
じもとブロガー
観光・体験 記事一覧
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2025/07/10(木) - 観光・体験
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波動とは・・・。
おはようございます。 今日も早起き元気な麗人さんです。 昨日、今日と心地が良い空気感ですね。 暑さもちょっと和らいだ感じがします。 北海道の夏と言うイメージですね。 昨日ですが、ある話を聞いておりました。 その中で大きなヒントを得ることができました。 どのようにお話しすれば皆さんにお伝えできるのか難しい話ですが ちょっとシェアさせていただきます。 ******** ある2人が会話をしておりました。 AさんはBさんにこんな話をしました。 昨日、あそこのデパートに売っていた調理器具がめちゃめちゃ気になって買ってきたんだよね、、。 それでね、使ってみたら、めちゃめちゃ使い勝手が良くて 何かこれがあれば、いろんなものができそうって感じがしたんだよね! 何か料理が楽しそうだわ〜! すると、Bさんがこんなふうに答えました。 でも、それ高いんでしょう? 私買えないわ〜。 すると、Aさんは そっか〜と言って会話が終了! ごくごくあり得るお話ですよね。 その2人の会話に何が生まれたか? 実は、Bさんのお話にAさんが波に飲み込まれてしまったような形です。 会話の例はここまでにします。 ******** 人々の会話って波動の中で成立していることが非常に多いのです, こういったから、あー言ったから って言うポイントポイントの 耳から聞き入れた言葉によって 会話は終了してしまうが Aさんが一言 えー、そんな高くないよ 一緒に買って使い方シェアしよう! って話をして、Bさんの沈んだ波動を 上向きにしていたら もしかして、Bさんもなら私も買ってみようかしら? って話になっていたかもしれませんよね。 ここで言いたいのは 波動の話です。 買う買わないの話ではなく もし落ち込んでいる人がいたとしたら ちょっとでも、その人の波動を変えてあげることってできるよね! って言う話です。 皆さんも普段からこんな場面ってあるかもしれません。 帰ってから何かモヤモヤする時もありませんか? それってもしかして? その人に同調しているのかもしれませんよね。 自分の心を上向きにしているのなら 自分の波動を下げない行動と 言動に心がけたいですね。 それでは、今日はこの辺で! 今日も張り切って行くぞ! もし、ここで私が こんなふうに言ったらどう思います! 「あぁ、今日もめんどくせ〜 あの人くるし〜!」 なんて、言葉をここで発してたら やばい人になりますよね 笑 麗人やばいわ〜 笑 って噂がめちゃめちゃ広がりますよね〜。 良い波動に心がけましょう。
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2025/07/10(木) - 観光・体験
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小さな話(28)
【我慢の70分】 35度の気温で暑くて行く予定が無かったので、宝町の「宝くじドリーム館」にイベントを見に行った。この日はランチタイム・クラシック・コンサートをやっていた。 出演は廣田美穂(ソプラノ)、中井亮一(テノール)の競演で、100人くらいの観客が来ていた。 私はどうもオペラは苦手で、イタリア語で歌うので、なにがなんだか分からない。 それに特にソプラノは脳天を突き抜けるような高音が、私には耐え難い。 通常は50分くらいのイベントが、この日はアンコールを含めて70分にも及んだ。 来ている人達は老人ばかりで、オペラが好きとも思えない。ただ涼みに来ていたのでは? 【築地市場の外国人】 都バスで銀座方面に出る時は、築地場外市場の横を通る。 市場には多くの外国人観光客が、何が面白いのか暑い中を見物に来ている。 どこの国でも、市場はその国の庶民の生活が分かり面白い。 でも築地市場は専門業者はほとんど豊洲に移ってしまい、今では観光地になってしまった。飲食店や買い食い店ばかりになってしまい、庶民の台所ではなくなった。 暑い日が続くので、若い外国人女性は下着のような格好で歩いている。 イスラム教徒も来ているが、目の毒ではないだろうか? 【今日から一句】 毎週木曜日の午後7時から、6チャンネルで「プレバト」という番組がある。 その中のコーナーで「俳句」があり、「夏井いつき」という口の悪い先生が登場する。 私は以前に「かに道楽」と「おーい、お茶」の俳句募集に応募したことがあるが、入選にはほど遠かった。 最近になり図書館から夏井いつきの「今日から一句」という本を借りて来て、少し勉強しようと思った。俳句を初任者向けに易しく解説している本だが、「そうかー!」と勉強になった。参考になったのが「映像を切り取る」と、「季語+季語と関係ない12音」であった。 そこで私も一句。 『炎昼の 買い食いだらけ ツーリズム』 (暑い中を外国人観光客が買い食いをしている様子) 【もうこの季節】 銀座4丁目のバス停近くの小公園の前を通ったら、もうミスト噴射を始めていた。 例年なら7月の半ば過ぎないと始まらないと思っていたが、今年は早く始めたようだ。 東京の「梅雨入り宣言」が出されたら、それをキッカケのように高温の日が続いている。 地球温暖化が言われて久しいが、梅雨が無くなったような気候は温暖化に関係があるのだろうか? ミスト噴射は見ているだけで、涼しげである。 その下に行くとミストを浴びて一瞬は涼しくなるが、そこを離れると元の木阿弥である。 【なにを並んでるの?】 銀座4丁目のバス停の近くに、いつも外国人が並んでいる場所がある。 その前に行ったが、店は無くエレベーターを待っている人達だった。 ビルのフロアの看板を見ると、どうも7階の「幸せのパンケーキ」以外になさそうだった。 『なぜこんなところに並んでいるの?』とも聞き難いので、家に帰ってから調べてみた。この店は創業は2015年で、表参道店が第一号のようだ。全国に23店舗もあるのに知らなかった。メニューを見たらスタンダードのパンケーキは1380円、飲み物が350円で、両方で1730円はかなり高い。 行ってみたい気もするが、外国人に混じって並んでまでは食べたくない。 【2両連結BRT】 東京BRTが運行を始めた頃は乗客も少なく、「これで採算がとれるのだろうか?」と心配した。ところが最近は利用者が増えて、座れない時さえある。 「汐留」から帰る時に、たまに「晴海5丁目」、別名(HARUMI FLAG)行きに乗ることがある。これに乗ると私の住むマンションの裏側に停留所があるので、少し歩くが運河沿いで気持ちが良い。 停留所で降りたら、向かい側に2両連結のバスが見えた。 近付いてみたら、後部のガラスに「全長18m追い越し注意」と書いてあった。 車体重量は約12トンのようで、ガソリン車であった。保有台数が少ないので、滅多に乗ることはない。 (おまけの話)【同級生交歓】 段々と古くからの友人が亡くなったり、パソコンを止めたりして交流が減って来るのは仕方ないことだ。だから残っている友人は大切にしようと思い、毎月1回、中高時代の同級生と「都心を歩かない会」を開催して来た。 今回は新橋駅集合で、東京BRTに乗って東京ビッグサイトへ行ってランチの企画となった。 東京BRTの新橋停留所に行ったらなぜか臨時便で大勢の中年女性が列を作って並んでいる。腕章を付けた係の男性が案内をしている。 私は彼に聞いてみた。『これは何の団体ですか?』。 男性は面倒くさそうに『色々やっている会です』と言った。 家に帰ってからネットで調べたら、「三菱UFJ銀行」が主体となり147社が参加して、保険・人材派遣などをやっているグループの顧客の会のようだった。この日は会員向けにバーゲンセールを有明GIM-EXで開催するようで、みんな途中で降りて行った。 東京BRTの終点の「国際展示場」で降りて、すぐにランチ会場の「COCOS」に向かった。この店は席でタブレットで注文をすると、配膳ロボットが料理を運んで来る仕掛けになっている。ところが珍しいミスが発生し、ロボットが私たちが注文していない料理を運んで来た。 食後は東京ビッグサイトを背景にみんなで記念撮影してから、館内に入りカフェでお茶の予定だった。しかしものすごく広いカフェには空席が無く、仕方ないので帰ることにした。 1階の広い都バスの停留所に行って、「東京駅丸の内南口」行きのバスを待つ。 しばらくしてやって来た都バスは、乗る人も少なくガラガラだった。 バスが「新豊洲駅前」に到着したら、予想通りに大勢の外国人観光客が乗り込んで来た。彼らは外国人に人気の「チームラボ」に行った帰りなのである。 バスはギュウギュウ詰めでもう乗れないので、途中のバス停では乗車口を開けなくなった。私は途中の「勝どき駅前」で降りたが、混み過ぎていてみんなに挨拶も出来なかった。この路線を利用する時は、いつも「オーバーツーリズム」を体験している。
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2025/07/08(火) - 観光・体験
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写真で見る東京(113)・・・・兜町を探索
【兜町】 「中央区まちかど展示館」という名のサイトがある。 それによると『中央区は江戸時代より、わが国の文化・商工業・情報の中心として発展してきた長い歴史と伝統を誇る由緒あるまちです。面積は小さいながらも、江戸五街道の起点である名橋「日本橋」、世界のショッピングストリート「銀座」、日本のウォール街「兜町」、・・・』 『食文化の中心「築地」佃や月島を初めとした豊かな水辺等さまざまな魅力に満ちあふれ、多くの人たちが集う活気とにぎわいのまちとして、めざましい発展を遂げて来ました。以来400年余り、中央区は歴史と伝統を育み、江戸伝来の老舗や地域のお祭りなど、多様な文化資源が脈々と息づいています』とある。 【東京証券取引所】 1878年に現在の東京証券取引所の前身である「東京株式取引所」が設立された。 設立に関しては1万円札に登場している「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢 栄一が尽力している。 昔の株取引は「場立ち」という人たちが、手話のような手の動きで売買を行っていた。 それも1999年に廃止されて全てコンピューター処理になったので、見学しても面白みはない。建物は立派である。見学は裏の入口から、誰でも予約なしで入館できる。 でも見るものが無いので、あまりお勧めできない。 【兜神社】 東京証券取引所からすぐの場所に「兜神社」がある。 現在は証券界の守り神・商業の神様として信仰を集めているが、「明治4年(1871年)に東京商社(三井物産の前身)の移転に伴い、「鎧稲荷」、「鬼塚」が遷座した。その際に兜塚として祀られていた源 義家を御祭神に「兜神社」として社殿を建立した。 更に「鎧稲荷」と合祀して兜町の鎮守「兜神社」が創建された。 この神社は今では源義家とはあまり関係なく、証券会社のサラリーマンが株価上昇を願いにやって来る。御祭神は源義家から「お金」に替わってしまった感じだ。 【銀行発祥の地】 「〇〇発祥の地」というのは中央区に多くあり、「銀行発祥の地」も兜町にある。 明治6年(1873年)、前年に制定された「国立銀行条例」に基づき、日本最初の銀行である「第一国立銀行」が、この場所に創立された。 兜町に来ると、古い建物はなんでも「渋沢栄一」が関係していて、ここにあった第一国立銀行も渋沢栄一が中心的な役割を果たした。 当時の建物は三井組が建てた「三井組為替方」を譲り受けたもので、海運橋のたもとに建つ壮麗な和洋折衷建物として有名だった。場所は東京証券取引所の斜め裏手になり、現在は「みずほ銀行兜町支店」になっている。 【郵便局発祥の地】 私が意外だと感じたのだが、「郵便局の発祥の地」も兜町にあった。 「郵便」という言葉が使われ始めたのは明治初年の頃で、明治3年(1870年)に創設し、明治4年3月1日に東京~京都~大阪の3都市とその間を結ぶ東海道道筋の62ヶ所の宿駅で新式郵便事業が開始された。 この場所は高速道路の下を少し行った左側にあるのだが、そこへ来てみて分かった。 いつもは都営「浅草線」を「日本橋駅」で降りて、この日本橋郵便局の向かい側を歩いて日本橋へ行っていた。 ウロウロと歩いている割には、私は各建物の位置関係が頭に入っていないのである。 【山二証券】 この証券会社のビルはスペイン瓦の庇や丸窓、石やタイルの外装等、豊かな装飾で歴史的な外観となっている。 創業は明治44年(1900年)であるが、似たような証券会社に「山一証券」があった。 山一証券は1897年なので3年遅いので、遠慮して「山二」としたのかもしれないが、ネットで調べたが不明である。 私の親戚が山一証券に勤めていたことがあったが、1997年に倒産してしまった。 倒産の記者会見で社長が「私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」の言葉だけが有名になった。 「山一」が倒産し、「山二」が残ったという皮肉な歴史である。 【KABUTO ONE】 兜町に行けば必ず行く場所が「KABUTO ONE」で、場所は「茅場町」交差点の角にある。中央区の広報でも『兜町は明治以来「コト始めの街」、「投資の街」、「証券の街」としての地歴を有し、時代時代のイノベーションが起こり、投資家が集い、様々な情報が交流する舞台となって来ました。現在、東京都が推進する「国際金融都市・東京」構想を契機に新金融拠点形成に向けた再開発が行われています』とある。 その目玉が「KABUTO ONE」ではないだろうか? 1階の天井から世界最大規模のキューブ型大型ディスプレイ「The HEART」が下がり、刻々と株価を表示している。 また窓際には渋沢 栄一がベンチに座っているので、並んで腰かけることが出来る。 (おまけの話) 【ホテル K5】 変な名前のホテルだが、外国人観光客には大人気だそうだ。 ホテルの名前の由来は兜町の「K」と、元々の建物名「兜町第5平和ビル」の「5」を組み合わせただけで、特別な意味は無い。 ここは渋沢 栄一が設立した日本発になる銀行の分室で、建物内は日本人オーナーとスウェーデンの建築会社「Claesson Kovistro Rune」によって、活気あるブティック・ホテルになっている。しかしホテルの前を通ったが、1度目は気が付かなかった。 全くホテルらしくなく、しかも壁に「K5」と小さく出ているだけだ。 大正12年竣工の古い歴史的な建物の重厚で荘厳な雰囲気を生かしていて、周りの雰囲気に溶け込んでいた。 【スイーツ teal】 「teal」とは聞きなれない言葉だと思い調べてみたら、「青緑色」のことだった。 この店は渋沢栄一の旧邸宅跡である「日証館」の1階に2021年に開店したチョコレートとアイスクリームの店である。日本トップクラスのショコラティエの眞砂翔平氏とシェフパティシエの大山恵介氏がタッグを組んだ人気店だそうだ。 この場所は兜神社のすぐ近くの並びで女性には大人気の店で、この時も入店待ちの行列が出来ていた。でもここも店の名前が小さく、知らない人にはなんだか分からない。 住所が「兜町1丁目1番地」であることからも、色々と想像できる。 店の中に入ってみたがカフェ部分は少ししかなく、ほとんどのお客はケーキを買っていた。 【街角ピアノ】 「郵便局発祥の地」を見た時に、向かい側のビルに見覚えがあった。 そこは「日本橋ダイヤモンド・ビルディング」で、「三菱倉庫㈱」の本社があるビルだった。以前に来たことがあったのは、この1階に「まちかどピアノ」が置いてありその取材だった。 「まだピアノはあるかな?」と思って中に入ると、今まで通りにピアノがあった。 その時に高齢のサラリーマンがやって来て、ピアノを弾き出した。 まり上手とは言えなかったが、思い掛けないところでピアノ演奏が聴けたのは良かった。
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ダイニングに向かう動線の視線の先にも、光の漏れる地窓。

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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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