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観光・体験 記事一覧
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2025/05/21(水) - 観光・体験
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写真で見る東京(99)・・・浅草三社祭り
今年の浅草神社の「三社祭」は5月16日(金)、17日(土)、18日(日)の3日間行われた。三社祭を見たことの無い人は、『浅草寺の間違いじゃないの?』と思うだろうが間違いではない。 観光客が押し寄せるのが浅草寺なのに、同じ境内に浅草神社があるのを知らない。 いつもは中日の町内神輿連合の渡御を見に行っているが、今年は前日の16日に行った。 この日に浅草神社で行われる「びんざさら舞」というものを、見てみたいと思ったからだ。 「びんざさら舞」とは三社祭で催される五穀豊穣を祈願して行われる舞で、田楽の一種である。「田楽」とは田植行事を芸能化したもので、平安時代に興り、鎌倉から室町時代に大流行した。演者は派手な衣装を見て、「びんざら」を摺り鼓を打ちながら様々な音を出し、陣形を変え豊年や悪霊退散を願って踊る。 「びんざさら」とは「編木」、「拍板」などと書く。竹または木の薄板を100枚以上を紐で束ねた楽器である。浅草神社で使われているのは金色である。 資料によると『浅草寺に祀られているのは聖観世音菩薩で、その尊像を発見したのは漁師である檜前浜成と武成の兄弟である。その尊像が聖観世音菩薩であることを明らかにしたのは、郷土の文化人の土師真中和であった。この3人が尊像を祀ったことから浅草寺の歴史が始まった・・・』 『浅草寺が完成後、土師の子孫が聖観世音菩薩から夢の中でお告げを受けた。それは「聖観世音菩薩を浅草寺に祀った3人の功績は称すべきものであるから、浅草寺の傍らに3人を祀った三社権現を建てなさい」。これにより浅草神社の起源である「三社権現社」が創建された』のである。 「びんざさら舞」は5月16日の午後1時30分から行われる。 最近の浅草は光景こそ日本だが浅草寺辺りにいるのは外国人ばかりで、以前の落ち着いた雰囲気の浅草ではなくなってしまった。 なぜ急に外国人が、遠い日本へ来るようになったのだろうか? やはり「YouTube」や「Tik Tok」の影響が大きいのではないだろうか? 「びんざさら舞」は浅草神社の拝殿で、午後2時20分から始まる。 その前に「びんざさら舞」に登場する人達の「大行列」があると分かり、浅草寺の裏手の「ゴロゴロ会館」の横の柳通りに向かった。 午後1時になり狭い柳通りを、大勢の関係者と見物人が埋め尽くした。 「大行列」の責任者らしい高齢の地元民という感じの男が台の上に立ち、大行列の開始の挨拶と3本締めを行った。 そして静々と大行列が進むと、私の目の前を厚化粧の浅草芸者が通過して行った。 浅草には現在、「幇間」が4名と芸者が50名いるそうだ。 この近くには「置屋」もあるのを、以前に私は見たことがある。 行列はこれから「千束通り」、「ひさご通り」、「六区」、「雷門」と進んで行く。 言問通りで警察官が信号を赤にして、大行列が「ひさご通り」に入って行く。 浅草らしい粋な旦那衆の一団が、通りを渡って行く。 彼らの着ているものの正式名を調べたが、よく分からなかった。 「法被」ではなさそうだし、「印半纏」かなー?、「祭半纏」かなー? 黒と赤と白のコントラストがお洒落だし、足元は動き易いように草鞋(わらじ)である。 私は先回りして六区で、大行列を待った。その目的は「白鷺の舞」の写真を撮りたかったからだ。見物人が多く満足な映像にはならなかったが、まあ仕方ない。 午後2時20分から浅草神社の拝殿で、午後3時30分から神楽殿で「びんざさら舞」の披露がある。 それを目的に来たのであるが、もう人が多過ぎて疲れてしまい、その時間まで待てずに家に帰った。「年をとるということは、こういうことなんだ」と体で実感した日だった。 家に帰って「Youtube」で「びんざさら舞」を見たら、来年は是非とも見ようという気になった。 (おまけの話)【浅草地下商店街】 浅草までいったので、久しぶりに「浅草地下商店街」に行ってみた。 少し前のNHK番組の「ドキュメント72時間」で、この地下街が取り上げられているのを見たばかりだったからだ。 この地下街は2023年12月公開の役所広司主演の「PERFECT DAYS 」の中で、主人公の平山の生活圏として「居酒屋」が登場している。2024年1月19日の私のブログ「写真で見る東京(26)」の(おまけの話)にも登場している。 この地下街は現存する日本最古の地下商店街である。 浅草は、関東大震災が起こる1923年頃までは東京一の盛り場であった。 この地下街は地下鉄「浅草駅」と雷門・浅草寺とを地下の商店街・通路で結ぶ構想が下敷きとなって、浅草商人達によって戦後復興期末の1955年に作られたのである。 地下鉄「銀座線」を「浅草駅」で降り6番出口から出るとこの地下街に出るので、地下鉄を利用する人は知っていると思う。 入口の石段を降りると突き当りが「立ち食いソバ屋」で、右隣りは今どき「800円」の床屋である。「カット専門店」、「一流技術者」の文字も見える。 私がここへ来たのは午前11時頃だったので、人通りも少ない。 歩いているのは見物人くらいで、店も2~3軒しか開いていない。 どこで知ったか、たまに外国人観光客が物珍しそうに見て廻っている。 人通りが少ないことをいいことに、私は通路の中央に立って記念撮影をした。 最近ではシャッター街となっている地方都市の商店街が増えているが、ここは「昭和の香り」がプンプンするが、それでも元気に頑張っている。 夜になれば、大勢のサラリーマンが飲みに来ているのだろう。 地下街の見学を終えて、いよいよ私は「三社祭」の浅草神社に向かって行ったのである。
心の伊達市民 第一号
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2025/05/20(火) - 観光・体験
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写真で見る東京(98)・・・帆船と消防ヘリ
この日は目的があり、午前10時前に着くように晴海ふ頭に出掛けて行った。 天気予報では午前10時頃までは、かなりの雨が降るようだった。 しかし朝起きたら、もう空は晴れていた。最近の天気予報は、なんだか外れが多いように感じるのは私だけか? マンションの裏から出て朝潮運河を渡り、東京BRTの「HARUMI FLAG」発着所に向かう。そこから振り返ると、建設中を含めタワーマンションだらけである。 更にそこから500メートルくらいで突き当り、そこは臨海消防署である。 港には大小の消防艇が停泊している。そこを左に行くと、右側が大きな晴海ふ頭公園に出る。公園に入ると、正面にレインボーブリッジが見えている。 岸壁には海技教育機構の専用桟橋があり、この日は帆船「日本丸」が入港していた。 ここで帆船を見ると、いつも思う。「帆を張った日本丸が見たい」・・・と。 この日は風が非常に強かった。後で分かったのだが、風速20.7メートル/秒だった。 青空に「ワタリガラス」が3匹、舞っていた。 強風に煽られて、なかなか帆船のネットに止まれない。 青空に舞うカラスを、ボーと見ている。風が強いので、少し寒い。 散歩に来た人が、日本丸の写真を撮っている。 私のこの日の目的は「日本丸」と「ヘリコプター」の動画撮影である。 毎月の第二火曜日になると、晴海の臨海消防署にヘリコプターが飛んで来る。 これは非常時の為に、日頃からヘリコプターの離着陸の訓練をしているのである。 東京オリンピックの前までは、この辺りには何も無かったので、騒音も問題なかった。 しかし東京オリンピックの選手村に使われたマンション群は分譲されたので、「うるさい!」と文句を言われるのかもしれない。 帆船の停泊とヘリコプターの飛来が重なることは、私の知っているところでは初めてだ。 なかなかこのような偶然は起きないので、なんとか動画に収めたいと思ったのである。 10時になってもヘリコプターは飛んで来ない。 「この強風で、今日は中止かもしれない」と思い、少しガッカリしていた。 そこに警備のための臨海消防署員がやって来て、『間もなくヘリコプターが飛来しますが、ご迷惑をお掛けします』と言った。 私は『それを見に来たのです』と答えたら、彼は嬉しそうだった。 東京消防庁には8機のヘリコプターを所有していて、木塲と立川に基地がある。 ここへ飛んで来るヘリコプターは、木塲の基地からである。 風が強いので、ヘリコプターの音がよく聞こえない。 たまに聞こえたと思うのは、私の空耳かもしれない。 やっと確かなヘリコプターの轟音が遠くから聞こえて来て、小さく姿を見せた。 ヘリコプターは風の具合なのか、レインボーブリッジに向かい、途中から反転して私の方に向かって飛んで来た。しかしその方向から来られてしまうと私からは逆光になり、カメラのモニターが反射で見えない。仕方ないので、とりあえず静止画を撮影した。 ヘリコプターは仏独多国籍企業の「Eurocopter社」製の「AS365/565 ドーファン2/パンテル」である。東京消防庁の機体番号は「JA119E」で、愛称は「かもめ」である。 このヘリコプターは尾翼に特徴があるので、機体のメーカーがすぐ分かる。 ヘリコプターは私の頭上を通過して、臨海消防署の屋上に向かって飛んで行く。 見上げると期待番号がハッキリ見える。 ヘリコプターはゆっくりと消防署の屋上に近づく。 そして少しホバリングをして、音は大きいが機体は静かに着地した。 ヘリコプターの轟音は住民には迷惑かもしれないが、消防署の方が先にあったのだ。 私はこの腹に響くような轟音は大好きである。 着地したヘリコプターは少し音が静かになるが、エンジンは止めない。 (おまけの話) 3~5分するとエンジン音が大きくなり、ヘリコプターはその場で徐々に上昇する。 浮き上がったヘリコプターは、進路を大井方面に向けて飛び立って行く。 この時は太陽光は順光となるので、動画撮影が上手く行く。 ヘリコプターが帆船「日本丸」と同じ画面に入る。 そしてエンジン音が段々と小さくなると同時に、機影も見えなくなる。 しばらくそのまま待つと、消え去った方向からまたヘリコプターが現れる。 この時は割合に帆船「日本丸」の近くの上空を通過するので、撮影のチャンスである。 ヘリコプターはレインボーブリッジの端まで行って、旋回してこちらに向かって来る。 そしてまた消防署の屋上に着陸する。これを通常は3回、繰り返す。 そして最後は木塲の基地に向かって飛び去って行った。 約30分くらいのショータイムである。私は満足して、都バスに乗って銀座方面に出て行くのである。
心の伊達市民 第一号
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2025/05/19(月) - 観光・体験
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洞爺湖マラソンに参加するあのランナー
おはようございます☆ 昨日はこんな日でした ジャン☆ そうです! 洞爺湖マラソン開催の日だったのです 私は今年もマラソンコースの中間地点にある『洞爺財田産米の塩むすび』2000個を納品するために配達させていただいたのでした でね あのランナーの応援したくて沿道で待っていたのです!! そしたらね‥ おおおおおおぉ‥ 来た〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆ な、中野社長〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!! そうなのです!!!! この洞爺湖マラソンには大変お世話になっている中野社長が毎年参加するために東京からやって来る日なのです!! そう!!! ホテルがコロナで大苦戦している時にありえない大特価で豊洲からまぐろを直送してくれた人なのです!!!! 信じられない価格で50kgほどのまぐろをホテルに送って来てくださったのでした。 中野社長は大赤字にも関わらずコロナで苦戦しているホテルのために2年連続で送ってくれたのでした そんな中野社長が入るマラソンなので毎年応援しに行っているのでした☆ マラソンを完走した数時間後にはホテルにも寄ってくださいました しかも高級マッサージチェアー(ほぼ新品)をくださったのです☆ なので今日から客室に設置したいと思います マッサージチェアーがあるお部屋はラッキールームになるのです☆ 今年の夏にも社員旅行で北海道にいらっしゃるとのコト その時にお会い出来るのがとても楽しみです!! にほんブログ村 ↑ ↑ ↑ 北海道人気ブログランキングへチャレンジ中です⭐︎ 本日もどうぞ宜しくお願いします!!!
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2025/05/19(月) - 観光・体験
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神田明神の「神田祭」
神田明神の「神田祭」が行われると知り、見に行くことにした。 10日に行われる氏子の町々を巡行する「神幸祭行列」は、平安時代の装束を身にまとった華やかなものだ。この日は朝から小雨で、果たして行われるか心配でちょっと嫌な感じがした。予定表を見たら、午前10時に行列は日本銀行の横に来るようだった。 時間に合わせて現地に行ったが来ないので、雨で遅れているのかもしれないと思い来る方向に歩いて行った。結局は来なかった。どうなったのかは不明だが、このまま帰るのもシャクだから神田明神へ行ってみたが普段と変りはなかった。 翌日の11日(日)は、各町会から多くの神輿の宮入が行われる。 予定表を見たら、日本橋三越前が10時、大手町の将門塚が13時10分だった。 日本橋へ行ってみたら、壁に貼ってある予定表では13時30分となっていた。 私は慌てた。また私の勘違いで、日本橋と将門塚の時間が逆だった。 急いで将門塚まで、早足で向かった。将門塚の近くの交差点まで来た時に、ちょうど神輿が出発するところだった。 「間に合って良かった」と思いながらも、足はガクガクするし、息はハアハアするし疲れ果てた。それでも写真を撮りながら行列と一緒に進み、少し先回りして動画も撮った。 この神輿は「将門塚保存会」が所有しているらしく、担ぎ手もサラリーマン達だろう。 それが分かるのが、「下町の男衆」という感じがしない。会社の命令で参加しているのかもしれない。 今回の時間の件で家に帰ってから、もう一度、「神田祭」のホームページで確認した。 そうしたら私が時間を間違えたのではなく、予定表の方が違っていたのである。 私は「またボケたか?」と落ち込んでいたが、そうでなくて良かった。 (おまけの話) 将門塚保存会の神輿の渡御を見た後に、また日本橋へ歩いて戻った。 2025年の「神田祭」は2年に1度の本祭りで、関係者は楽しみにしていたようだ。 「神田祭」とは千代田区の神田明神で行われる祭礼で、「神田祭」とも呼ばれている。 「山王祭」(千代田区)、「深川八幡祭」(江東区)と並んで江戸三大祭である。 京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」と共に、日本三大祭にもなっている。 神田祭の予定を見たら、次のようになっていた。 ・5月9日(木) 午後7時 鳳輦神輿遷座祭 ・5月10日(金) 夕刻 氏子町会神輿神霊入れ ・5月11日(土) 終日 神幸祭(神田・日本橋・大手・丸の内・秋葉原順光) ・5月11日(土) 午後3時 附け祭 午後4時 神幸祭神輿宮入 ・5月12日(日) 終日 神輿宮入 ・5月14日(火) 午前11時 献茶式 午後6時 明神薪能 ・5月15日(水) 午後2時 例大祭 11時過ぎに日本橋に戻って来たので、神輿の渡御までかなりの時間がある。 そこで先ずは腹ごしらえで、蕎麦を食べた。そしてローソンのイートインに入って、コーヒーとロールケーキで休んだ。 まだ時間があるので、三越デパートの中に入ったら、中央の広場で神田祭の絵巻の展示があった。それでも時間を持て余し、入口横の椅子に座って本を読んでいた。 午後1時を過ぎたので、通りに出てみた。 段々と祭りの雰囲気が出て来て、先頭には子供の引く山車があり、子供たちが集まっていた。大人達は神輿の前で、代わる代わる記念撮影をしている。 デパートの横には立派な山車が置かれていて、「龍神」と書かれていた。 詰所の前を通ったら、パンフレットのようなものが見えた。 法被姿の男性に『これを頂いてもいいですか?』と聞いたら、『手拭いと一緒で2000円です』と言われたので買わなかった。 やっと神輿が動き出したのが見えた。私は三越デパートの正面の道路の反対側で待っていた。やがて神輿は三越デパートの正面入口に入って行った。 店内には入らず、その場で神輿を練る。そしてそこで神輿を台の上に置いた。 その後、代表が台の上に立ち「一本締め」を行った。 三越デパートはこの祭では、室町一丁目の大スポンサーなのだろう。 「一本締め」は代表が「お手を拝借」と言ってから、「いよおー」と音頭を取り、「三拍、三拍、三拍、一拍」で「パンパンパン パンパンパン パンパンパン パン」で手を叩き締めるやり方である。 1回だけ「パン」と手を叩いて締めるのは、「一丁締め」である。 「一本締め」を3回行うのは「三本締め」で、本来はこれが正式の手締めのようだ。 午後1時30分過ぎになり、神輿はやっと出発した。 しかし中央通りを通行止めにしないので、交通渋滞が起きてしまう。 2年に1度の神田祭で日曜日なのだから、警察もこの日だけは通行止めにして欲しい。 そして広い中央通りを、思い切り元気よく渡御して欲しいと感じた。 江東区の深川八幡祭では通行止めをする。中央区だって出来るはずだがなー。 私は富岡八幡宮の深川八幡祭の派手で、水をぶっかけ、下町の元気の良い男達の担ぐ神輿を見慣れているので、室町一丁目町会の神輿は元気が無く、品が良過ぎて物足りなかった。
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BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 毒まんじゅう?? と、びっくりされた方にちょっと説明的にこちらの画像を〜。 というわけです。 で、このキャラクターこそが「むろらんくん」。 大輔氏はさまざまな場面で登場させる「むろらんくん」を育成事業と呼んでいます。 そしてついにはLINEスタンプ販売まで育成事業は発展しました。 つぎに、「たたら製鉄への関わり」です。 地域おこし協力隊時代、ムロランワンパクに来てもらったご縁で「登別室蘭たたらの会」石崎会長と知り合った大輔さんは、石崎家で玉鋼のナイフ鍛造体験をさせてもらいました。 その後、「なんか話の流れで、たたら製鉄の手伝いをすることになった」のだそうです。 大輔さんの父方の祖父が鍛冶屋だったこともあり、職人的なことへのあこがれもあり、もともと手仕事好きなのもありで、製鉄も鍛造も興味深いし楽しい!と感じたそうです。 そんなこんなで「たたら製鉄への関わり」を持つようになりました。 「室蘭は鉄の町だけど、鉄を身近に体感できる体験コンテンツはすごく少ないんです。その点でたたら製鉄と鍛造体験は質の良いコンテンツになる可能性があると思いました。しかしとにかく炭代と人の手がかかるので、ちゃんと体験メニューとして稼げるように仕立てるにはどうすればよいのか目下考え中です。」 最後に さて。 この辺りでそろそろ最後にしたいと思います。 初めに「この人は一体全体何者なんだろう?」という筆者の興味はほぼ満足しました。 …と思わなければいけないくらい、やはり、佐藤大輔氏はヌマすぎました。 この上なく、果てしなく面白すぎました。 なので、どこまでもしつこく追求してしまいそうなのでこの辺りで止めることにしました。 でも、はっきりと分かったことがありました。 こんなこと書いたら「恥ずかしいから止めて〜!」と言われるかもしれません。 でも、きっぱり言います。 直球ストレートではないけれど。 「ゆるっと・しれっと熱く、人間愛・室蘭愛に溢れる方」でした。 仕事の上でも、出会った人との繋がりも、「もったいない」の心を大切にしてきたからこそ多くの依頼があるのだと感じました。 参ったなあ…。 ファンになってしまったじゃないですか。 佐藤大輔氏、すっかり目が離せない存在になってしまいました。 ―佐藤大輔氏情報― Facebook https://www.facebook.com/daiske.sato Instagram https://instagram.com/satodaiske?igshid=MzRlODBiNWFlZA== BROCKEN https://www.brocken.work SUM-i-CA https://www.sum-i-ca.com
Rietty
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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『自然と科学のミュージアム「森の工舎」』 〜自然と人への愛を感じる癒しと学びの時間
2Fから吹き抜け越しに1Fのフロアを覗くと見えるこのソファ(?) 何をモチーフにしているのかお分かりでしょうか? 時間が経つのを忘れてしまう。 白老虎杖浜にある『ナチュの森』は、1日中居られる… いえ、1日では足りないと感じる心地よく学びの多いところでした。 今回は『ナチュの森』の中に2022年12月OPENされた「森の工舎」の取材で訪れたのですが、 ナチュの森の全てを案内していただきました。 丁寧な案内をしてくださったのが、「ナチュの森」広報担当の 山本祥史さんです。 さて。 皆様、いろいろな名前が出ているので、そろそろ混乱し始めていらっしゃいますよね…。 そこでちょっと、「ナチュの森」のこれまでの歩みと背景について簡単にご説明しますね。 ナチュの森の運営会社は東京本社の株式会社 ナチュラルサイエンスという名の低刺激スキンケア商品メーカーと北海道本社の株式会社 ナチュラルアイランドという名の北海道素材に着目したスキンケアメーカー 2011年 白老虎杖浜の工業団地用地を取得 2014年 地域説明会、協議会などを経て、閉校した旧虎杖中学校(1988年使用開始の校舎)土地建物売買契約を締結 2017年 ナチュラルアイランドの北海道工場竣工 2018年 ナチュの森オープン 2022年 自然と科学のミュージアム「森の工舎」オープン “ 校舎 ” が ” 工舎 ” に生まれ変わった時でした。 このような歩みを経て、虎杖中学廃校跡地を活用した工場&ガーデン施設「スキンケア工園 ナチュの森」は完成しました。 ただ、このように箇条書きにしてしまうと、その道は淡々と着々と進めてこられたように見えます。 けれども、「北海道の自然の恵みを素材にした商品作りをしたい」という構想から15年、 この地に出会ってから完成まで10年が経過しました。 このプロジェクトに向けられた大きな原動力は、自然と人への大きな愛でした。 それを実感できるのがこちら。 こちらの冊子は「ナチュラルアイランド」のものです。 表紙の花は、皮膚のガードマンとも呼ばれる万能ハーブのカレンデュラ。 ナチュラルアイランドのカレンデュラ製品は、全てナチュの森のファームで栽培された花を使っているそうです。 この冊子、「ナチュの森」を訪れた時、ぜひ開いて見ていただきたいです! 筆者は全26ページの冊子を美しい写真とともに読み終えた時、 胸が熱くなり幸せな気持ちになりました。 今やどこでも溢れている言葉。 「持続可能な」や「環境にやさしい」という文字はこの中のどこにもありません。 読み進めながら感じるのは、 「大切なものは敬意をもって守る」という自然へのリスペクトと人へのリスペクトでした。 さて、それではいよいよ今回の主役的な建物、 旧虎杖中学校校舎「森の工舎」のお話に入ります。 と、その前に。 実は〜 アポイントメントの時刻は13:00でした。 私が到着したのは10:00。 山本さんにお会いする前にどうしても体験したかったのがこちら。 「蒸留カフェ」も魅力的でした。 「花のある暮らし」〜エッセンシャルオイルを楽しめるドライフラワーアレンジ ワークショップ(こちらは2/28までの期間限定メニューです) 季節ごとにワークショップメニューが変わります♡ ワークショップが行われるスペースは「森の工舎」の無料スペースです。 このスペースには、「蒸留カフェ」と「ショップ」があります。 取材前のランチには、スパイシーでお肉ごろごろなカレーセットをいただきました。 この前に、蒸留した高知産生姜エキスを使った甘味ゼロのジンジャーエールもいただきました。 スッキリ爽やか!初めての味でした。 ママと赤ちゃんが一緒に使える、「ナチュラルサイエンス」看板商品の低刺激スキンケア製品も販売されています。 これすごい! 他の商品を知りません! 皆様、俱多楽湖や虎杖浜の語源をご存知ですか? どちらも「イタドリが生えるところ」を意味しているのです。 まさにここならではの商品です。 さて、それでは本題。 そもそも何故、「ナチュラルサイエンス」は北海道白老町の虎杖浜に『ナチュの森』『森の工舎』を作ったのでしょうか? 「弊社が北海道の豊かな自然の恵みで化粧品を作りたいと考え、 低刺激化粧品にとっての最も大切な原料である「水」を探し求めていたときに、 ようやく巡り会えたのが白老町に位置する倶多楽湖の湧水(カムイワッカ=神の水)でした。 それは、他の素材を最大限に活かせる肌に優しい軟水でした。 そして、湧水口の近くには既に閉校になることが決まっていた虎杖中学校がありました。 その中学校を見学させていただき大変驚きました。 校舎は古いのに、とても掃除が行き届いていて落書きひとつありませんでした。 ずっとずっと大切に綺麗に使われてきたことがすぐにわかりました。 そのとき、『この建物と、これまでの生徒さんたちや先生たちの想いを 「ナチュラルサイエンス」で引き継いでいきたい!』と強く思ったのです。 本当は水を探して北海道中走り回っていたので、 物件探しをしていたのではありませんでした。 ですが、その時そう思ったのです。 そして、「虎杖中学校の跡地に湧水を引き込んで工場を作れないか」「校舎や体育館は取り壊さずに、そのまま残して再利用できないか」と考えるようになりました。」 なるほど…、それが「ナチュの森」が生まれるきっかけだったのですね!ちなみに「校舎」が「自然と科学のミュージアム 森の工舎」になったのは何故ですか? 「はい。ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランド」の工場と「ナチュの森」を運営している中で、この校舎を活用し、周辺地域の自然の恵みを利用させていただき、地域に貢献できることは何かを探っていった結果の形が、私たちが大切にしている「ものづくり」を体感する「自然と科学を通して物事を体験する」場としての「森の工舎」となりました。 また、とても重要なこととして、自然の恵みを得るためにはそのままでは毒になることもあるということがあります。 大学や研究機関との連携の中で判明した研究結果の共有も、ここを通して行いたいという考えもありました。」 訪れた時、「蒸留実験室」では、ちょうどタイミングよく釧路産モミ(トド松)の蒸留を行っていました。 使われる水はもちろん俱多楽湖のカムイワッカ。 フラワーアレンジメントを途中にして飛んで見に行った筆者です。 仕込んでから40分ほどでエッセンシャルウォーターが採れます。 先ほどのドライフラワーアレンジメントには、好きなエッセンシャルオイルが付いていました。 実は私、この後のお話を知らずにこの和ハッカのものを選ばせていただいていました。 和ハッカの貴重品種「JM-23」を、滝上町の農家 瀬川さんは2haの広さの畑で大切に育てています。 世界で唯一、瀬川さんだけが栽培されている和ハッカはとても貴重です! また、この実験室では、四季に合わせた様々な植物を使った体験会なども行われます。 この日はラベンダーサシェ作りの準備がされていました。 「アトリエ」では、お子様向けの自然と科学をテーマにしたモノづくりを体験できます。 「香りのラボ」には調香室も備え、様々な香りを体験しながら、今の自分に合う香りを分析する体験ができます。 そして「ライブラリー」では数千冊の本が並びます。 とにかく選書が素敵すぎです! ネイチャー関連の本もたくさんあります。 なんと、なかなか見ることがない貴重な本まで!! ホント、びっくり!! どんな本があるのかは、ぜひ実際に訪れて見つけてみてくださいね☆☆ 読書のための椅子の配置も心地よい。 ここだけで1日いられます。 そして。 なんて素敵な〜!! と思ったのがこの空間♡ 元々は半円形だった天井を丸く整え、太陽をモチーフにした大きな照明をつけました。 灯りの点き方にも工夫が施されています。 そしてその下の吹き抜けのところには蛍光灯をリサイクルして作られたガラス照明「ウォーターバルーン」が、雨粒の如く各色ゆらゆらと煌めきます。 そしてその下には…。 そう、記事の最初に登場した丸いソファは俱多楽湖をイメージしたものでした。 そのソファーに寝転べば、こんな空が広がっていました。 太陽 雨 湖 それらの循環が表現されています。 そしてもっと素敵だったのがこちら〜 この日ちょうど、こちらのライブラリーで、旧虎杖中学校の卒業生の皆様と出会いました。 実は、山本さんのお隣にいらっしゃる女性は、虎杖中学校出身で現在は「ナチュの森」の工場の従業員の方でした。 そして、さらに左側の男性お二人も「ナチュの森」の従業員の方々でした。 こちらで働く従業員さんは、9割の方が地元採用だそうです。 だから、こちらの3名の方々の他にも、たくさんの卒業生がこちらで働いていらっしゃるはずです。 かつて、ここで学んだ生徒だった方々が、今度は働く場としてここに戻ってきている。 これもまた、素晴らしい循環です。 地域との関係の良さが窺えます。 学校ではなくなった今も、 こうして卒業生が気軽にこられる雰囲気作りをされていることに感動! あまりにも感動して、写真を撮らせていただきました♡ 「えほんの部屋」もあります。 0歳からのお子様と保護者の方のための部屋です。 ナチュラルカラーのマットを階段上に配置した向かい側には〜 人形劇などが上演できる舞台があります。 こちらでは今後、紙芝居などいろいろなイベントを開催するそうです。 「ギャラリー」では、北海道初上陸の「ようこそ絵本のまちへ展」を開催中です。 もと体育館だった「あそびのひろば」は、全天候型のあそび場になっています。 白老町の登別寄り、虎杖浜温泉から山の方に入ったところにある俱多楽湖のカムイワッカを引く親水公園の隣。 この水に惚れ込んだ会社「ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランランド」の建物が現れます。 ・自然の恵みを安全に大切に享受するために、自然を科学すること。 ・地域の人々の故郷への想いを大切にすること。 ・地域の人々と仲良くして、地域の役に立つこと。 これらを信条に、「森の工舎」は今後も進化していくことと思います。 朝から訪れたというのに、外に出ると薄暗くなっていました。 「森の工舎」は、時間を忘れて過ごせるところでした。 ―ナチュの森 森の工舎 情報― ナチュの森HP https://nachunomori.jp 森の工舎 https://nachunomori.jp/morinokousha_pre ナチュの森 Instagram https://instagram.com/nachunomori_official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルサイエンス Instagram https://instagram.com/naturalscience.official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルアイランド Instagram https://instagram.com/naturalisland_official?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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