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観光・体験 記事一覧
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2025/07/11(金) - 観光・体験
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小さな話(29)
【NO LITTER】 銀座から新橋までは歩いても15分くらいなので、私はよく歩く。 表通りより裏通りの方が面白いものに出会えるので、そちらを行くことが多い。 新橋一丁目で「NO LITTER」と、英語だけで書かれた「注意書き」が見えた。 その上のマークを見ると、ここはどうも東京電力のなにか物入のドアのようだ。 落書きがあるが注意書きに日本語が無いので、「落書き禁止」と勘違いするかもしれない。でもこれは「ポイ捨て禁止」である。なぜ英語だけなんだろう? 「人種差別だ!」と言われないか? 【バーミューダパンツ】 少し前にGUCCIギャラリーで横尾忠則の絵画展があり、LINE指定の予約方法だった。 それを見に行ってしばらくしたら、広告のメールがLINEに着信した。 内容はメンズのシューズ、パンツ、バッグなどの新製品の紹介だった。 試しに見て驚いた。コットンのバーミューダパンツが、なんと15万9500円だった。 そこでこれと似たようなものをユニクロで探したら、なんと3280円で買える。 世の中にはただの木綿のショートパンツを、16万円も出して買う人がいるのに驚いた。 次回になにかイベントがあるかもしれないと思い、LINEを削除出来ないでいる私だ。 【HARUMI FLAGの中国人(1)】 我が家の近くの2021東京オリンピックの選手村は、現在は分譲住宅となっている。 ここは東京オリンピック後に東京都から民間不動産会社へ売却されたが、近隣の相場より相当安かった。それでも不動産会社は、これだけ多くの物件を完売できるか不安になり、購入申し込みに条件を付けなかった。 そのために中国人が大量の申し込みをして、本当に必要な一般日本人購入者が抽選で外れてしまった。これが最近になり「違法民泊」に発展し大きな問題となり、住民とのいざこざを起こしているそうだ。 夜中に大騒ぎする。ゴミの分別はしない。足湯でおむつを洗う。部屋で中華料理店を開いている者もいるらしい。エレベーターホールには大きく「民泊禁止」の貼り紙があるが、中国人に無視されている。 【HARUMI FLAGの中国人(2)】 最近であるが住民が国会議員に訴えたことで、「晴海フラッグ」の「違法民泊問題」が国会で取り上げられた。ここには1万人が住んでいることになっているが、その内の2000人に居住実態が無いようだ。 さらに実際に住んでいる8000人の内の1000人が、外国人(中国人?)のようである。 日本に住んでいない中国人が投資目的で購入し、しかも中国人相手に違法の民泊事業をしているようだ。宿泊予約と支払いはネットで中国で済ませているので、日本にお金は落ちないので税金も取れない。 国会の政府答弁では「シッカリ調査をして、対応する」とのことだが、所有者の3分の1が外国人となると、管理組合の総会決議にも問題が出そうだし、将来ここが中国人村になることが心配される。既に嫌気がさして、ここを売却して出て行った住民もいるようだ。 【釣り人】 私の住むマンションの裏に接して、朝潮運河がある。 運河には「朝潮小橋」という橋が架かっていて、晴海フラッグや晴海ふ頭公園に行ける。この運河で時々、見掛けるが釣り人がいる。何が釣れるのかは聞いたことが無いので、分からない。海からここまで300メートルくらいの距離なので、水は海水で海の魚が釣れる。 以前の私の地元から海に行こうとすれば、車で2時間くらいは掛かる。 それがわずか数分で海釣りが出来るのだからありがたいのだが、残念ながら私には釣りの趣味が無い。 【廃業するパチンコ屋】 銀座4丁目から築地方面に少し戻った昭和通りの角に、数年前まで向かい合ってパチンコ屋があった。それが相次いで廃業し、片方は「薬局チェーン店」、もう一方は「時間貸し駐車場」になっている。 パチンコは最盛期には遊戯人口が3000万人いたが、それが現在は800万人となっている。衰退の理由は色々あるが、「新台入れ替えサイクルが早過ぎる」、「出玉規制が厳しくなった」、「若者はパチンコをやらない」などのようだ。私はもともとパチンコのような賭け事はしないので、何が面白いのか分からない。 それより駐車場の隣り角の「大野屋」が気になる。この店は1927年の町屋建築で、和装小物の専門店らしい。2~3年前には店は開いていたが、最近は閉めたままだ。 時代に付いて行けない2業種のようだ。 (おまけの話)【領土主権展示館】 中央区の区報に「講演映画と映画の集い」の案内が出ていた。 詳しく読んでみたら、女性落語家の「三遊亭律歌」の講演と、映画「老後の資金がありません!」だった。 いつもは申し込みは不要なのでそのつもりでいて、前日に開催場所の確認をもう一度したら、サイトを開いたら「申し込みは終了しました」と出ていた。「えー!」と驚いたが、区報を良く見なかった私に問題があるのだが、とても残念だった。 そうなると行くところが無くなってしまった。仕方ないので以前になにかで見た覚えのある、虎ノ門にある「領土主権展示館」がリニューアルしたようなのでそちらに行った。 どうも最近はボケ話が多過ぎる。 東京BRTに乗って「虎ノ門ヒルズ」で降り、暑い中を「領土主権展示館」まで10分くらい歩いた。この施設は資料によると外務省の管轄で、『北方領土・竹島及び尖閣列島が我が国固有の領土であることを示す歴史的資料や人々の営みを示す資料をまとめて紹介する初めての国の施設です』とある。 今年の4月にリニューアルされたそうだが、私は日比谷公会堂の下にあった時も、虎ノ門に移った時も見に行っている。 館内に入ると、先ず涼しいのが嬉しい。係の女性が親切に見学順路を示してくれる。 展示は「北方領土」、「竹島」、「尖閣諸島」がそれぞれの大きなパネルで、歴史的な日本の主権に付いて古い写真などと共に紹介している。これを見ると、ロシア、韓国、中国の歴史捏造がよく分かる。 館内は写真撮影はOKなので、自撮り写真も撮った。 リニューアル前は無かった展示に、タブレットと大画面の動画映像があった。 階段を少し上がった約35~40平米の特別室に入ると、左右・上下・前面の5面に一体化した映像が流れる。自分の足元にも映像が流れる。これはとても良い。お勧めである。 尖閣諸島の外からと、北方領土・竹島の海の中の自然を映し出す。北方領土と竹島はロシアと韓国が不法占領しているので、映像は海の中だけなのが残念だ。 見終って出口に行ったら、タブレットによるアンケートを依頼された。全てを「最高」にチェックした。 帰りに記念に「領土主権展示館」の文字入りのボールペンをもらった。
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2025/07/10(木) - 観光・体験
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小さな話(28)
【我慢の70分】 35度の気温で暑くて行く予定が無かったので、宝町の「宝くじドリーム館」にイベントを見に行った。この日はランチタイム・クラシック・コンサートをやっていた。 出演は廣田美穂(ソプラノ)、中井亮一(テノール)の競演で、100人くらいの観客が来ていた。 私はどうもオペラは苦手で、イタリア語で歌うので、なにがなんだか分からない。 それに特にソプラノは脳天を突き抜けるような高音が、私には耐え難い。 通常は50分くらいのイベントが、この日はアンコールを含めて70分にも及んだ。 来ている人達は老人ばかりで、オペラが好きとも思えない。ただ涼みに来ていたのでは? 【築地市場の外国人】 都バスで銀座方面に出る時は、築地場外市場の横を通る。 市場には多くの外国人観光客が、何が面白いのか暑い中を見物に来ている。 どこの国でも、市場はその国の庶民の生活が分かり面白い。 でも築地市場は専門業者はほとんど豊洲に移ってしまい、今では観光地になってしまった。飲食店や買い食い店ばかりになってしまい、庶民の台所ではなくなった。 暑い日が続くので、若い外国人女性は下着のような格好で歩いている。 イスラム教徒も来ているが、目の毒ではないだろうか? 【今日から一句】 毎週木曜日の午後7時から、6チャンネルで「プレバト」という番組がある。 その中のコーナーで「俳句」があり、「夏井いつき」という口の悪い先生が登場する。 私は以前に「かに道楽」と「おーい、お茶」の俳句募集に応募したことがあるが、入選にはほど遠かった。 最近になり図書館から夏井いつきの「今日から一句」という本を借りて来て、少し勉強しようと思った。俳句を初任者向けに易しく解説している本だが、「そうかー!」と勉強になった。参考になったのが「映像を切り取る」と、「季語+季語と関係ない12音」であった。 そこで私も一句。 『炎昼の 買い食いだらけ ツーリズム』 (暑い中を外国人観光客が買い食いをしている様子) 【もうこの季節】 銀座4丁目のバス停近くの小公園の前を通ったら、もうミスト噴射を始めていた。 例年なら7月の半ば過ぎないと始まらないと思っていたが、今年は早く始めたようだ。 東京の「梅雨入り宣言」が出されたら、それをキッカケのように高温の日が続いている。 地球温暖化が言われて久しいが、梅雨が無くなったような気候は温暖化に関係があるのだろうか? ミスト噴射は見ているだけで、涼しげである。 その下に行くとミストを浴びて一瞬は涼しくなるが、そこを離れると元の木阿弥である。 【なにを並んでるの?】 銀座4丁目のバス停の近くに、いつも外国人が並んでいる場所がある。 その前に行ったが、店は無くエレベーターを待っている人達だった。 ビルのフロアの看板を見ると、どうも7階の「幸せのパンケーキ」以外になさそうだった。 『なぜこんなところに並んでいるの?』とも聞き難いので、家に帰ってから調べてみた。この店は創業は2015年で、表参道店が第一号のようだ。全国に23店舗もあるのに知らなかった。メニューを見たらスタンダードのパンケーキは1380円、飲み物が350円で、両方で1730円はかなり高い。 行ってみたい気もするが、外国人に混じって並んでまでは食べたくない。 【2両連結BRT】 東京BRTが運行を始めた頃は乗客も少なく、「これで採算がとれるのだろうか?」と心配した。ところが最近は利用者が増えて、座れない時さえある。 「汐留」から帰る時に、たまに「晴海5丁目」、別名(HARUMI FLAG)行きに乗ることがある。これに乗ると私の住むマンションの裏側に停留所があるので、少し歩くが運河沿いで気持ちが良い。 停留所で降りたら、向かい側に2両連結のバスが見えた。 近付いてみたら、後部のガラスに「全長18m追い越し注意」と書いてあった。 車体重量は約12トンのようで、ガソリン車であった。保有台数が少ないので、滅多に乗ることはない。 (おまけの話)【同級生交歓】 段々と古くからの友人が亡くなったり、パソコンを止めたりして交流が減って来るのは仕方ないことだ。だから残っている友人は大切にしようと思い、毎月1回、中高時代の同級生と「都心を歩かない会」を開催して来た。 今回は新橋駅集合で、東京BRTに乗って東京ビッグサイトへ行ってランチの企画となった。 東京BRTの新橋停留所に行ったらなぜか臨時便で大勢の中年女性が列を作って並んでいる。腕章を付けた係の男性が案内をしている。 私は彼に聞いてみた。『これは何の団体ですか?』。 男性は面倒くさそうに『色々やっている会です』と言った。 家に帰ってからネットで調べたら、「三菱UFJ銀行」が主体となり147社が参加して、保険・人材派遣などをやっているグループの顧客の会のようだった。この日は会員向けにバーゲンセールを有明GIM-EXで開催するようで、みんな途中で降りて行った。 東京BRTの終点の「国際展示場」で降りて、すぐにランチ会場の「COCOS」に向かった。この店は席でタブレットで注文をすると、配膳ロボットが料理を運んで来る仕掛けになっている。ところが珍しいミスが発生し、ロボットが私たちが注文していない料理を運んで来た。 食後は東京ビッグサイトを背景にみんなで記念撮影してから、館内に入りカフェでお茶の予定だった。しかしものすごく広いカフェには空席が無く、仕方ないので帰ることにした。 1階の広い都バスの停留所に行って、「東京駅丸の内南口」行きのバスを待つ。 しばらくしてやって来た都バスは、乗る人も少なくガラガラだった。 バスが「新豊洲駅前」に到着したら、予想通りに大勢の外国人観光客が乗り込んで来た。彼らは外国人に人気の「チームラボ」に行った帰りなのである。 バスはギュウギュウ詰めでもう乗れないので、途中のバス停では乗車口を開けなくなった。私は途中の「勝どき駅前」で降りたが、混み過ぎていてみんなに挨拶も出来なかった。この路線を利用する時は、いつも「オーバーツーリズム」を体験している。
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BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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