
心の伊達市民 第一号
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ダイニングに向かう動線の視線の先にも、光の漏れる地窓。
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友を偲ぶ (1)
(ブログ閉鎖中の話題)2015年3月1日 少し前の2月16日の夕方に同級生のMさんから、久し振りに電話があった。 そして私は電話の内容に驚愕してしまった。 「Hさんが交通事故で心肺停止状態だ」と言うのであるから、驚かないほうがおかしい。その時、私が何を話したかも思い出せない。 Mさんから詳しい話を聞いてみたら、電話があった2日前にHさんは福島県いわき市勿来町に行き、定宿にしている旅館の女将さんにバス停まで車で迎えに来てもらったそうだ。Mさんは勿来町に工場を持っているので、事故を知ったのである。 なぜ彼が勿来町に行ったかと言えば、彼は福島原発事故のボランティア活動で、その旅館のお手伝いに行ったのである。そして旅館までの道を女将さんの運転で走っていて、彼女は追突事故を起してしまった。 気が動転した女将さんは、なんとそのまま車を運転して逃げてしまったのである。 後で分かったのだが、女将さんは飲酒運転だったので、バレるのを恐れたのかもしれない。彼女が逃走中に助手席に座るHさんを見たら、ぐったりして動かなかったそうだ。 助手席のエアーバッグは作動していたが、役に立たなかった。 女将さんは慌てて警察に連絡し逮捕されたが、Hさんはそのまま入院となった。 しかし、その時は既に心肺停止状態になっていた。 私は事故が起きる前日にHさんとKさんを案内して、新宿から巣鴨まで徒歩で東京見物の旅をした。その時にHさんは「東京は面白いねー。まだまだ死ねないなー」と言った。 また、エアーバッグの問題でアメリカで訴えられている日本メーカーの「タカタ」の話も出たが、その翌日にこんなことになるとは夢にも思わなかった。 彼は持病の糖尿病と上手に付き合い、毎日、必ず1時間以上は歩き健康維持に努めていたHさんが事故でこんなことになってしまうとは思いもよらず、私はどうしていいか分からなかった。 酒酔い運転の女将さんを恨みたいし、Hさんが酒酔い運転の女将さんに気が付けば、「運転を代れば良かったのにー」と、後から思い残すことが多くある。 私はいつも自分から「いつお迎えが来ても構わない。心の準備は出来ている」と言っているのだが、自分のことではなく親しい友人のことになると、からっきし駄目である。 人生とは儚く、計画通りには行かず、無残で冷酷だと思い知った日であった。 今までも多くの友人が亡くなったが、こんなにショックを受けたのは初めてだった。 (おまけの話) Hさんには色々な思い出がある。 その頃、友人達の間では、16歳になると車の免許を取るのが流行っていた。 高校卒業と同時に私のオヤジのトヨタのクラウンでHさんと電話をくれたMさん、そして私と兄の4人で東京から鹿児島県の指宿までドライブ旅行をしたことがあった。 55年も前の話である。 現役引退後にHさんは友人3人で福島県小名浜港から、小さなヨットで世界一周の旅に出た。私も女房と見送りに行った。それまでHさんはヨットの趣味は無かったのだから、かなりの冒険だった。「旅先で死ねば本望だ」と言っていたが、1年以上経って戻って来た。 今年の9月には私はHさんとアメリカドライブ旅行を計画していて、ロサンゼルスでレンタカーを借り、ルート66を走り、シカゴから飛行機でフロリダに飛ぶ。 そこでまたレンタカーを借りてキーウェストに行き、ヘミングウェイの面影に触れたいと話していたのである。 人生最後の大型旅行をHさんと楽しむ計画が挫折してしまい、今の私は虚脱状態にある。 この一週間はHさんのことが頭から離れず、いつもの徘徊も出来なかった。 みんなの奇跡を願う祈りも届かず、Hさんは2月21日の朝に帰らぬ人となってしまった。 (合掌)
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