったが、郊外に行けば、今でもいますよ。ご案内しましょうか?」と言われた。
そこまでしてもらう必要も無いので、1人でホテルの近くで探しに行く。



横断歩道の信号はLEDランプで歩く歩行者を表現している。 日本の歩行者用信号と違い、青色の人がアニメーションで歩く。 残り時間が30秒を切ると、そのアニメが早足になるのが可笑しい。

 

檳榔を売る店は何軒かあったが、どこもセクシー女性はいず、暇を持て余しただらしない感じのオバサンがいるだけだった。郊外の主要道路の脇には、争うようにピンクのネオンにセクシーガールがいたあの頃が懐かしい。中には水着姿の女の子もいて、道路を走るのが楽しみだった。



商店街の歩道には必ず屋根がある。そこに不法占拠の屋台の販売店がある。

 

セクシーねえちゃんがいないので、ホテルへ戻る途中で目に入ったお寺に行ってみる。
道教のお寺はアチコチにあり、日本の神社の感覚と考えれば良いと思う。
境内にはオバちゃん2人がいて、おしゃべりに夢中だ。
私は棚で目に付いた「あの世のお金」を買いたいと思い、オバちゃんに声を掛けた。



近くのお寺で買った「あの世のお金」。

 

全く言葉が通じず困っていたら、そこに日本語をしゃべるオバサンが登場した。
私は「あの世で使うお金が欲しい」と言うと、オバサンは「100元をこの箱に入れろ。それで6本のお線香と、あの世のお金を渡す」と言った。
オバサンの言うがままにして、神様にお祈りもして、お札を持ち帰ることになった。



東京と違い、まだ古い建物が多く残っている。 窓の外に違法の出窓を作っている。そこに洗濯物を干す場合が多い。

 

オバサンは近くのお茶屋の主人で、「最近の日本人はお金を使わなくなった。昔は600グラムのお茶を買ってくれたのに、いまじゃ100グラムよ!。あの頃は儲かって良かった」と愚痴っていた。
慰める言葉もなく、「今じゃ、日本でもウーロン茶はたくさん売っているからねー。お土産に買う人も少なくなって来たんだと思うよ」と小さな声で言ったのである。



高級料理店の優れものの爪楊枝。楊枝の反対側に「歯間ブラシ」が付いている。

 

(おまけの話)
出発までの時間があったので、3人で近くの三越デパートに行った。
以前から気になっていたのだが、1階入り口にアイスキャンデーの店があり、写真で見る限りではとても美味しそうだった。
デパートの開店時間は午前11時なので、入り口で少し待つことにした。



タクシー料金が最近、変更になったようだが、メーター交換が間に合わないので 追加料金の計算表を使っている。日本では考えられない。

 

そこにいたガードマンと話をした。日本語が上手なので、「日本語が上手ですねー。日本語能力試験でN1ですか?」と聞いた。



その返事に驚いた。「私は日本生れ、日本育ちで、龍国大学卒です。オヤジの仕事の関係で台湾に戻りましたが、中国語が話せないので、ガードマンくらいしか仕事が無いのです」。




台北の秋葉原電気街。

「日本の中華料理は美味しい。台湾の中華料理は不味い。日本は安全だ。住むなら台湾より 日本だ」と話していた。その時、先輩格のガードマンがやって来て、「サボるな! 仕事をしろ!」と言ったようだ。彼は寂しそうに去って行ったが、もっと話してみたかった。




人生というものはタイトロープを渡っているようなものだ。
私の場合は幸いにロープから落ちないで渡り終えそうだが、あのガードマンは落ちてしまった。
台湾グルメ旅行で、思いもかけず厳しい人生を見てしまった。




帰りの便のキティちゃんのエバー航空。(台北松山空港)
























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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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